教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

改めて問う「学力とは何か」─読売の記事から

2010年01月16日 | 教育全般

改めて問う「学力とは何か」


▼読売新聞の「学力考」の連載について
教育界では相変わらず不毛とも言える教育論議が盛んである。とりわけ「ゆとり教育」とか「学力低下」の論議がかまびすしい。最近、読売新聞が「学力」考の連載を始めたのもその流れに沿ったものだろう。連載の最初の記事が代り映えのしない旧態依然の論調に近いものだったので(多分、在り来たりの思考で固まってしまった記者の作文ではないかと思われたが)、期待薄かな…とも思ったが、それを超えた取材記事が載ることもあるだろうと考えてしばらく付き合うことにした。

▼「学力とは何か」を論じることの意味
ところで、いつも不思議に思うことは、教育や学力を論じる際の大前提とも言える事柄「学力とは何か」ということが何も論ぜられぬまま議論が行われていることである。あたかもそれは言わなくても分かることだとでも言うように。しかし、そうだろうか、これは日本人特有の腹芸に似ていて、同じように考えているように見えて実際は全く別のことを考えていたりするものなのだ。そのことはやはり、言葉に出して見て初めてはっきりと分かることである。

▼四人四様の「学力とは」の考え方
実際のところ、読売の連載もずいぶん力こぶを入れて書いているのは分かるけれども、そんな思いを拭えないままチラチラと目を通していた。するとようやく2010年1月15日の朝刊に「学力」考第一部の番外編として「学力とは 私の見方」というタイトルの記事が載っていた。登場者は東京大学長・浜田純一さん、昭和女子大学長・坂東眞理子さん、ノーベル物理学賞受賞者・益川敏英さん、作家・鈴木光司さんの四人である。(これは私の経験からの勝手な判断だが、これらの記事はご本人が筆を取ったものではなく、電話取材のようなものを取材記者がまとめたものではないか?)面白いことにここでも「学力とは 私の見方」とあるように、はじめから「学力」というものの統一的な見方考え方を求めていないということである。だから、四人四様の意見であり、それぞれに個性があって面白いが、一つの集合で括れるようなまとまりはどこにもない。

▼共感出来る3者の教育・学力観
その中で、浜田純一さんの「学力は、知識だけではなく、知識を身につける力と使いこなす力を合わせたものだ」と言い、使いこなす力には表現や創造が含まれるとする点で、私が日頃考えている論点に一番近いかなと感じた。益川敏英さんは「大切なのは、知識で遊ぶ、勉強で遊ぶことだ」といい「必要なのは、子供が夢中になれる、面白いと感じられる学習内容に変えていく努力だ」と言い、これも「遊びの教育学」というモットーを掲げ、フリースクールで日々子どもたちと接していて感じる実感と符号する言葉である。鈴木光司さんは自身が塾を経営していたことがあるようで、「大切なのは知識や経験を再構築して、自分の答えを出せることだ」と言い、『『過去問』や人の意見に従っているだけではいつか前に進めなくなる」と言っている。学校の教育観に洗脳されている生徒や親には分かりにくいことかもしれないが、「世界の歩みに貢献する」と自負する作家ならではの正鵠を射た言であるように思えた。

▼日本の学校教育は小中の義務教育から破綻している
その点、あえて正直に言うが、坂東真理子さんの言葉が一番つまらなかった。全く感性を刺激されないのだ。しかし、その中でただ一つ注目したのは──これも私が日頃から言っていることの一つだが──国家試験型の高卒認定試験へ言及していることである。実は私は日本の教育システムを破綻に導いたのは文科省を頂点とする学校教育システムであり、「学力低下」の問題もここから生まれていると思っている。そのための処方箋として国家認定の高卒試験を導入しようというのである(現在、高卒認定試験はかつての大検に代わり、学校を離れた子どもたちの救済システムとして機能している)。ただし、坂東さんのように高卒認定試験を行えばいいというものではなくて、今日の学校教育はすでに小中学の義務教育から破綻しているのである。高校教育の破綻はその延長線上にあるに過ぎない。ここが肝要だ。

▼義務教育は子どもを学校に収容するためのシステム
日本の義務教育は依然として学校神話と学力神話で成り立っているが、それらがとうに破綻してしまっていることは、公立学校の現場で仕事をしている教員であるならば先刻承知のことであろう。だから、小中高の学校の教員たちは我が子にはなるべく公立学校に進まないで済むように、進学塾に通わせることに熱心なのだ。実際のところ、日本の学校というところは子どもたちに学力を付けさせたり社会性を身に付けさせたりするところではなくなっている。ただ義務教育の年限の間、子どもたちを収容するための施設として機能しているだけである。だから、その年限が過ぎれば子どもたちは学力を習得したか否かにかかわらず卒業ということになる。「『学力がついていないので卒業させるわけにはいかない』と言いたいが親御さんが認めてくれない」という声も一部にある(不登校の家庭の場合にこういう事例がある)が、ほとんどは単なる学校長の逃げ口上に過ぎない。実際のところは、「学力がないから」と学校に居残ってもらっては困るのである。

▼何々学校卒をやめて国家認定の卒業試験の導入を
そのように破綻した日本の学校教育を立て直す処方箋は何か?その一つは何々学校卒という学校のステイタスとかブランド志向を捨て、小学卒業認定試験、中学卒業認定試験、高校卒業認定試験を国家試験として導入することである。あの全国学力テストなどという調査に莫大な税金を無駄に投入するくらいなら、こういうシステムを確立するために用いる方がよっぽど日本の教育の再建に貢献することだろう。それに懸案でもある全国に十数万人にも上る不登校の減少にも貢献するはずである。思うに、現在の不登校生の多くは今の学校教育への違和、異議申し立てから生まれているからである。だから、教育のシステムが変われば不登校生を生み出す土壌もまた変わるはずである。

▼教育を国家の手から民の手へ返そう
近代国家が生まれ近代教育が成立
したことで、教育の機会均等・義務教育制度が普及し、教育権や学習権の考え方が定着しつつあることの意義は大きい。しかし、国民の教育が国家の専権事項のようになったことで失われたことも少なくない。とりわけ、教育が民の手を離れ、国家の維持推進と為政者の都合によって左右されるようになったことによる損失は数限りない。そろそろ「民のものは民へ返す」ことが必要なのではないか。どの国の歴史を紐解いても似たような結果になると思うが、もともと教育は民のものであったのだ。国家の教育が存在する前から、民による教育活動は脈々と続いていたのである。日本においても民の手から奪うようにして始まった日本の国家教育は高々百数十年の歴史を持つに過ぎない。

▼子どもと向き合い、子どもの声を聞くこと
再び最初に戻ろう。改めて問う。「学力とは何か」。教育を受けるのは誰なのか。教育の目的は何か。──一見馬鹿らしい問い掛けと思うかも知れないけれど、もう一度こういう根幹の部分に立ち返って日本の教育を考え直すことが必要なのではないか。百家争鳴、大山鳴動はすれども、成果らしい成果がどこにもないのが近年の教育の現状である。教育関係者も他の大人も、子どもに向き合うこと、子どもの声に耳を傾けることを忘れて、互いに口角泡を飛ばし合っている。とても不思議な日本の教育状況である。

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「鳥の目・蟻の目」の視点から教育を語ること

2010年01月04日 | 教育全般

◆◆◆ 年頭にあたって ◆◆◆

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
今年もまた、折りに触れ気ままに筆をとらせて(キーを叩かせて)もらいます。

▼鳥の目と蟻の目の双方向の視点から語ること
今まで「実践に基づく子どもたちの教育を語る」と言いながら、実際にはその周辺のことに終始したキライがないわけではありません。もちろんそういうパースペクティブの上に語られねばならないことではあるのですが。しかし、それではいつまでも本題に入れないことになります。そこで今年は、そういう視野を持ちながらも実際に子どもたちが活動する現場から(特に私の場合は、今の学校教育を拒否し&拒否されたこどもたちの学びや活動に焦点を当てながら)教育の理論とそれを具現化し実証する実際の場面に付いて、あるいはその逆のパターンも踏まえて、つまりは理論と実際の双方向の視点を取り入れながら語りたいと思っています。ある人がこれを「鳥の目と蟻の目」という言葉で語っていました。

▼フリースクールの教育活動と子ども
「ぱいでぃあ」を利用されている親御さんなら先刻承知のことであると思っていましたが、改めて言わせてもらえれば「フリースクール・ぱいでぃあ」はNPO(NPO法人教育ネットワーク・ニコラ)が運営するフリースクールです。これは文科省認定下の国公私立の学校とは異なる、言わば民立の教育機関です。従って、一切の税金の恩恵を受けない代わりに、窮屈な枠に囚われ融通のきかない公式的な教育に制約されることもなく、独自の教育理念をもって理想とする教育を追求することが出来ます。実際に、「フリースクール・ぱいでぃあ」では「ぱいでぃあ」独自の子どもを主体とする教育活動を行っています。「勉強は教科書の中だけにあるのではない。社会の至る所に開いている」と考え、なるべく社会との垣根を低くして、社会との交流を図り、絶えず社会の息吹が感じられる教育を行おうというのもその一つです。

