・桜の季節、
なぜか私は一年中で一ばん忙しい日々である。
しかし考えてみると、
私はいつも忙しがっているのだし、
別に桜の季節に限らない。
これは桜の盛りのときが短いから、
仕事も忙しいように思い込んでるのである。
毎年、年々の桜を見たいという気がある。
桜はすぐ散る上に、雨も降る。
気がせかれて、いそいで車を走らせて見にいっても、
もうあらかた散っていたりして、がっかりする。
花ざかりと仕事のピークがいつもいっしょにくる。
関西だと、毎年四月十日前後であるが、
十日前後は月刊誌の締め切り日であるから、
花見どころではないわけである。
私はファクシミリと格闘している。
夜桜というのがあるが、
夜は、私はお酒を飲んでしまう。
桜の下で飲めばいいようなものであるが、
花を見るか酒を飲むか、
どっちかに絞りたいという気になり、
すると、お酒になってしまう。
「いまごろは満開でしょうね」
と言いつつ、飲む、というのが、
私の毎年の花見である。
花見に行くとすれば、
満開でない時に行ってることが多い。
散りぎわとか、四分咲き、五分咲き、というような。
「いや、桜かて、いま、見られとうおまへんのや」
というのはカモカのおっちゃんである。
「満開のときに見られるのは、
恥ずかしいと思てるにちがいない」
「そうかなあ。
ま、兼好法師は、
『花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは』
というてはるけど、
桜自身にそんな美学があるとは思いませんでしたね。
なんで恥ずかしいんですか」
「桜はオトナなんですな」
おっちゃんは悠然としていう。
「おせいさんのみるような、
四分咲きのころ、或いは散りぎわ、落花さかん、
というようなころの風趣こそ、賞でてほしい、と思てる。
桜自身も、そのほうなら自信がある。
かつ、実際以上に、艶な風趣にしてみせる演技力も発揮できる」
桜に演技力ある、なんて知りませんでしたな。
「そら、あります。
自然の風物はみな演技力あるけど、特に桜は強い」
「教養があるんやね」
「アホでは桜商売は張れん、と桜は思てる。
花の色、花の匂い、空の色との配色、枝ぶり、葉、
いちいちに、古式ゆかしい伝統があり、民族感情もある。
桜はそういうものへ、充分に根廻ししておいて、
ようやっと、ちらほら・・・
そういうときの美しさこそ、賞でるべきやのに、
四分咲き見て、おせいさんは何というたか」
「チェッ、早かったか、しもた、
もう二、三日あとに来ればよかった、
忙しい時間やりくりしてきたのに、
何さ、早よ咲け!咲かんかい」
「そういう無風流なもんがいるから、桜は泣く。
ちらほらを賞で、枝にわずかに咲く花を愛し、
固い蕾をいとおしむ、これが風流。
また、散りぎわのときは、何というたか」
「チェッ、遅かりし、
や~~、道が真っ白に散ってる、勿体ない、
これが扇風機で吹き立てたら、枝にくっつかないかしら」
「残りの花びらがわずかに、というところこそ、
桜は見てほしい、と思うてるのに、
そういわれたんでは、立つ瀬がありません、
桜としては、毎年ちょっとずつ変え、
趣向をこらしてるつもり。
宝塚歌劇のフィナーレが、
いつも同じでマンネリという人もあるが、
ほんまにマンネリやったら七十年も続くか、
桜が千年も愛されるか。
歳々年々、花同じからずと、古人もいうてはる。
桜は毎年、変えてるつもり。
散りぎわの風情なんか、雨風の影響もあって、
まことにデリケート。
そこをこそ、見るべき、いや見てあげるべき」
「ふ~ん」
私は考え込む。
桜の気持ちなんて、
まして演技力なんて知らなかったんやもの。
「桜にいわせると、やね」
おっちゃんは桜の代弁をする。
「なんで満開が恥ずかしいかというと、
満開のときは、お得意の演技力が発揮でけへん。
桜は何もかもあけっぴろげ、大股開きになってしもて、
奥行き浅うなる。
そういう所はいちばん見られとうない、
『時分の花』というやつですなあ」
「きれいけりゃ、いいじゃない」
「アイドル歌手やあるまいし、
オトナの桜としては、釈然としない。
しかるに人間はどうか、
桜がいちばん見られとうない時期をよろこんで、
缶ビール、焼酎やウィスキー、日本酒のたぐいを、
どさどさ置く。
ムシロの上には弁当の山、裂きイカやオカキ、
はてはケンタッキーフライドチキンのバスケット、
日暮れればどやどやと男女うち連れて入りこみ、
桜はもうつきあいきれぬと思う」
「気むずかしいんですね、桜って」
「オトナやからです。
桜の下で、桜の美意識に合わぬことばかりしている。
桜は心が暗くなる。あたまもくらくら、
皆が酔いつぶれて寝てしまうと、
桜はあほらしくなってその辺に残った酒でも、
ひっかけてやけ酒を・・・」
「飲むんですか、桜が」
「飲もうとするが、一滴も残っていない。
意地汚いのは花見客、
桜は片っ端からビール瓶や徳利を傾けては、
てのひらに受け、ひとしずくずつ飲んでまわる」
意地汚いのはどっちやねん。