教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

学校教員の養成に問題がありはしないか

2020年09月09日 | 学校教育

学校の教員の揚げ足を取るようで申し訳ないのだが、なぜこの手の人が子どもの指導者然として現場で教員をやっているのだろう?なぜ、こうなる前に他の教師からの注意や管理職からの指導等が入らなかったのだろう?

記事から判断したところ、このような言動を学校内部では常識のレベルであったのか、この教員はこれが正しい指導の一環だとして疑っていなかったようだ。子どもから聞いた保護者からのクレームとして初めて問題化している。それにそれを指摘されての休職が反省からではなく理不尽なイジメにあった子どもの逃げのようにも映るのだが。

学校教育の現場が社会一般の感覚からズレているということなのか。もしそうだとすると、単にこの学校にとどまらず、日本の教員養成の根幹に関わることとも考えられはしないだろうか。建前と本音がこんなに乖離していて健全な学校教育などできるのだろうか。

特別支援学級の児童を「邪魔だと思う人は手を挙げて」…小学教員、一緒の授業の場で

 


新型コロナを騙った教育実習生の愚挙に思う

2020年09月09日 | 学校教育

教育実習生が単にサボりたいがために学校に「新型コロナウイルスに感染した」と虚偽の報告。

将来教師を志す大学生とは思えぬ愚挙。そういう「軽い(本人にとっては)嘘」がどんな重大な影響を及ぼすかまるで想像できない人間が、こういう愚行でもポロッと漏らさぬ限り、簡単に教員の資格を得てしまう。

そういう危うさ、欠陥が今の教員採用試験にはあるのではないか。単に資格さえ得れば、誰でも教員になれるかのようだ。世間で学校の教員のあり得ないような不祥事がいろいろ起きていて報道もされている。(教員だから報道の対象にもなりやすいのだろうが)

しばしば上からの教員への圧力が不満を持って語られる、実際にその理不尽さに呆れることもあるが、一方ではそういうパワハラめいた介入を許す土壌が教員採用の過程にもあるのではないかと思わざるを得ない。

海外で教育が重んじられている国では教員の身分もそれなりに高い、だが、それに見合った「修士」等の資格や素養も要求される。日本でも将来の日本を担う人材を養成する意味からも「社会人教師」があったりするが、必ずしもうまくいっていないようだ。このウイズコロナ、アフターコロナを契機に抜本的な見直しをしてみてはどうだろう?

 

 

 

 

 

https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4073530.html