▼フリースクールとはどういう機関か
 ところが、フリースクールに子どもを通わせているご家庭の中には「NPOの教育活動に子どもを巻き込むまなくても…」という親御さんの声が一部にあるのも事実です。でも、そういうご家庭では得てして、なぜわが子が学校に行けなくなってしまったのかという状況を十分に考えることもなく(大人の事情に子どもが振り回されたという場合もありますし、何回か転校したけれどもそこにも通えなくなったという子などもいますが、必ずしも「どこが問題だ」と決めつけられない場合が多いのです)、「学校に行けなくなって、勉強が大変だ、進路をどうしよう」とばかりに、ひたすら「学校の代替機関」を求めてフリースクールにやって来るご家庭もないわけではありません(「ぱいでぃあは居場所として機能するだけではなく、進学にも力を入れ、それなりの実績もあげています)。が、フリースクールは──そこに学校でトップクラスの子が通って来ようとも──単なる進学塾のようなところとは大いに異なる機関なのです(進学塾で不登校生を扱えるところはほとんどないでしょう。昼間は学校に行っている生徒たちとは同居出来ないのですから)

▼自分の人生の主人公となれるように
「何かの縁があってフリースクールに来た子どもたち」──学校で何があったのか、なぜ学校に行けなくなったのか、その子の立ち直りの度合いに応じて自発的に向き合い、考えてもらうことになります。これは「ぱいでぃあ」を飛び立つときには自己否定の感情を吹っ切っているだけでなく、自分の人生の主人公は自分であると考えて自己づくりに向けて堂々と雄飛して欲しいと願っているからです。

▼日本の教育の現状を親子で知る機会に
学校は生徒が主体の場と言われながら、現実には自分が通えなくなる学校があったということ、先生はいつも生徒のことを考えていると言いながら、実際にはそれに何ら有効な手を打ってくれない教師がいたということ、国家が面倒みるから義務教育は無料と言いながら、不登校になると一切の教育公費の支援を受けられなくなる事態が待っていて、いわば教育棄民の状態に据え置かれる状況に追い込まれてしまった…こういう日本の教育の現状を親御さんだけでなく是非子ども本人にも知ってほしいのです。そして、そのために親も頑張りわが子のために声援を送っている姿があるということをも是非子どもにも知って欲しいのです。「ぱいでぃあ」ではそう願い、子どもたちだけでなく親御さんにも理解を求めています。子どもが不登校になるということは、今までの学校教育を良しとしてきた親に対する異議申立ての訴えでもあるわけですから。

▼子どもが主人公のフリースクール
実際のところ、フリースクールと一口に言ってもその形態は様々です。規模も大小様々なら、理念や目標とするところもスクールの数と同じだけあります。設立の動機も、止むに止まれぬ思いで親たちが自発的に立ち上げたとか、私たちのように先に子どものを主体とする父母の教育活動が先にありその発展型として誕生したとか、ビジネスを目的としてて参入したとか、様々です。ただ共通するところは文科省下の学校とは違って「子どもが主人公」というところではないかと思っています。学校というところは──いくら教師が弁明したところで──パターナリズム(権威をバックにした温情主義)の権化として教師が主人公の学び場であり、上意下達によって上からの指令が絶対的な重みを持つ場なのです。

▼人権を制限する収容施設としての学校
そういうことも含めて、日本には伝統的なパターナリズムの論理が幅をきかせる機関が幾つかあります。学校、病院、刑務所、少年院、児童養護施設……。そして、これらに共通しているのは収容施設であること、そこに収容された人間はみな人権が制限されるということです。
かつて、映画の黎明期、ドイツの無声映画の中に『カリガリ博士』というのがありました。ある人が偶然殺人現場を目撃します。彼は犯人を追って行きますが、逆に何者かに捕まえられ収容されます。そして、そこは精神病院でした。何と彼が殺人犯として追っていた人物はそこの院長となっているではないか。彼はそのことを病院の同僚に「実は……」と話します。しかし、誰が精神病院の患者の言うことを真に受けるでしょうか。これは一種の典型的なのフィクションには違いないですが、「事実は小説より奇なり」で、アンビリバボーな現象がよく散見されるのがこの現実世界です。

▼フリースクールでの学びをバネに人生にトライする
「蛮勇」と言って、無駄な争いをして命を粗末にする必要はありません。だから、「いきいきニコラ」や「フリースクール・ぱいでぃあ」のサイトでも「逃げろ!無駄に死ぬことはない。より生きるために逃げろ!」という趣旨のことを述べています。しかし、そうやって逃げたところで、自分の個性を意識すればするほど、周りの人間が自分の思いを解消してくれると思わない方がいいでしょう。そうではなく、自分の生き方を追求する中で周りの自発的な支持を得られることが大事なのではないでしょうか。だから、フリースクール・ぱいでぃあに逃れてきた子どもたちには、自分に自信を持って自己卑下の感情を克服すること、均一な統制の輪から外れたか否かで自分を判断するのではなく様々な異質な個性のぶつかり合いを通して人の中で生きる生き方を身につけることなどを、教科学習と同等に、場合によっては(その方が多い)それ以上の重きを置いて行動出来るようになることを大事にしています。もっと言えば、自分に自信を持ち元気にさえなれば、少し道草を食ってフリースクールで学んだことも含めて、今までの経験をバネとして未来の自分づくりにトライすることが出来るのです。

▼社会への架け橋としてのフリースクール
だから──振り出しに戻りますが──NPOに基づくフリースクールの活動の一環として、その主役としての子どもたちに大いに参加し、活動してもらいたいと思っています。今はもうただ決められた勉強をしていればそれで何とかなるという時代ではないのです。ところが、学校に代表される教育機関は今まで社会の悪弊が教育を汚染しないように社会との間に塀を立て(これもまた収容施設に共通している)、子どもたちを純粋培養するような形で教育を営んできました。しかし、その社会的有用性はとうに失せてしまっています。今ではむしろ社会から切り離された学びの方が問題視されるようになって来ています。世界の子どもたちと比較して日本の子どもたちは幼く社会性に乏しいと批判される所以です。ですから、①何でも見てやろう、聞いてやろう、体験してやろう。②書を捨てて街に出よう、野山に出よう。③学ぶ気になれば本はどこにでも開いている。──「フリースクール・ぱいでぃあ」のこのモットーを今後も掲げて活動していきたいと思っています。

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市橋は「いい子の非行」の暴発者か?

2009年11月15日 | 教育全般

市橋は「いい子の非行」の暴発者か?

▼誰もが望んだ市橋容疑者の早期の逮捕
「ついに」と言うべきか「ようやく」と言うべきか、英会話講師、リンゼイ・アン・ホーカーさんを殺害・遺棄したとして指名手配されていた市橋達也容疑者(30)が逮捕され、関係者だけでなく「ほっとした」人は多いのではないか。それだけ誰もが一日も早い逮捕を望んだ事件であった。まずは被害者とその家族の方々に手を合わせたい。

▼整形でも本質は変えられない
多分、国民の多くは市橋容疑者が既にどこかで自殺しているのではないかと思い、またそうであることを望んでいたのではないか。だから、逆に発見が遅れたのだとも言えそうだ。「もうこの世に生きていないのではないか」と思っていたから、誰も周囲の人間を市橋容疑者ではないかと探るような見方をしなかったのだ。
ところが、整形外科医との協力で新しい指名手配の写真が公表されると、「えっ、彼は生きていたの?」「顔を変えてどこかに潜んでいるの?」ということになり、俄然周囲の人たちの見方も変わり、市民の通報もあって、あっけない逮捕となった。どんなに整形で顔形を変えても、たとえば耳の形とか目の表情とかは変えられないし、人としての本質は変えられない。

▼市橋の生き延びるための知恵
しかし、彼が何度も整形手術を重ね、容貌を変えているとは──必ずしも想定外のことではなかったけれども──やはりかなり意外なことではあった。だから「そんな金は持っていなかったはずだ」「誰か金を渡していたのか」という疑問も新たに生まれた。事件を起こす前、彼は半ば引きこもりのフリーターのような生活を送っていたようだけれども、彼に生きるための能力が乏しかったというわけではなかったようだ。いざとなれば建設現場の作業員をやって整形手術のための金を工面するような知恵までもあったようだ。惜しまれるのは、そういう保身の形でしか生きる知恵を発揮できなかったということだ。

