市橋は「いい子の非行」の暴発者か?
▼誰もが望んだ市橋容疑者の早期の逮捕
「ついに」と言うべきか「ようやく」と言うべきか、英会話講師、リンゼイ・アン・ホーカーさんを殺害・遺棄したとして指名手配されていた市橋達也容疑者(30)が逮捕され、関係者だけでなく「ほっとした」人は多いのではないか。それだけ誰もが一日も早い逮捕を望んだ事件であった。まずは被害者とその家族の方々に手を合わせたい。
▼整形でも本質は変えられない
多分、国民の多くは市橋容疑者が既にどこかで自殺しているのではないかと思い、またそうであることを望んでいたのではないか。だから、逆に発見が遅れたのだとも言えそうだ。「もうこの世に生きていないのではないか」と思っていたから、誰も周囲の人間を市橋容疑者ではないかと探るような見方をしなかったのだ。
ところが、整形外科医との協力で新しい指名手配の写真が公表されると、「えっ、彼は生きていたの?」「顔を変えてどこかに潜んでいるの?」ということになり、俄然周囲の人たちの見方も変わり、市民の通報もあって、あっけない逮捕となった。どんなに整形で顔形を変えても、たとえば耳の形とか目の表情とかは変えられないし、人としての本質は変えられない。
▼市橋の生き延びるための知恵
しかし、彼が何度も整形手術を重ね、容貌を変えているとは──必ずしも想定外のことではなかったけれども──やはりかなり意外なことではあった。だから「そんな金は持っていなかったはずだ」「誰か金を渡していたのか」という疑問も新たに生まれた。事件を起こす前、彼は半ば引きこもりのフリーターのような生活を送っていたようだけれども、彼に生きるための能力が乏しかったというわけではなかったようだ。いざとなれば建設現場の作業員をやって整形手術のための金を工面するような知恵までもあったようだ。惜しまれるのは、そういう保身の形でしか生きる知恵を発揮できなかったということだ。
▼自らの夢も才能も踏み躙って
彼に関する別の報道では、事件前彼は似顔絵のイラストが得意で、似顔絵を描いていろいろな外国人と当たりをつけていたことが報じられていた。そのイラストを見たが、素人目にも実にうまい。玄人裸足ではないかとさえ思える。彼はこの才能をリンゼイさんとコンタクトを取るための手段とし、彼女の似顔絵の余白に自分の名前と住所、電話番号を書き込んでいたらしい。こういった才能を彼は何とも悲惨な事件でドブに捨ててしまったが、もっと別の生かし方があったのではないかと思えてならない。
空手部サークルの顧問であった千葉大名誉教授の本山直樹さんの話では「千葉大園芸学部卒業後は、市川か浦安の辺りに住み、設計事務所でアルバイトをしながらデザインの実務経験を身につけたい、と話していた」という。その夢も自ら踏み躙ってしまったことになる。
▼両親が医師の恵まれた家庭の子
なぜこういう酷い事件を起こしたのか!? その核心は本人でなければ分からない。しかし、彼もまた悲劇の人物の一人なのではないか。生い立ちを見ると、彼の父親は医師で、母親は歯科医である。彼は幼いころから裕福な家庭に育っている。そして、中学・高校時代は何の問題もなく活発に過ごしている。高校では陸上部に属し、国立大理系を目指す進学クラスで明るく頑張っていたという。世間的な見方をすれば、順風満帆の人生であったように見える。一体、そんな彼に何があったというのか。
▼期待される人間になれなかった自分
ところが、そんな彼は大学受験に失敗する。浪人を経験し、都内の私立大二部に進学するも満たされず退学し、結局、22歳で千葉大園芸学部に再入学する。多分、千葉大園芸学部に合格したことを「ヤッター」とか「ラッキー」とか喜ぶ人間がいる中で、これを転落とか挫折と捉えるならばそれは本人の心の持ち方から来るものだ。それが彼にはなぜ引きこもるほどの挫折なのか。それは周囲から「期待される人間像」を自分が演じられなかったからではないか。
先述したように、彼の父親は医師で、母親は歯科医である。当然、彼もまた医学部に進み、医師になることを期待されたことだろう。そして、彼も当然そうなるべく夢見て育ったことは想像に難くない。だが、現実は甘くなかった。残念ながら医者になる才能は彼にはなかったようである。そして、彼自身もまた自分の才能は別にあると感じていたのではなかったか。先の空手サークルの顧問の教授はそれにいみじくも触れていた。そして、とても残念な形ではあるが、リンゼイさんに渡した彼の描いたイラストがそれを雄弁に物語っているように私には思える。
