吉本芸人「裸で何が悪い」と新劇場をPR(スポーツニッポン) - goo ニュース
草なぎくんの叫んだ「裸で何が悪い!」について
今更この話題に触れるのは“後出しジャンケン”の趣もあるが、やはりちょっとだけ触れておきたい。
“「らしさ」を演じ続けなければならないタレントの哀しさ”とでも言ったらいいのだろうか、「裸で何が悪い!」と駆けつけた警官に食ってかかり、素直に“説諭”に従わなかったために逮捕となった草なぎ剛くんのことを思う。
今、タレントと言えば聞こえはいいが、平安・鎌倉の昔なら“”と言われた類の身分であろう。かつて、国家の運営や生産的秩序に参画しない人間は一般人以下に見られたり人間扱いされなかったりした世の中があった。後白河上皇が収集した『梁塵秘抄』などにはそういう身分の遊女達の唄が多数収録されている。
いわゆる“芸人”に対するこのような見方は、近代になるまで続いた。封建時代はおろか市民社会が成立した近代になってもそういう価値観は続いた。西欧のピエロもそういう存在であったろうし、怪しげな絵画や草紙に現をぬかしたり歌舞伎に身を染める役者達もそうではなかったろうか。
それでも、そういうタレントを持った芸人達は、自分達に与えられた身分とは異なる価値観や気概を持って生きていたようにも見える。文化の担い手とは社会の中ではいつもそういう存在であったとも言える。
そういう芸人やタレントがその独特の才能ゆえに世間で注目されるようになったのは、だんだんとラジオやテレビ等が普及し情報社会がやってきてからのことである。それまでの社会では非生産性のために絶えず脇役に過ぎなかった彼らが、老若男女の誰からも知られ、衆人の注目を集める存在に位置するようになったのである。シリアスであれお笑いであれ、彼らは情報化社会・映像文化の社会の申し子として登場してくるのである。
しかし、かつてその身分を省みられなかったときには、その分、何物にも囚われず何物からも自由であったが、その存在が注目されるようになると逆にその自由さを奪われる結果ともなった。先の東京マラソンで芸人の一人が心不全で倒れ生命の危機まで至ったが、そこに芸人の悲哀がある。人を笑わせるためにテレビがお笑い芸人の生殺与奪の権を握っていることは公然の事実であろう。
アイドルとか言われても、どこまでもフリーターに過ぎない彼ら芸人達は、テレビの世界で生き残るために、その笑顔とは裏腹に熾烈な生存競争を繰り広げている。国民的に受ければ、彼らはCMやドラマ等で引っ張りだこになって、寝食も忘れて出ずっぱりとなる。そういう芸人は多大な知名度や富を得る代わりに、行動の自由を失っていく。が、逆に忘れられた芸人は見向きもされず消えていくしかない。それが、この世界の常道である。
さて、本題を今回の草なぎ剛くんの事件に戻すが、彼を取り巻く様々な人たちの反応が面白い。概ね芸人やタレントの側にいる人たちの反応は彼に同情的である。そして、警察による逮捕や家宅捜査に対しては「そこまでやるか!」と批判的である。ところが、多大な費用をかけCMやキャンペーンに彼を担ぎ出した連中は金銭的な理由からも彼に批判的である。怒り心頭に達したのか、「最低の人間」とまで言い放った大臣までいる。普通はその行為を批判してもその人格を貶めるような言い方は慎むべきである。特に彼は公人なのであるから。
さて、私は……。かなり彼に同情的である。スマップのメンバーの中でも、もともと彼は真面目人間の方ではなかったか。いい意味でも悪い意味でも、中居くんのような狡猾さは彼にはない。だから、彼の謝罪会見もその真面目人間ぶりを再確認させてくれることになった。だから、「だからこそ、…」である。彼は酔っ払って前後不覚になったときに、図らずも「裸で何が悪い!」と叫んでしまったのであろう。
「らしくない自分」…彼が有能なタレントであり、スマップの一員であり、これからもこの世界で生きていこうと思うならば、それは封印しておかねばならない。映画やテレビの悪役がいつでもどこでも悪役でなければならないのと同じように、彼は彼に供せられた役割を演じ通さなければならない。たとえそれが本当は「らしくない自分」であったとしても、「らしくない自分」を取り込んだ生のままの自分を決して人前に晒してはならないのである。彼は芸人なのである。衆人の幻想を壊してはいけないのである。
「裸で何が悪い!」という彼の言葉は、そういう存在の裂け目から噴き出した言葉のように見える。彼は一度、何もかにも脱いで裸の存在になってみたかったのではないか。事件を起こす前、彼は「若者よ、我が道を行け」と料理屋の若者に進言していたという。もしかすると、それは自分自身への言葉ではなかったか。が、彼は今後二度と、たとえ前後不覚になるほど飲んだとしても、こうのような「大人気ない」言葉は吐くことはないだろう。そして、彼は淡々と愛される芸人・タレントとしての道を歩いていくことだろう。
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