▼自らの夢も才能も踏み躙って
彼に関する別の報道では、事件前彼は似顔絵のイラストが得意で、似顔絵を描いていろいろな外国人と当たりをつけていたことが報じられていた。そのイラストを見たが、素人目にも実にうまい。玄人裸足ではないかとさえ思える。彼はこの才能をリンゼイさんとコンタクトを取るための手段とし、彼女の似顔絵の余白に自分の名前と住所、電話番号を書き込んでいたらしい。こういった才能を彼は何とも悲惨な事件でドブに捨ててしまったが、もっと別の生かし方があったのではないかと思えてならない。
空手部サークルの顧問であった千葉大名誉教授の本山直樹さんの話では「千葉大園芸学部卒業後は、市川か浦安の辺りに住み、設計事務所でアルバイトをしながらデザインの実務経験を身につけたい、と話していた」という。その夢も自ら踏み躙ってしまったことになる。

▼両親が医師の恵まれた家庭の子
なぜこういう酷い事件を起こしたのか!? その核心は本人でなければ分からない。しかし、彼もまた悲劇の人物の一人なのではないか。生い立ちを見ると、彼の父親は医師で、母親は歯科医である。彼は幼いころから裕福な家庭に育っている。そして、中学・高校時代は何の問題もなく活発に過ごしている。高校では陸上部に属し、国立大理系を目指す進学クラスで明るく頑張っていたという。世間的な見方をすれば、順風満帆の人生であったように見える。一体、そんな彼に何があったというのか。

▼期待される人間になれなかった自分
ところが、そんな彼は大学受験に失敗する。浪人を経験し、都内の私立大二部に進学するも満たされず退学し、結局、22歳で千葉大園芸学部に再入学する。多分、千葉大園芸学部に合格したことを「ヤッター」とか「ラッキー」とか喜ぶ人間がいる中で、これを転落とか挫折と捉えるならばそれは本人の心の持ち方から来るものだ。それが彼にはなぜ引きこもるほどの挫折なのか。それは周囲から「期待される人間像」を自分が演じられなかったからではないか
先述したように、彼の父親は医師で、母親は歯科医である。当然、彼もまた医学部に進み、医師になることを期待されたことだろう。そして、彼も当然そうなるべく夢見て育ったことは想像に難くない。だが、現実は甘くなかった。残念ながら医者になる才能は彼にはなかったようである。そして、彼自身もまた自分の才能は別にあると感じていたのではなかったか。先の空手サークルの顧問の教授はそれにいみじくも触れていた。そして、とても残念な形ではあるが、リンゼイさんに渡した彼の描いたイラストがそれを雄弁に物語っているように私には思える。

▼子どもの独自性を認めない日本の親
ここからは彼自身の話というよりは日本の教育の話になる。日本の親たちは姿形が親に似るからか、子どもの才能や資質までも親と同じであると思い込みがちである。子どもを親とは違う独自の個性を持つ存在とは考えず、親と同じであろうと思い込む。もしそれが本当に親の思い通りであれば問題はないが、子どもが親とは全く異なる才能や夢を持っている場合には問題となる。子どもの人生が認められないばかりか時には激しく叱責され、その子の存在が認められなくなる場合さえある。「蛙の子は蛙」であることもあれば「鳶が鷹を産む」こともあり、一様ではないのが一般であると心得ながら、いざそれがわが身のことになると受け入れられない。もしかするとそれは赤い花の種なのかも知れないのに親は黄色い花の種であることを要求してやまない。そういうことも起きてくる。それでは子どもとしては立つ瀬がなくなる

▼理屈を超えた親子の繋がりが見えない
市橋達也容疑者の整形手術の話や逮捕のニュースが報じられた時、彼の両親がどのように反応されたかとても気になった。「できれば自分から出頭してほしかった」「捕まってホッとしている」「罪を償ってほしい」「極刑も受け入れる覚悟」(以上、父)「やっと捕まってくれたか」(母)などと言ったことが報じられている。これは極めて主観の領域になるが、取材記者は両親の印象を「淡々とした表情で話した」「悔しそうな表情で」などと評している。一方で「あくまで息子はかわいいと思っているが…」という声も紹介している。そこには犯罪者(容疑者)を子に持った世間一般の親の姿があるとも言える。
しかし、「しかし」である。自分も一人の親として言うのだが、そういう子ではあっても、そこには理屈を超えた親子の繋がりが見えるものである。ダメ親でありダメ息子であること、それであればあるほど、それでもその親の子でありその子の親であるという理不尽とも言える切れない絆が見え隠れするものである。ところが、この親にはそれが見えない。逮捕された後、市橋容疑者が記者に問われて吐いた一言が印象的である。「医者にはなれなかった」と。彼は両親に精神的に捨てられた子どもだったのではないか。

▼気付いた時はもはや変えようのない自分
子どもは基本的に育てられたように育つ。育てられなかったようには育たない。そして、小さな子どもは自らそれを選べない。まだ自分で判断する力もない。子どもはただ与えられた環境の中で受容的に育つしかないのだ。それに、子どもにとっては親の期待に応えることが最大の喜びでありあり励みである。
しかし、大事なことは子どもは親の庇護下で育つが決して親の付属物ではないということである。やがて子どもは自らの独自性を発揮していく。ところが、同時にこれまでに意識的にせよ無意識的にせよ、育ちの中で自分を形作ってきたものを簡単に否定することは出来ない。良いにせよ悪いにせよ、それが今まで承認され良しとされてきた自分なのだから。「しまった、こう生きるんじゃなかった!」と気づいた時には、もはや自分では変えようのない自分が出来上がっていることを知るのだ。
教育の持つ怖さ、恐ろしさの一面である。

▼若者の無念の告発の声を聞け
この一種猟奇的な殺人事件には常人の想像を超えていることがある。だから、この市橋容疑者の事件の場合もどこまで核心に迫れるか分からない。しかし、これを子育て・教育的な側面から考察することも意義がないとは思えない。特に今、高学歴で一見高思考の若者の意外なほど浅はかな犯罪が頻発している。これには子育て・教育に関する共通項があると私は見ている。
もっと子どもたちが一人ひとり独自の個性を認めてもらえるなら、そうして偏狭な枠に閉じ込める教育観から自由にさせてもらえるなら、子どもたちはもっと自由に自分の道を自信を持って歩んで行けるのではないか。
その意味で、子どもたちの悲惨な事件の数々からは、それによって決して正当化は出来ないけれど、それを引き起こした子どもたちの、自分で人生を切り開くことの出来なかった無念の懊悩や呻吟が聞こえてくるように思えてならない。もしかしたら、この社会に居場所を見出せなかった若者の引き起こす事件の数々は、この社会の側に身を置く私たちはへの身を挺しての告発かもしれないのだ。

※「いい子の非行」については、
http://www.os.rim.or.jp/~nicolas/iikonohikoukara.html
を参照してください。

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高校無償化の前に義務教育費無償の徹底を(1)

2009年11月10日 | 教育全般
高校無償化の前に義務教育費無償の徹底を(1)

▼国民は民主党に希望を託した
 民主党が政権を取り、国民の間に「何かが変わるのではないか」という希望や期待感が漂っている。戦後ほぼ独裁的な長期政権にあった自民党の時代にはほとんどなかった空気である。これは日本の将来に向けては好ましい現象だろう。しかし、ノーベル平和賞が米国のオバマ大統領に決まり、実績よりも希望への賞だと評されたように、民主党への国民の支持も民主党が何かを為したからというのではなく飽くまでも希望的観測に基づくものである。
 八つ場ダムをはじめとする全国のダム建設や郵政民営化についても「見直し」であり、高速道路無料化や子ども手当てにしても国民に公約したマニフェストとしての政策での実現が評価されてのことであり(中には反対運動の激しいものもある)まだ何かを為したことが評価されたわけではない。

▼国民は教育の変化を期待した
 教育に話を絞れば(民主党の陰に日教組の強力な後押しがあったと言われている)、教員免許の更新制の廃止、全国学力テストの見直し、高校無償化や子ども手当ての実施など、かつて教員たちが自民党政権の方針に反対して打ち出したものや、経済格差が教育格差に連動する中で子育て中の親たちが望んでいた政策であるものが多い。民主党の政策がそういう国民の支持を集めたことはまず間違いはなかろう。

▼教育者の言い訳が正当化されかねない
 ところが…である。自民党との政権交代や民主党主導の政治を待ち望んでいた人たちの願いがこれで十分に叶えられたかというと必ずしもそうとは言えない。今回の政権交代で日教組関係者の力が増したのだとすると、逆に教育分野では今までの国民に対する言い訳がそのまま正当化されてしまうようなことが起こらないとも限らない。つまり、新政権によって他の分野では国民の声に基づく改革が進むのに比して、教育分野では逆に停滞しかねないのである。

▼日本の教育はこれで大丈夫か
 子ども手当てや高校無償化の施策は新政権らしい斬新な政策である。が、これにしてもOECD参加国の教育政策と比較したならば、遅きに失した政策の実現に過ぎない。今までの自民党には、将来に向けた国家の展望も教育が国家百年の大計である認識もあるようにはまるで見えなかった。ただ為政者にとって政権を維持するために都合のいい従順な国民を育てるための教育をしているように見えた。では、民主党の新政権になって、日本の教育はこれで大丈夫だと言えるようになるだろうか。

