むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

37、オトナの桜

2022年04月10日 10時41分43秒 | 田辺聖子・エッセー集










・桜の季節、
なぜか私は一年中で一ばん忙しい日々である。

しかし考えてみると、
私はいつも忙しがっているのだし、
別に桜の季節に限らない。

これは桜の盛りのときが短いから、
仕事も忙しいように思い込んでるのである。

毎年、年々の桜を見たいという気がある。
桜はすぐ散る上に、雨も降る。

気がせかれて、いそいで車を走らせて見にいっても、
もうあらかた散っていたりして、がっかりする。

花ざかりと仕事のピークがいつもいっしょにくる。

関西だと、毎年四月十日前後であるが、
十日前後は月刊誌の締め切り日であるから、
花見どころではないわけである。

私はファクシミリと格闘している。

夜桜というのがあるが、
夜は、私はお酒を飲んでしまう。

桜の下で飲めばいいようなものであるが、
花を見るか酒を飲むか、
どっちかに絞りたいという気になり、
すると、お酒になってしまう。

「いまごろは満開でしょうね」

と言いつつ、飲む、というのが、
私の毎年の花見である。

花見に行くとすれば、
満開でない時に行ってることが多い。
散りぎわとか、四分咲き、五分咲き、というような。

「いや、桜かて、いま、見られとうおまへんのや」

というのはカモカのおっちゃんである。

「満開のときに見られるのは、
恥ずかしいと思てるにちがいない」

「そうかなあ。
ま、兼好法師は、
『花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは』
というてはるけど、
桜自身にそんな美学があるとは思いませんでしたね。
なんで恥ずかしいんですか」

「桜はオトナなんですな」

おっちゃんは悠然としていう。

「おせいさんのみるような、
四分咲きのころ、或いは散りぎわ、落花さかん、
というようなころの風趣こそ、賞でてほしい、と思てる。
桜自身も、そのほうなら自信がある。
かつ、実際以上に、艶な風趣にしてみせる演技力も発揮できる」

桜に演技力ある、なんて知りませんでしたな。

「そら、あります。
自然の風物はみな演技力あるけど、特に桜は強い」

「教養があるんやね」

「アホでは桜商売は張れん、と桜は思てる。
花の色、花の匂い、空の色との配色、枝ぶり、葉、
いちいちに、古式ゆかしい伝統があり、民族感情もある。
桜はそういうものへ、充分に根廻ししておいて、
ようやっと、ちらほら・・・
そういうときの美しさこそ、賞でるべきやのに、
四分咲き見て、おせいさんは何というたか」

「チェッ、早かったか、しもた、
もう二、三日あとに来ればよかった、
忙しい時間やりくりしてきたのに、
何さ、早よ咲け!咲かんかい」

「そういう無風流なもんがいるから、桜は泣く。
ちらほらを賞で、枝にわずかに咲く花を愛し、
固い蕾をいとおしむ、これが風流。
また、散りぎわのときは、何というたか」

「チェッ、遅かりし、
や~~、道が真っ白に散ってる、勿体ない、
これが扇風機で吹き立てたら、枝にくっつかないかしら」

「残りの花びらがわずかに、というところこそ、
桜は見てほしい、と思うてるのに、
そういわれたんでは、立つ瀬がありません、
桜としては、毎年ちょっとずつ変え、
趣向をこらしてるつもり。
宝塚歌劇のフィナーレが、
いつも同じでマンネリという人もあるが、
ほんまにマンネリやったら七十年も続くか、
桜が千年も愛されるか。
歳々年々、花同じからずと、古人もいうてはる。
桜は毎年、変えてるつもり。
散りぎわの風情なんか、雨風の影響もあって、
まことにデリケート。
そこをこそ、見るべき、いや見てあげるべき」

「ふ~ん」

私は考え込む。

桜の気持ちなんて、
まして演技力なんて知らなかったんやもの。

「桜にいわせると、やね」

おっちゃんは桜の代弁をする。

「なんで満開が恥ずかしいかというと、
満開のときは、お得意の演技力が発揮でけへん。
桜は何もかもあけっぴろげ、大股開きになってしもて、
奥行き浅うなる。
そういう所はいちばん見られとうない、
『時分の花』というやつですなあ」

「きれいけりゃ、いいじゃない」

「アイドル歌手やあるまいし、
オトナの桜としては、釈然としない。
しかるに人間はどうか、
桜がいちばん見られとうない時期をよろこんで、
缶ビール、焼酎やウィスキー、日本酒のたぐいを、
どさどさ置く。
ムシロの上には弁当の山、裂きイカやオカキ、
はてはケンタッキーフライドチキンのバスケット、
日暮れればどやどやと男女うち連れて入りこみ、
桜はもうつきあいきれぬと思う」

「気むずかしいんですね、桜って」

「オトナやからです。
桜の下で、桜の美意識に合わぬことばかりしている。
桜は心が暗くなる。あたまもくらくら、
皆が酔いつぶれて寝てしまうと、
桜はあほらしくなってその辺に残った酒でも、
ひっかけてやけ酒を・・・」

「飲むんですか、桜が」

「飲もうとするが、一滴も残っていない。
意地汚いのは花見客、
桜は片っ端からビール瓶や徳利を傾けては、
てのひらに受け、ひとしずくずつ飲んでまわる」

意地汚いのはどっちやねん。






          


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