米紙ニューヨーク・タイムズが29日、公的資金を注入された金融機関の経営者らが08年に受け取ったボーナスが合計約184億ドル(約1・6兆円)と推計され、過去6番目の高さだったと報じた。これを知ったオバマ大統領は、「無責任の極みで、恥ずべきことだ」と激しく怒った。「金融機関は崩壊の瀬戸際で、納税者に助けを求めた。自制心、規律、責任感を求めたい」というわけだ。
この怒りはもっともだ。ドル神話の崩壊は構造的なものであるとはいえ、公的資金の導入を招いた巨大企業経営者の責任は大きい。その国民の血税を過去6番目の高さのボーナスに流用するとは失敗を招いた経営のトップの考えられない感覚である。これもまたアメリカ資本主義の現状の一面である。
ベルリンの壁が崩され、社会主義経済は破綻し(本当に社会主義と呼ばれるシステムはあったのか?)、資本主義経済の一人勝ちのようにも見えるが、これは必ずしもアメリカ型資本主義経済が最高のものと信認されたわけではない。よりベターなものとみなされただけのことである。事実欧州型の経済システムはアメリカ型とはずいぶん違っているように見える。
オバマ米大統領がどこへ向かおうとしているのか、まだよく分からないところがある。しかし、彼が大統領予備選で掲げていたスローガンや理念、大統領に就任する前やその後の矢継ぎ早の政策決定などから、歴代の大統領にはない視点と方向性を持っていることだけは窺い知れる。彼の唱える「チェンジ」というものもそこにつながるのだろう。
彼の登場によって、それまでは単なる「理念」や「夢」に過ぎなかったものが「現実」となることを証明して見せた。やろうさえと思えば思いは叶う─これこそはアメリカン・ドリームの再現というものだろう。彼は身をもってそれを実現すると同時に、アメリカはそういう国であることを実証して見せたのである。
所詮は人間のやること、誤謬のない社会主義もなければ誤謬のない資本主義というものもない。社会主義は大きな政府を、資本主義は小さな政府を想起させる。だが、オバマ氏は。「我々が今日、問うているのは、政府が大きすぎるか、小さすぎるかではなく、機能しているか否かということだ。まともな収入を得る仕事、手が届く保険、尊厳ある老後の生活。これらを各家庭が手に入れられるように、政府が手をさしのべているかだ。」と言ったそうだ。これを一言で言うならば「機能的なスマートな政府」ということだ。確かにその辺りが妥当なところかもしれない。
そもそも人間はなぜ社会や国家を形成するか?それは自然界の中では、人間はとてもひ弱な裸のサルであるからである。人間は裸の体に保護するための衣服をまとったように、自分達を保護する環境として社会を築き、国家を建設してきたのである。だから、もしそれが弱い人間を保護する役割を放棄し、自然界と同じく弱肉強食の成り立つ世界であるとするならば、そんな社会や国家は必要ないのである。
確証はないが、オバマ氏は今までのような大企業主体でもなく、官公主体でもなく、第3の道として、インターネットを駆使した今回の選挙にもその片鱗が見えるが、「民主体」の政治を考えているのではないか…と思っている。
だから、─冒頭に戻る─そういう意味でも一部資本家達の専横を許してはならないのである。オバマよ、怒れ!そういう連中はその社会や国を愛しているわけではない。結局のところ、国や人々を食い物にしているだけなのである。