▼教育行政の不登校対策は疑問だらけ
 何かの縁で、月刊の専門雑誌の発行やフリースクールの設立を通じて、ここ15年ほど不登校問題に接してきたが、その間教育行政でどのような変化があったかというと、平成4年の文部科学省の報告において,不登校は特定の子どもに特有の問題があることによって起こることではなく「誰にでもおこりうる」と認めたこと以外、何の進展もなく来たように見える。そして、「不登校対策」と称して見当違いの方向に多額の資金を無駄に湯水のように注いできたという印象が強い。一体、それらの対策でどんな成果が上がったというのか。

▼不登校生が求める場所に支援を
 もし、──これは今のところ全く架空の話だが──それらの資金が行政や学校の不登校対策費に回されるのではなく(その中には、相談室登校や適応指導教室、カウンセリングなどの多くが含まれる──これらの機関は結局は不登校生をダメ人間扱い視する))、不登校の児童生徒が本当に救いを求めている機関(フリースクール等の文部科学省の指導から自由な学び場など)などにその何分の一かでも注がれていたならば、不登校を取り巻く状況は今とはかなり大きく変わっていたのではないかと思えてならない。

▼目先ではなく根幹からの教育の変化を
政権が交代して民主党政権が誕生し、八つ場ダム見直しなど矢継ぎ早に新政策が打ち出されているのは歓迎である。教育に関係する法案も子ども手当てや高校無償化、給付型奨学金など経済格差が教育格差に連動している今、マニフェストに掲げられた幾つかの子どもの教育を支援する法案はぜひ実現してほしいと思う。だが、そういう口当たりのいい目先の変化だけを見て、日本の教育が本当に根幹から変わりつつあるのかというと甚だ疑問である。

▼県教委と市教委の不登校への対応の差
今回、私たちは、県には一昨年訪ねているので、今年度はさいたま市の教育委員会に出向いて、不登校を抱えている家庭の窮状など様々な問題を現場の声として伝えに行こうと思った。一昨年のフリースクールとその親の会の訪問で、県教委の場合は少なくともその時点で出来るだけの対応をしてくれたと思っている。その後、県内の親御さんを招いての不登校問題での協力の要請はその現われでもあったろう。では、さいたま市教委の場合はどうか。そこには呆れるような対応が待っていた。

(その2へ続く)

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同質性を求める学校と個性を尊重するフリースクール

2009年11月02日 | 教育全般
同質性を求める学校と個性を尊重するフリースクール

▼同質性を求める学校という空間
日本の学校という空間は一般に、一斉授業形式が象徴するように、生徒に同質性を求める場所である。今は形式的には追放されているが、元々は偏差値的価値観が大手を振るっていた場所である。これは個性尊重の空気が社会に広がりつつある今も、学校では本質的に変わっていない。成績の評価に絶対評価の物差しを導入したというが、実際は相対評価の変形であるに過ぎない。

▼観点別評価の主観性・恣意性
たとえば、学校での「観点別評価」について、学習指導要領の視点からは次のように述べられている。「実習を評価するときには、実習の成果だけでなく実習の過程における生徒の努力も評価することが大切である。」(学習指導要領解説 情報編)。さらにこういう但し書きもある(別紙第3)。《評定にあたっては、ペーパーテスト等による知識や技能のみの評価など一部の観点に偏した評定が行われることのないように、「関心・意欲・態度」、「思考・判断」、「技能・表現」、「知識・理解」の4観点による評価を十分踏まえながら評定を行っていくとともに、5段階の各段階の評定が個々の教師の主観に流れて客観性や信頼性を欠くことのないよう学校として留意する。その際、別添3に各教科の評価の観点及びその趣旨を示しているので、この観点を十分踏まえながらそれぞれの科目のねらいや特性を勘案して具体的な評価規準を設定するなど評価の在り方の工夫・改善を図ることが望まれる。》

▼学校は教師が主役で生徒の評価権を握る
ここからも察せられるが、学校という場は、一見個性を尊重するような姿勢を見せながら、最終的にはそれを発揮する行為を認めない場である。それが上記の「観点別評価」に基づくところの悪名高い「内申書」の評価に繋がっている。では、100歩譲って、それが正確で客観的な評価になっているだろうと認めたいとしても、なんのなんの上記の表現にもあるように、「評定が個々の教師の主観に流れて客観性や信頼性を欠くこと」が十分にあり得るし、実際にそう運用されているシステムなのだ。「生徒にとって都合悪いことは書かない」というのは言い訳に過ぎない。第一、言うまでもなく、公文書に恣意的なことを書いていい筈がない。こうして、学校は教師が主役であり、場合によっては生徒をいか様にも料理できる生殺与奪の権を握っている場なのだ。

▼「いい子」は学校教育でつくられる
だから、生徒やその保護者は学校で「よい子」を演じることに汲々としている。こういう空間では、教師に好感を持たれる振る舞いを出来る者がよい評価を得る。そのためには、本来の自分を殺さねばならないことも出てくるのだ。今問題なのは、昔からいるどう見ても不良であるいわゆる「悪い子」ではなく、学校でもどこでもいい印象を与えるように振舞おうとするいわゆる「いい子」なのだ。「いい子」であろうとして、結果的に自分づくりにお留守になる。そして、ある時暴発する!今、そういう子どもが増えている。学校で教師からいい子の評価を得ようとする行為がそういうことに行き着く。こうして問題児になる「いい子」は学校で作られるのだ。
(私たちのNPO法人の理事を務める佐々木光郎氏(現静岡英和学院大学教授)が『いい子の非行』というタイトルの本を出版されたのも、そういう学校教育の下で生まれた子どもたちが対象である。佐々木氏は長年家庭裁判所調査官として家庭問題や子どもの非行の問題に関わってこられた方)
そもそも成長段階の途上にある義務教育下の子どもたちに「いい子」か否かの評価を下すことが必要なのだろうか。

▼習熟度別クラス編成は教師のため
それだけではない。学校は生徒のためではなく、教師にとって都合のいいことを次々と決め事とし、成文化したり不文律かしたりする。どう処理するかは教師のさじ加減一つである。たとえば、「習熟度別クラス編成」。もしかするとこの方式は子弟を進学塾に通わせている教師が思いついた発想かも知れないが(独創的な発想を教師が思いつき実行するとは思えない)、これは有名進学校受験を目的とする進学塾で教師が最も効率的に生徒を指導しやすいシステムなのだ。

▼習熟度別指導は教育に有害
若い時に受験進学塾で御三家目標の進学指導をした経験からもよく分かっているが、これは上位クラスには入れないいわゆる「できない子」にとっては最悪のシステムなのである。出来が悪かった生徒は必然的に上から落ちてくる(そうならないために生徒は頑張る)が、そもそも出来ない生徒が頭が良くなって上に行くというシステムではない。下位の生徒は上位の生徒の勉強をしていないのだから。それでも上に上がることがあるのは、成績によって循環させなければならないシステムであり、上位クラスに空きが出来たからに過ぎない。(習熟度別クラス指導が学校教育の場では有害であり破綻しているのは、フィンランドメソッドなどと比較してみれば良くわかる)習熟度別指導を叫ぶ教師は学校を収容所のような施設と考えており、官吏ではあっても教育者ではない。

▼個性のある子が尊重される教育を
このように、学校では現場を統括する教師が主役を演じ、指導しやすいシステムが組まれている。だが、それは決して生徒のためではない。まして生徒の個性を尊重するためでは決してない。生徒の個性は学校教育の場ではむしろ疎んじられる悪であり、決められた枠を超えて発露すべきものとは看做されていないのである。だから、そういう個性のある子には学校という場はとても住みにくい。息苦しい。そして、場合によっては、「何らかのきっかけ」で学校に行けなくなってしまう。「何らかのきっかけ」と言ったが、それは往々にして同質性を良しとする教師やそれに従うことを良しとする生徒によってもたらされる。

▼学校は体裁・面子で登校刺激をする
生徒が不登校となったりフリースクールに行くとなったりすると、学校側は慌てて登校刺激を活発にし(そうなるまでは放って置いたのに)、あたかもその生徒を大事に思っているような素振りを見せるが、それは不登校の存在を認めたくないという学校の都合や面子のためであって、その生徒自身を思ってのことではない。学校というところは、何かの事件でも起きない限り「何もないいい学校」「いい生徒」ということになる。そして、生徒が学校に来ないのは、その生徒に問題があるからということになる。それが今の学校の現状である。しかし、それを問題と考えるか発達課題と考えるか、その差はとても大きい。今の教師に子どもの個性を尊重する教育を期待する方がどだい無理なのかもしれない

