「我々が撃った」伊藤さん殺害、24歳容疑者認める(朝日新聞) - goo ニュース
アフガンで生きた日本人
あってはならないことだが絶えずその危険があったことが現実のこととなった。
アフガンで現地人のために精力的な活動を続けていたペシャワール会のメンバー伊藤和也さんが武装グループに拉致され遺体で発見された。
今朝の読売新聞(8月29日付け)には、「アフガン 500人の祈り」「恩をあだで返して申し訳ない…」と見出しにある。また、父の正之さんの言葉として、「和也は家族にとって誇り」「和也は現地の人に育ててもらったと感謝している」と紹介している。恨みの言葉はない。アフガンは伊藤和也さんにとって自分の生き方を見出した場所でもあったようだ。
アメリカが同時多発テロの主犯格とされたアルカイーダ掃討に向けアフガンのタリバン勢力を攻撃し始めた時からアフガンは戦場と化し、国家としての機能を麻痺させてしまった。それを憂えた多くの日本人がアフガン支援に乗り出したが、その中で中村哲医師を代表とするペシャワール会はその最大の組織であった(彼らはそれ以前からアフガン復興のために尽力していた)。
実は私の近くにもアフガン支援活動を行っている組織を運営している青年がいる。学生時代からの活動である。今、彼には妻も子どももいる。でも、それは彼のアイデンティティの重要な一部になっている。日本で資金を調達してはアフガンに行き、現地で支援活動を行っている。主に芸術的な活動を通して。人はパンだけで生きているのではない。
なぜ彼はそこまで(時には命さえ危険にさらされる)してアフガンに関わるか。平凡な回答をするよりも、彼が現地に行き撮影した映像に注目したい。何もない乾燥した荒野や崩れ落ち瓦礫と化した建物を背景に、貧しい服装ながら精一杯の笑顔を振りまいて健気に生きている子どもたちが写っている。
何と表情の生き生きとしていることか。何と生命の輝きがあることか。それは、日本の子どもたちがとうに失い、もはや無縁のものとなってしまった感のある子ども本来の生命の輝きである。一つは、それに取り付かれたのだろう。その意味では彼もまた「アフガンに育てられ、生かされてきた」一人なのかもしれない。
そこには学校でひどいいじめに会い、不登校・引きこもりとなり、民族系ビジュアルバンドに入り「平和で腐ったこの日本!」と絶叫していた現・作家の雨宮処凜の見てきたものとは正反対の風景がある(実はその両者は通底していると思っている)。
今後、人命上の問題から、「ペシャワール会」がアフガンに関わることは難しくなるかもしれない。善意や支援が相手にそのように伝わるのであればよい。が、必ずしもそうなるとは限らない。外国人の要らぬ干渉と考える人たちもいるのだ。アメリカの大統領候補オバマ氏が絶えず白人至上主義者等からの狙撃等の危険を想定していなければならないのと同じように、NGOなどで海外協力する時には、そういう誤解をも含めて、絶えず生命の危険があることを念頭に置いていなければならない(これはどういう活動でも基本的に同じだが)。
伊藤和也さんが現地人の誤解によって殺害されたことは残念なことである。だが、彼はそこで無意味に死んだのではない。彼はそこで生かされ自分の生を存分に生きたのである。無念でもあろうが幸せでもあったろう。合掌。