▼子どもの独自性を認めない日本の親
ここからは彼自身の話というよりは日本の教育の話になる。日本の親たちは姿形が親に似るからか、子どもの才能や資質までも親と同じであると思い込みがちである。子どもを親とは違う独自の個性を持つ存在とは考えず、親と同じであろうと思い込む。もしそれが本当に親の思い通りであれば問題はないが、子どもが親とは全く異なる才能や夢を持っている場合には問題となる。子どもの人生が認められないばかりか時には激しく叱責され、その子の存在が認められなくなる場合さえある。「蛙の子は蛙」であることもあれば「鳶が鷹を産む」こともあり、一様ではないのが一般であると心得ながら、いざそれがわが身のことになると受け入れられない。もしかするとそれは赤い花の種なのかも知れないのに親は黄色い花の種であることを要求してやまない。そういうことも起きてくる。それでは子どもとしては立つ瀬がなくなる。
▼理屈を超えた親子の繋がりが見えない
市橋達也容疑者の整形手術の話や逮捕のニュースが報じられた時、彼の両親がどのように反応されたかとても気になった。「できれば自分から出頭してほしかった」「捕まってホッとしている」「罪を償ってほしい」「極刑も受け入れる覚悟」(以上、父)「やっと捕まってくれたか」(母)などと言ったことが報じられている。これは極めて主観の領域になるが、取材記者は両親の印象を「淡々とした表情で話した」「悔しそうな表情で」などと評している。一方で「あくまで息子はかわいいと思っているが…」という声も紹介している。そこには犯罪者(容疑者)を子に持った世間一般の親の姿があるとも言える。
しかし、「しかし」である。自分も一人の親として言うのだが、そういう子ではあっても、そこには理屈を超えた親子の繋がりが見えるものである。ダメ親でありダメ息子であること、それであればあるほど、それでもその親の子でありその子の親であるという理不尽とも言える切れない絆が見え隠れするものである。ところが、この親にはそれが見えない。逮捕された後、市橋容疑者が記者に問われて吐いた一言が印象的である。「医者にはなれなかった」と。彼は両親に精神的に捨てられた子どもだったのではないか。
▼気付いた時はもはや変えようのない自分
子どもは基本的に育てられたように育つ。育てられなかったようには育たない。そして、小さな子どもは自らそれを選べない。まだ自分で判断する力もない。子どもはただ与えられた環境の中で受容的に育つしかないのだ。それに、子どもにとっては親の期待に応えることが最大の喜びでありあり励みである。
しかし、大事なことは子どもは親の庇護下で育つが決して親の付属物ではないということである。やがて子どもは自らの独自性を発揮していく。ところが、同時にこれまでに意識的にせよ無意識的にせよ、育ちの中で自分を形作ってきたものを簡単に否定することは出来ない。良いにせよ悪いにせよ、それが今まで承認され良しとされてきた自分なのだから。「しまった、こう生きるんじゃなかった!」と気づいた時には、もはや自分では変えようのない自分が出来上がっていることを知るのだ。
教育の持つ怖さ、恐ろしさの一面である。
▼若者の無念の告発の声を聞け
この一種猟奇的な殺人事件には常人の想像を超えていることがある。だから、この市橋容疑者の事件の場合もどこまで核心に迫れるか分からない。しかし、これを子育て・教育的な側面から考察することも意義がないとは思えない。特に今、高学歴で一見高思考の若者の意外なほど浅はかな犯罪が頻発している。これには子育て・教育に関する共通項があると私は見ている。
もっと子どもたちが一人ひとり独自の個性を認めてもらえるなら、そうして偏狭な枠に閉じ込める教育観から自由にさせてもらえるなら、子どもたちはもっと自由に自分の道を自信を持って歩んで行けるのではないか。
その意味で、子どもたちの悲惨な事件の数々からは、それによって決して正当化は出来ないけれど、それを引き起こした子どもたちの、自分で人生を切り開くことの出来なかった無念の懊悩や呻吟が聞こえてくるように思えてならない。もしかしたら、この社会に居場所を見出せなかった若者の引き起こす事件の数々は、この社会の側に身を置く私たちはへの身を挺しての告発かもしれないのだ。
※「いい子の非行」については、
http://www.os.rim.or.jp/~nicolas/iikonohikoukara.html
を参照してください。