▼「コンクリートから人へ」の教育の実現を
政権交代によって民主党政権が誕生したが、この図式がはたして民主党の「コンクリートから人へ」の政策転換によって変わるのだろうか。
私たちフリースクールの親たちは、今月、教委に「不登校生の親たちの声」を届けに行く。

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戸塚ヨットスクールでの投身自殺(?)から思うこと

2009年10月21日 | 教育全般
戸塚ヨットスクールでの投身自殺(?)から思うこと

#「教育行政を見守る民間の第三者機関が必要では(2)?」の投稿を予定していたが、緊急の投稿内容を挿入します。

▼戸塚ヨットスクールで飛び降り自殺?
 19日午前、愛知県・美浜町にある戸塚ヨットスクールの寮の屋上から、18歳の女性が飛び降りて死亡した。警察は、自殺の可能性が高いとみて調べている。──というニュースを目にした時、痛ましさと同時に「またか──」という思いが脳裏を横切った

▼戸塚ヨットの衝撃的な事件
「戸塚ヨットスクールでの死亡事件」──それは有り得ないような衝撃的な事件であった。今でもネットに多数載っているので誰でも容易に検索が出来る。「同スクールは以前、体罰を伴う厳しいスパルタ式ヨット訓練で知られていた。1980~82年に訓練生が死亡するなどの事件が起き、同校長は傷害致死などの罪に問われ、懲役6年の実刑判決を受けた。同校長は2006年に刑期を終え、校長に復帰した。」(時事通信から)

▼今でも支援者の絶えない戸塚ヨット
一般の人たちが奇異に思うのは、あれほどの死者・行方不明者を出した非教育的・反教育的事件であったのに、判決は意外なほど量刑が軽かったこと、戸塚ヨットスクールの存続を認めたこと、それでも戸塚校長を支援する多くの親たちがいたこと、などである。今回の事件についても、「えっ、戸塚ヨットスクールって今でもあるの?」とか「問題はそういうスクールに入れれば死ぬかもしれないと知りながらそれを求める親たちがいたということだ」というような声が聞こえてくる。

▼「戸塚ヨットは必要」いう学校の教員
1992年(平成4年)8月14日付の『朝日新聞』では、精神障害の息子をもつ60歳の教員の次のような投書を紹介している。<戸塚ヨットスクールを頼った大半の人々も私どもと同様に感謝こそすれ、恨む気持ちは毛頭ないのではないかと思う。事故は残念だったが、国に私どもを救済する手だてがない限り戸塚ヨットのような存在は必要だ>これが学校現場に身を置く教員の声であるところが何とも複雑だ。

▼驚くべき体罰容認の教育観
ちなみに、「戸塚ヨットスクールを支援する会」というのがあり、その会長は現東京都知事の石原慎太郎氏である。そこには、「罰は子供を強くするため、進歩させるために行われます。 『叱るよりほめろ』では子供は強くなることができません。いかに多くの罰を受けたかが優しさを決めます。人のことを思いやる力をつけるには、体罰は最も有効です。」(「教育における体罰を考える」シンポジウム)とある。驚愕すべき教育観である。

▼日本の教育の歪みが噴出した事件
日本の教育はいつからこういうことになってしまったのか。ある意味では、日本の教育のおかしさが今回の戸塚ヨットスクールでの飛び降り自殺のような形でまたも噴出したのだとも言える。例えば、精神障害の問題一つとっても、それが生得的な病の場合もあれば後天的に生きる環境の中で作られる場合もある(教育がその元凶であることがしばしばある)。そのいずれにせよ学校現場から追放され、あたかも人間の出来損ないか、調教してしつけなければどうにもならない家畜や番犬・ペットのような扱いを受ける。先に見たように、教育現場で教職に携わる教員の親さえもそれを望んでいるのだ。有り得ない非人間的な異常さである。戸塚ヨットスクール事件はそうした教育問題の氷山の一角に過ぎない

▼日本の教育の実態を認識しよう
しかし、率直に言おう。こういうフリースクールは絶対にあってはならない。そして、こういうフリースクールを求める親や保護者もあってはならない。どう言い訳をしようが、こういうフリースクールの存在を認めるわけにはいかないのだ。子どもを主体とするフリースクール本来の趣旨とは大きく異なるだけでなく、全く逆の主張を臆面もなく掲げている団体である。しかし、現実にはそれをよしとする親や保護者がいるだけでなく、日本を代表する自治体の長までもがその後援会長を務めてさえもいる。これが日本の教育の置かれている現状である。日本の教育をどうこう言う前に、まずこういう現状をしかと見定めておく必要がある。あなたもそれを是認するのだろうか。

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教育を見守る民間の第三者機関が必要では?(1)

2009年10月16日 | 教育全般

▼政権交代で何が変わったのか
自民党主導から民主党主導へと政権が交代したが、そのことによって全てが大きく変わるわけではない。さすがに新政権はやることが違う、国民の声をよく反映していると見えるものがある一方、多くの国民の声を反映していないと映る政策もあれば、国民の声がよく分かっていないばかりか流れに逆行しているのではないかと思われる施策も散見される。民主党政権といえども利権から自由ではない。いや、そこに新たな利権構造さえ伺い知ることができそうである。

▼戦後の日本国憲法の果たした役割
今までは自民党政権であったが、衆議院で圧倒的多数を占めていた自民党とはいえ、たとえば国の根幹に関わる憲法を変えることはそんなに容易なことではない。今の日本国憲法がどういう経緯を経て誕生したか、それが戦後の民主主義や不戦による平和主義の推進にどのような力を発揮したか、国民の多くは忘れたわけではない。自民党持ち回りの安倍晋三首相が「戦後レジームからの脱却」というスローガンを掲げて参議院選挙で大敗を喫したが、戦前の日本がどんな社会であったかを国民はなお鮮明に記憶し理解している。それに教育分野では日教組による平和教育の保持が抵抗勢力として大きな役割を果たしてきた。

▼文部省が広めた『あたらしい憲法のはなし』
自分達はフリースクール(ぱいでぃあ)という学校外の、文科省指導外の教育活動を行なっているが、自民党政権の時は訳の分からない持ち回りの文部科学相が的外れな発言や指導を行なったことが多く、面従腹背かどうかは分からぬが文科省もそれに唯々諾々と従ってきた。たとえば、今は憲法を改変する勢力が体勢を占めるようになった文科省だが、日本国憲法が公布された翌年に、『あたらしい憲法のはなし』という小冊子を中学一年用の社会科の教科書として作成したことは周知の事実である(現在、童話屋から復刻本だ出されている)。文部科学省は政権与党に寄り添いながら、情勢によって風見鶏のように主義主張を変えてきたのである。

▼利権集団としての日教組
では、文科省に対する大きな抵抗勢力であった日教組という組織が、日本国憲法の重要な柱の一つである平和主義を掲げて平和教育を行い、本当に子どものための教育を推進してきたかというと、首肯できない教育活動が数々あったのである。それは必ずしも文科省に対抗するためとか文科省からの制約を受けていたからというような言い訳では済まされるような事柄ではない。彼ら日教組もまた一つの利権集団として振舞い、その利益にそぐわないものは頑として認めようとはして来なかったのである。

▼教職員が主役の学校教育現場
日本の学校教育を、すこし距離をおいたところから眺めてみるといい。日本の文科省は日教組等の教職員と対立して来た(特に各自治体の教委レベルで)とはいいながらそのほとんどは日本の教職員にとって都合の良い政策が取られている。押し合いへし合いはあるが全くの対立関係というわけではない。それに、子どものための教育と言いながら学校という組織ではその主人公は教師達であることは公然の事実であった。子ども達のための教育という文言はそのためのダシに使われていたとも言えそうだ。「ゆとり教育」は生徒のためにあったはずだが、いつの間にか教員のゆとり時間に化けてしまい換骨奪胎してしまったのもそのためである。(教員の厳しい環境とは言っても、学校を離れた子ども達を引き受けるフリースクールの過酷さの比ではない)

▼自分が主体の場を求める子ども達
しかし、このことは学校の内部にいれば、もしかしたら気付かないことかもしれない。教職員達は子ども達のために粉骨砕身、骨身を削って働いていると思っているかもしれない。ところが、私たちのようにフリースクールを営み、学校という空間の中で仲間の生徒や教師からいじめやしかとをはじめ様々な理不尽さに苦しみ、挙句の果てに学校を離れた(不登校・登校拒否と教育関係者は言う)子ども達と接していると、大部分の子ども達にとって学校という空間は教職員が子ども達の生殺与奪の権を握り、子ども主体の場などではなくなっていることがよく分かる。フリースクールに来てはじめて自分達が主体として行動できる場を得たことを実感している子どもの姿を目にするのである。

(続く)


