ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

お悔やみ

2007-04-07 01:01:24 | カトリックの信仰
 1月の28日に亡くなられたH子さんの死を知ったのは葬儀が終わっってすぐでした。彼女がALSと宣告されて、教会に見えて「死ぬことは怖くない。でも今まで出来たことができなくなることを受け入れることができない。今まで周りの目を気にしていい嫁であろうとしてきた。だから病気になって、何もできないことをどう思われるかと思うと周りの人に会いたくない。」とおっしゃったのは二年半前です。その時から、「『その時』が来たら、人工呼吸器はつけてほしくないと思っている。」と話していらっしゃいました。毅然としたところと揺れる思いを「神の存在」を実感することで何とか残りの時間を穏やかに過ごしたいと願う気持ちが伝わってかかわりはじめました。

 初めの4ヶ月は月に1回教会にいらっしゃって、聖書の箇所を一緒に読みました。限られた時間で一人じゃない、いつも神様が共にいてくださることを伝える為に、どの箇所を選ぼうか思案しました。でも、砂地に水が吸い込まれていくようにみことばを受け止めていかれて、「洗礼」も口になさるようになりました。でも、私は神父様と相談して、急いで洗礼を受けるよりも、神様がいてくださることが日々過ごしていく糧となるようにお話を続けました。ご主人の意向で葬儀は仏式でというのも分かっていましたから、「望みの洗礼」で充分と思いました。

 杖をもって歩いていらしたのに、翌月は杖をついていらっしゃり、次の月には車椅子になり…あの頃はその病状の進行の早さに驚いたものです。その後はご自宅に3月に1回ぐらい訪ね、H子さんの筋力が徐々に衰えていく中にもいつもはみせないという涙を流し、最高の笑顔でおしゃべりをしてきました。大抵その後介護していらっしゃるご主人とお話をして本当に奥様を愛し、愛し抜かれている姿に感動したものです。『そのとき』が来たら奥様の意志を尊重するか、少しでも長くいてほしい自分の思いを優先したいが…といつもその事が話題になりましたがH子さんは殆どを在宅ですごし、その晩もご主人がお隣に休んでおられたときに穏やかに逝かれたそうです。

 訃報を伺ってすぐは何かとお忙しかろうと落ち着いたときに伺う約束をしていたのに、こちらも上京の予定があったりしているうちに先月四十九日の法要の案内をいただいたのはまだ娘のところにいたときでした。その間にご主人は実父も亡くされふたつき続けて喪主を勤められたとか、長野へ帰ってきて気になっていたお悔やみでした。今日、やっと時間が取れて伺ってきました。思ったよりお元気に、前向きに自分の人生をもう少し楽しみますとおっしゃりながら、体はまだ行く事を聞かないと。もう一度人生をやり直すならばやっぱり一緒になりたい。もっとこうすればよかった、ああすればよかったと思うことばかり。でもこの3年余、とてもとても密度の濃い生活をしていたと思う。結婚生活は33年だったけれど50年も連れ添ったぐらい一緒にいた気もする。揺れて、揺れて当たり前の時期だと思います。でもお元気でお過ごしくださいと、辞しました。

 今日は、教会では復活前「主の受難の主日」を記念した日、H子さん宅をお尋ねしている間に「十字架の道行き」の時間が来ました。今、ここで皆と道行きをしているのだと思いながら、ご主人のお話を伺ってから教会へ向かい、夜の典礼のときにH子さんの永遠の安息を願いました。