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改めて「フリースクールとは何か」を考える

2009年09月15日 | 教育全般

改めて「フリースクールとは何か」を考える

▼「教育落書帳」というタイトルに相応しく
 「教育落書帳」と言っておきながら、随分肩の凝りそうなボリュームの話ばかりが続いてしまった。幸いそういう内容を丁寧に(賛否はともかく)呼んでくださる方もいらっしゃるようだが、「ブログ」という性質上、小論文のような堅苦しいものよりはもっと気軽な「心象スケッチ」風のものの方が好まれるのかもしれない。他の方の人気のブログなどを覗いてみて、そんな感じも持った。
 そこで、「教育落書帳」というタイトルに相応しく、日々の出来事でふと心に残ったことや、気ままなクロッキー風の走り書きやスケッチの類もまたいいかなとも思っている。

▼フリースクールでの「学び」について
 「フリースクール」というと一般の人は、学業に付いていけなくなったいわゆる「落ちこぼれ」さんの集まりという印象を持つようである。確かに知り合いのフリースクールでも「学びの○○」というような謳い文句で広報をしていても、実際には学業困難な子ども達が集まっていて、その活動も当然ながらそういう子どもに合わせたものになっている。これが、良くも悪くも日本のフリースクールの大体の姿である。そして、まず何よりもそういう目的のために日本のフリースクールは開始したという歴史もある。
 そういう子ども達の場合には、やはりそういう関わりが重要であろう。そして、まずはそういう子ども達が学業はともかくとして、人から愛される価値ある存在となるために、「個性の尊重」とか「個性の伸長」というような文言が掲げられているのも肯かれるところである。そういう子ども達の中には、人と違う個性を良くないものと考え、自分の個性を消さなければ…と腐心している場合もないわけではない。

▼他のフリースクールから回ってくる子ども達
 しかし、実際に不登校となり登校拒否となる子ども達が全員そういうタイプの子ども達ばかりではない。「出る杭は打たれる」とでも言うべきか、強い個性や能力を持ち、それゆえに学校の指導や学校の仲間から排除されてしまうというような子が、全体のパーセンテージは高くはないかもしれないが、確実に存在するのである。
 そういう子ども達にとって、フリースクールが掲げる「学びの○○」という謳い文句は非常に紛らわしい。実際にそういう文言に誘われて入学してみたものの、そのフリースクールで行なわれていることと自分が求めているものとの落差に愕然とすることもないわけではない。その子自身も救いや再起を求めてフリースクールに入学したものの、逆にそこでは「白鳥」ならぬ「醜いアヒルの子」として扱われ、居場所をなくしてしまうこともある。実際、私たちのフリースクール・ぱいでぃあには毎年そういう子ども達が何名もやってくる。いわゆる、フリースクールからフリースクールへの転校である。そして、ようやくここに自分の羽を休め再び羽ばたいていくに相応しい場を見出してほっとしている姿がある。

▼自立をめざすフリースクール
 学校から離れてフリースクールにやってくる子ども達の中には、心や身体に障害を持っていたり、その他の事由で一人で年齢に見合った活動をすることがなかなか難しい子もいる。その場合には、子どもの側に立つというフリースクールとしての関わりが、ともすると子ども中心のではなく親やスタッフ中心の活動となってしまうことも否めない。子どもはいわば刺身のツマとなる。
 しかし、誤解を恐れずに再度言わせてもらうが、学校を離れる子ども達はそういう子ども達ばかりではない。時には学業がオール5で学校ではトップクラスの成績であったり、学校では評価されなかったり評価の対象にはなりにくい様々な才能や個性を持っていて、それ故に学校には行けなくなったという場合もよくあるケースである。たとえ学校が様々なタイプの生徒を想定して運営していたとしても、学校という枠組みが先にあり、それに合わせることを個々の子ども達に求めるのが通例である。だが、どの子も既製服がぴったりと身体に合うわけではない。大きすぎる子もいれば小さ過ぎて体を通せない場合もあろう。だが、自分流に学生服を改造していいかというとそれはまず許されない。「みんな一緒」という思想が教員にも生徒にも浸透している。そういう子の場合にはやはり「自分を生かすために」学校を離れざるを得なくなる。

▼全員が高校進学へ羽ばたいて
 私たちのぱいでぃあを「不登校のエリート達が通うフリースクール」と称する人たちがいる。確かに、自立心が旺盛で勉強のやる気のある生徒が多いのは事実である。が、それは結果から判断した印象に過ぎない。実際には、勉強が好きな子や嫌いな子、他に才能や個性のある子など、様々な子が通っている。
 もとより、フリースクールは進学塾ではない。進学の実績を誇ることもしない。だから、やる気のある生徒だけを集めるとか、入塾テストを行い偏差値の高い生徒ばかりを優先的に集めるとか(偏差値の高い生徒を集めれば、塾の指導の如何にかかわらず必然的に進学実績も高くなる)、そういう募集は一切していない。だから、不登校生なのに自信に満ちて元気がいいとか、出来る子が多いとかいうのは、初めからそういう生徒であったというのではなく、ぱいでぃあというフリースクールに通う中で当然の結果として身に付いたということである。
 ぱいでぃあに相談に来る親御さん達は一様に「ここのお子さん達は元気がいいですね」と言われるが、初めからそういう子ども達ではなかった。どの子も一様に自己卑下等のマイナス感情で一杯で、明日の自分どころか今の自分さえ確かでなく、勿論勉強どころの話ではなかった。周りから自分に投げつけられた言葉で自分を評価し「どうせ自分なんて…」という思いに囚われていた子ども達であった。そうであった子ども達がここから飛び立っていく時には、みな希望と自信に満ちている姿がある。こうしてフリースクール・ぱいでぃあからは毎年、全員が希望の中学や高校へ進学を果たして飛び立っていく。

▼不登校をよい経験として
 今年度、早々と東京の有名企業に就職が内定したぱいでぃあのOBの子が報告にやって来た。この夏休み、その子にぱいでぃあにいた時のこと、イギリスのサマースクールで過ごしたこと、公立受験校への進学、京都の有名大学への進学、そして大学4年生になってからの東京での就活のことなどについて、ぱいでぃあに通っている子どもやその親御さん、参加された外部の人などに自由に語ってもらった。
 その子は、中学時代に学校を離れてフリースクール・ぱいでぃあに通っていたことを高校に進学してすぐに友達にカミング・アウトをしている。彼女は中学時代をフリースクールで過ごしたことを卑下せず、逆に学校にいては体験できなかった貴重な体験をすることが出来、自分の望むように勉強できたことを誇りに思っているのである。

▼フリースクールは子ども主体の独立機関
 とはいえ、ぱいでぃあにそういう子ども達を養成する特別なマジックがあるわけではない。もしそういう思い上がりで子ども達と関わっていたならば、決してうまくはいかなかったであろう。フリースクールは単なる不登校生の受け皿の機関ではない(そう考えている教育関係者は多いが…)。文科省が認可しようがしまいが、フリースクールは何よりも子どもが主体となって取り組むことの出来る民間の教育機関である。そこで子ども達が自分を信じ、自分を取り戻し、自分の人生づくりに励むのを側面支援するだけである。
 こう書くと、偏狭な教育観の持ち主は「子どもの勝手にさせていいのか!」などと頓珍漢な反応を見せる御仁もないわけではないが、言うまでもなく「子どもが主人公」ということと「子どもにおもねる」こととは別である。この区別が分からないようではフリースクールの活動の意義をどこまで正確に理解しているのかも疑問であるし、果たしてそういう人が本当に子どもの自立や社会参加の支援をする活動、つまりは子どもの教育活動に従事してもいいものかどうかも疑問である。フリースクールという場が不登校か否かにかかわらず、子ども達主体の学び場(学校はどう見ても先生が主役の場だ)である道を更に求めて行きたい思う。

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親は子どもを番犬やペットにするな (2)

2009年09月12日 | 教育全般

親は子どもを番犬やペットにするな (2)

▼間に合わせの処世術
 「学歴も学校の神話も崩壊した」と言われて久しい。「良い学校 → 良い大学 → 良い会社」という図式はもはや成り立たず、学校での成績がその後の社会生活に直結しない場面もしばしば見られるようになった。が、少子化の中でも進学熱は収まらず、相変わらず塾産業は栄え、私学に対抗した公立の中高一貫校も次々に誕生し、偏狭な競争原理が依然として教育界を支配している。しかし、それは先に見たように、最善の解決策として選択したのではなく、間に合わせであり取り敢えずの処世術である。

▼新しきものはまだない
 そういうドラマが今、社会のあちこちに起きている。教育に限って見ても、先述の進学熱や受験競争だけでなく、子育てや親子関係、家庭のあり方にも及んでいる。それでもまだ両親や教師が子どもの模範的存在たり得て、子どももこういうものなんだと納得しているうちは良かった(「良かった」というのは単に「争いが起きないからいい」ということ)。が、子どもが段々と成長していくに従って「何かが違う」「何かおかしい」と思い始めた時、事態は今までのようには行かなくなる。
 既に家に大黒柱はなく、家訓も死語となった。市民生活を送る上での当たり前のファミリー・ルールもどこまで機能しているかおぼつかない。日本の社会全体が既存の価値の問い直しの時期に来ていながら、取って代わるべき新しきものはまだ生まれていない、というのが実情である。

▼親子を取り巻く社会の変化
 子ども達が何かのきっかけでこのように「覚醒」した時(これは遅かれ早かれやって来ること)、親や教師の対応は今までのように庇護したり指導するだけでは収まらなくなる。子どもの側からすると今まではモデルであり目標の対象であった親や教師が、今度は自分の前に立ちはだかり、自分の活動を妨げる抑圧者として感じられるようにもなる。そして、この転換点がかつてよりもずっと低年齢化しているようにも感じられる。
 かつては親や大人は「何でも知っている存在」として子どもの目標とすべき存在であったが、今はテレビやインターネット、とりわけ携帯電話という利器によって、親や教師を媒介することなく知りたい情報を(子どもの恣意的な選択を通してだが)容易に入手することができるようになった。場合によっては親や教師よりも早く入手することさえ可能になった。(教育の重要な機能の一つである次世代への伝達が怪しくなりつつあるのだ。)

▼教育の役割と親子の関係
 とりわけ、今までは正当な権威をまとった新聞・テレビに代表される一方向性のマスコミの情報に対して、インターネットや携帯電話に代表されるインタラクティブな(双方向性の)情報の流通が盛んになるにつれて、この傾向はより強まった。ところが、大人の内部に定着した意識は容易には変わらない。育ちの中で長い年月をもって形成された感覚=意識は、その世代にとって当たり前の意識である。ところが、自分の子どもの世代にとっては当たり前ではない。それでも、この関係が庇護の関係にある時はまだ良かった。子ども達はその庇護の中で安心して成長し自分づくりに励むことができた。しかし、教育の営みとは子どもの成長を目的とすると同時にやがてはその庇護を超えて成長することをも念頭に置かねばならないこと忘れてはなるまい。

▼関わり方の逆転
 しばしば人生は螺旋形に例えられる。この世に生まれ、成長し、社会生活を送り、老い、やがて死す──上から眺めたこの行程はどの人間もほぼ同じだからである。が、それを横から見れば、明らかに時代による位相の違いがある親と子は分かち難く繋がっていながら、時代の位相も社会の位相も違うのである。だから、親や教師の時代には「イエス」であり「オーケー」であったものが、子どもの時代には必ずしもそうであるとは限らない。場合によっては、抑圧するものと感じられたり、排除すべき対象ともなったりもする。
 親や教師にとってはいつまでたっても子どもは我が子であり生徒であるかもしれない。が、精神的権威の問題は別として、その物理的関係や知的関係がいつまでもそのまま維持されるわけではない。やがては逆転する関係、逆転しなければならない関係ともなる。そのとき、親や教師はどうすべきか。

▼子どもをダメにする方法
 世に「子どもをダメにする方法」と言うのがある。「子どもをよくする方法」というのは、言うは易く行うは難しであるが、こちらは意外に簡単なようだ。それは「子どもの言うがままに、要求のままに行って、要求する物を与え続けること」だと言われる。
 だが、子どもが可愛いとき、子どもが心配であるとき、人は往々にしてそういう行動に走る。「可愛い子には旅をさせよ」と言うことを頭(理性)では理解していても、感情がそれに反する方向に動いてしまう。だが、その分だけ子どもは自分で努力し、自分で解決しようとする意志を欠いてしまう。つまり、我が子をダメ人間にすることに力を貸していることになる。

▼番犬やペットのように遇していないか
 親や教師からは子どもの今はいかに不完全で不安そうにも見える。手を貸さないではいられないような思いにもなる、だが、自立を志向するようになった子どもに対しては、むしろ伴走者であったり支援者であったりする関わり──特に距離と関係の取り方が問題だ──がとても重要になる
 勿論、子どもに対して、あえて鬼になる必要はないしその意味もない。子どもに対して肉親の無償の愛や教師の適切な指導、仲間同士の育ち合いなどがとても大切であり不可欠であるのは論を待たない。が、子どもが成長し自立していくための人的環境として自分が適切な関わりをしているかどうか、もしかして子どもの桎梏(自由を束縛するもの)となっていないかどうかよく見究める必要がある。更に言えば、知らず知らずのうちに、子どもを自分の考えに忠実な自分好みの番犬やペットのように遇してはいないか、よく考える必要がある。

▼共依存の関係を断ち切ること
 子どもが小さい時は良かったが、親からの自立を志向するようになると、親は自分が取り残されるような不安に駆られることがある。いつも子どもが自分を頼り、番犬やペットのように振舞ってくれれば庇護する者として安心であった。自分はこの子に必要とされているという実感があった。しかし、それは自分可愛さの行為であって、その子のためではなかったかもしれない。むしろ、そのことによってその子は何も出来ない子として、今後辛い人生を送らねばならなくなるかもしれない。
 「親は親として自分の人生を楽しんでください」とは、「引きこもりの親の集い」の会合で、その代表の方が何度も発せられた言葉である。親と子の人格は同じではない。同じ人生ではない。やがて親の亡き後も子どもは自分で生きていかなくてはならない。子ども(とはいえ、既に成人である)を思う気持ちはよく分かる。ならば、まずその共依存を断ち切らねばならない──代表はそう説く。そう語りかけられる親は実に子ども思いの親たちである。
 その親達は言う。「この子のために、こういうこともやり、ああいうこともやった。良かれと思うこと、最善のことをいろいろやってきた。その結果がこれなのか──。」残念ながら、まさに今ある姿はそうしたことの結果なのである。
 これは一般の子育ての場合も基本的には変わらない。この矛盾とも逆説とも言える関係をどう切り結びどう切り開いていくのか。全てはここにかかっていると言えそうだ。

▼子の育ちと親の育ち
 かつてわが国がまだ貧しさの中にあり、人々が戦後の復興に邁進しているとき、昔からあった「親はなくても子は育つ」という文句が好んで使われた。これには幾分親の言い訳も含まれていたと思うが、親達は少なからずそういう眼差しを持っていたとも言える。これに関しては、「親はなくても子は育つが、子供がいないと親は育たねぇ。 」と言ったのは宮部みゆき氏だそうだ。やはり名言であろう。
 かつて教育雑誌『ニコラ』を発刊していたが、その創刊号の一節にはこうある。
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 ひとは親としては生まれない
 子の誕生とともに親は生まれ
 子の成長と共に親は成長する
 人の成長と学びについて
 子どもとともに考えよう
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 子を持つことで、人は始めて親となる。また、人は育てられたように育つ、とも、人は人を育てることで育つ、とも言う。親が本当に育つのは、自分の期待が裏切られたとき、つまり、子どもは自分の思うようには育たないものだ、と気付いたときなのだ。言い換えれば、子どもは自分(親)とは別の人格を持った存在なのだ、ということを、言葉ではなく事実をもって突きつけられたときだということである。
 そういうことも含めて、今はこの関係が自嘲的に表現される。「親はあっても子は育つ

▼社会の中の子ども
 今、子ども達を自分の子という視点からだけでなく、もっと広く社会全体の中の子どもという視点から捉え直すことが必要になってきている。「教育?それは家庭の問題でしょう!」とは、小泉首相(当時)が口走った言葉として私の記憶に残っているが、子育てはもはや単に一家庭だけの問題ではない
 この頃、新聞を開くと、必ずといっていいほど、子殺し・親殺し等の親子の悲惨な報道が載っている。だが、こうなってはもはやどんな言い分も成り立たない。ところが、その原因に立ち入ってみると、何とも空しい気持ちになることが多い。「我が子・我が親」という偏狭な思考回路から自由になれなかったことの結末のように見える。近視眼的な思考から離れて、もっと別の角度から冷静に考えたならばこうはならなかったはずだと。

▼OECDが公表したデータから
 経済協力開発機構(OECD)が9月9日、「図表で見る教育09年版」を公表した。これはPISA(国際学習到達度調査)以前の問題である。
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 日本の06年の公的財源からの教育支出の対国内総生産(GDP)比は前年比0.1ポイント減って過去最低の3.3%となった。OECD加盟国の平均は4.9%(前年比0.1ポイント減)で、加盟30カ国のうちデータが比較可能な28カ国中、日本はトルコに次ぎワースト2位。前回05年と03年は最下位、04年と02年はワースト2位と、惨憺たる状態。
 対GDP比は、大学など高等教育に限ると前年と同じ0.5%(OECD平均1.0%)で28カ国中最下位。政府の支出全体に占める教育支出の割合は前年と同じ9.5%で、OECD平均の13.3%を大きく下回り、データ比較が可能な27カ国の中ではイタリアと並んで最下位だった。私費負担の割合は33.3%と韓国に次いで2番目に高く、OECD平均15.3%を大きく上回っている
 OECDは「日本の教育を支えているのは私費負担割合の高さ。経済危機によって進学を断念する若者が増えるとみられ、奨学金を中心とする公財政支出の役割が期待される」としている。
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▼家庭の責任・国家の責任
 日本では子育てや教育の問題は各家庭の責任と考えて今までやって来た。しかし、それはそう考えるのが常識であるというように仕向けられてきた結果かもしれない。今、世界の各国は教育こそが国づくりの礎と考えて、国家隆盛を目指して教育支援に力を注いでいる。しかし、日本の取り組みはそういう世界の動向に逆行する教育行政を推進してきた。この先にあるのは日本地没への道である。今回、財政確保の問題はあるものの、教育施策の取り組みがどういうものか、選挙行動に結びついたこともあるのではないだろうか。

▼国際社会に開かれた人間教育を
 機会があれば、紹介するが、今、一国の国民教育の枠を超えて、国際人の育成、国際社会でのリーダーの育成を目的とする教育が進んでいる。「宇宙人」はともかくとして、少なくともグローバルな「地球人」の育成を目標とする教育が求められている。
 もしかすると、あなたの子どもが働く組織の上司は他国で育ち他国で教育を積んだ人になるかも知れない。そして、それはもはや架空の話ではなく、現実に進行しつつある話なのである。その時に求められる教育はどんな教育か、その時に育成すべきはどんな人材なのか。そんなことまで織り込んだ教育が今後求められるのではないか。

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親は子どもを番犬やペットにするな(1)

2009年09月09日 | 教育全般

親は子どもを番犬やペットにするな(1)

▼事実をリアルな眼差しで
 前回、「親は子どものパシリやメイドになるな」と書いたが、正直なところ不登校問題は──親子の問題に限っても──そんな言い方で簡単に解決できるほど容易な問題ではない。偏見にまみれた多くの人が考えるように「うちの子が不登校になったどうしよう。世間に向ける顔がない!」なんて救いようもない事態になったように落ち込む必要もなければ、一部の○○派の人たちのように「不登校ばんざい!」なんて飛び跳ねる必要もない。まずは淡々とした気持ちで(今回の衆議院選挙を見ても「失意泰然得意端然」の大事さを思う)事実のありようをリアルな眼差しで見つめること肝要だ。

▼親は子どもを番犬やペットにするな
 そこで、今回は前回とは別の角度から不登校の問題を考えたいと思う。題して「親は子どもを番犬やペットにするな」。前回の表題もそうだったが、親と子のあり方が今、流行りの言い方で言えば、とても「微妙」な関係にある。いや、もっと深刻な事態に突入している、と言った方がいいかもしれない。

▼「訳の分からない若者達」の登場
 映画史上にジェームス・ディーンという若い名優がいた。『理由なき反抗』とか『エデンの東』などが彼の代表作として知られている。それらの映画には、大家族制度や家父長制度が崩れ、「訳の分からない若者達」が登場してきた時代が描かれている。「訳の分からない若者達」と見たのは勿論、当時の親や大人たちである。この夏休みに多少の訳ありで埼玉新都心の「ジョン・レノン・ミュージアム」を訪れたが、日本で言えば、まさにビートルズがやって来た時期がそれに当たると言えるかもしれない。

▼急激な世の中の変化
 「あんなマネをする奴は不良だ」と当時の教師達は言っていた。若者達が教師や大人の理解を超えて活動し始めたことに少なからず不安を持っていたことの証である。しかし、事態はまさにそういう不安の方向に進み、学内や社会の場で子ども達や若者達の反乱が次々と起きた。さらに時代の流れは加速度的に進み、やがて新人類と言われる若者達が登場し、さらにその域を超えた新々人類が生まれ、世にPC88やPC98シリーズというパソコンが登場し、アルファベットやカタカナだけでなく漢字が使えるようになったと思ったら、瞬く間にITが席巻する世の中となった。パソコンを使えない首相がマウスを握り「イーティー」などと言ってにっこりしている場面が若者の失笑を買ったのもその頃である。そして、かつての不良音楽&ファッションの権化であったビートルズ現象はやがて学校の教科書にも登場するようになり、そしていわば古典の仲間入りをしてしまった感がある。

▼保守という名の変革・革新という名の保守
 こういう時代の変化の中を、戦後の日本の社会は欧米に「追い付き追い越せ」「乗り遅れまい」として必死に走ってきた趣がある。それを政治がらみで見れば、「保守」と「革新」による「55年体制」でやって来たということになる。だが、奇妙なことに、実際の政治力学の中では、「保守」と呼ばれた側は絶えず技術革新を初めとする社会の変化をはかり、「革新」と呼ばれた側は社会の様々な変化の中で戦後GHQなどを媒介として獲得した権利や価値を守り続ける運動を展開してきた趣がある。「保守」勢力は、良くも悪くも、絶えず脱皮し変わり続けることで社会的適応や伝統の延命を図ってきたのであ。単に墨守して来たのではない。

▼保守という名の実際のベクトル
 ところが、この不思議な捩れ現象が今回の選挙で遂に終わりを遂げた。そんな感じがする。55年体制の完全な終焉である。その意味では、麻生首相が選挙で連発した「責任」や「保守」という言葉は感慨深い。「保守」を標榜する者が完全な「守り」に入ったとき、その先はない。「保守」という名の改革の実践が日本の社会の原動力であったのだから。「戦後レジームからの脱却」と言ったのは、先に首相の座を投げ出した安倍晋三氏だが、彼は完全な倒錯の世界にいたようだ。彼はただ戦前への回帰だけを夢見ていたように見える。だが、これは保守が実際にやって来たこととは逆のベクトルなのである。

▼せめて我が子にだけは…
 このような現象を、日本の親子の問題、世代間の問題に置き換えたとき、どんなことが見えてくるか。戦中・戦後の辛酸を舐めてきた世代は、あの映画「Always夕陽丘3丁目」や「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン」のように貧しい中でも復興への希望を持ち、「せめて子どもにだけは…」という思いで頑張ってきた人が多い。そして子どものまたそういう親の思いを痛いほど感じて生きていた。が、その関わり方には今多くの親達が子どもに向き合うやり方と大きな違いがあるように思う。

▼自分で出来る人間になること
 親たちは戦争などのドサクサで自分達が出来なかったことを子どもに託し、その無念の思いを代わりに子ども達に実現させようという秘めた魂胆がなかったわけではない。右肩上がりの社会の中で子どもの学歴や進学がもてはやされたのもその一つである。しかし、どういう大人の思惑があったにせよ、本来的に保守的な志向であった親や大人達が子ども達に願ったのは、自分達の努力で「できる人間」になることであった。そして、その根底には、努力すれば必ず報われるという日本の社会に対する暗黙の信頼もあった。そしてさらに幸いなことに、親達は自分達が生きることに一生懸命で、子ども達のことを面倒見る余裕があまりなかったということがあった

▼貧しさの中での自己実現 
 だから、子ども達はあまり親達に干渉されずに自分の思いで行動し、自分の思うように自己実現できる選択決定権を自然に与えられていた。そして、一部の例外を除き、自分の人生をどう切り開き、どう実現していくかということは、経済的な問題は大きな課題であったが──誰もが経済的にゆとりがあるわけではなく、まだ誰でもが望み通り進学できるわけではなかった──子ども達は自分の人生の主人公は自分である生き方を模索することが出来た。しかし、子どもにとっては恵まれたこのような状況は、皮肉なことに日本という国がまだ途上国であり、貧しい国であったから可能であったことでもあった。そして、教育がその後押しをしていた。

▼モデルのあった戦後復興
 しかし、高度成長の波に乗り、経済事情が好転して家計が潤うに伴い、日本という国が壊滅的な敗戦から奇跡的な復活を遂げて、次第に国際社会の中で先頭集団の仲間入をするようになってくると、日本の社会の中に今までにはなかった現象が起きてきた。実のところ、日本という国はまだ国際社会で先頭集団の仲間入りをする内実は備えていなかった。今まで日本という国や社会は外部にモデルを求め、それに追い付き追い越すことを目標に進んできただけだった。だから、気が付いてみるといつの間にか先頭集団の仲間入りをしていたということで、逆に日本という国はいまだかつて経験したことのない未曾有の困難に直面することになったのである。

▼モデルなき社会に突入
 進むべき道を照らし出すモデルはもはやなく、指導者も国民も国が進むべき羅針盤を持たない。手元にあるのはかつての推進力となった物差しであり、感覚である。あまりに早く進み過ぎたために新しい社会に相応しい価値観を熟成させ発酵させる時間がなかった。が、古い物差しはもはや役には立たず、さりとて新しい社会のモデルはまだない。そういう社会状況の中に私達は突入したのである。だから、今日本を支配しているのは、取り敢えずは出来合いのもので間に合わせようという意識である。これは至るところにある。教育も子育ても社会のありようもまたしかりである。

(続く)

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