・811号室は、あるじがいないのに灯がつき、
人々の出入りがあわただしい。
「息子はんや娘さんが811号室に、
代わりばんこに寝泊まりしてはります」
「普段は行き来しなくても、さすがに、こういう時は・・・」
上杉夫人は感じ入ってみせるが、
普段、寄りつきもしない連中ゆえ、
ハイエナのように残されるはずの資産目当てなのだろう、
と私は思った。
ケチなせいか、
ほとんど灯のつかなかった811号室には、
毎夜、あかりがともされ、
近くの「にぎわい寿司」の出前の空の寿司桶がドアの外に積まれ、
酒屋の「吉川商店」がビールやウィスキーを届けている。
狼婆の部屋に入り込んだ連中は、
マンションの住人と会っても素知らぬ顔であった。
管理人がこっそり、私と上杉夫人に言う。
「あこの、吉田はんの息子はんが聞かはりますのや。
この辺のお寺で、見習いの坊ンさんおらへんか、て。
インターンの坊ンさんでっしゃろか」
「お医者さんのインターン、というのは聞きますけど、
お坊さんのインターン、て?」
「はあ、お婆ちゃんが、亡くならはったら、葬式せんならん。
葬儀社はそれなりに高うつく、
お骨にして墓に入れたらええことやから、
インターンの小僧にちょっとお経あげてもろたら、
安うあがってええ、と」
「まあ、息子さんがそんなことをおっしゃいますの?」
管理人の言葉では、
吉田夫人の容態はここ数日が山場らしい。
昨夜は811号室、終夜音楽が鳴り、笑い声が絶えない。
狼婆の息子の言い分は、
平生の私自身の持論にものっとっており、
総論としては賛成であるが、
もし、ウチの息子がそう言ったとすれば、
私は死んでいても腹立つであろう。
あのスーパーでの狼婆の毒舌を思い出しても腹が立つ。
「お婆ん」とはなんだ!
腹が立つあまり、私は「お婆ん」というコトバに、
過剰反応するようになった。
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・秋雨が降り続く日であった。
私は書道展を観にデパートへ行った帰り、
梅田から阪急電車に乗った。
八十才になった私は、
まだ足元もしっかりしているつもりでいるものの、
足取りは慎重に出来るだけ空いた普通電車を利用する。
その日は、目の前に仕立てられた急行電車が入ってきた。
後ろから、
「トロトロすんな、お婆ン!」
見るとニキビづらの中学生である。
声変わりの「お婆ン!」はいかにも憎々しくひびいた。
私はどうやってチメチメしてやろうかと、
席に坐って悪ガキを横目でうかがうと、
奴は席を求めて歩いている。
税金も払わぬヒヨコが電車で坐ろうなんてあつかましい。
間抜けづらに強欲そうな口元、
さぞ親も、奴そっくりのつらなのであろう。
足元を見ると、奴め、スニーカーの下に、
傘を入れるビニール袋を踏んでいる。
誰かが床に落としたのであろう。
その一端は、私の足元にある。
私は靴にふれるような仕草でうつむき、
ビニール袋の一端を強く引っぱった。
床がぬれているから、ビニールはすべる。
はずみ、というのは恐ろしい。
どでん、と悪ガキはぬれた床へ鼻先から倒れこんだ。
とたんに、向かいの席に一列に並んで座っていた、
女子高生たちが「きゃわっ!」「ぐぎゃーっ」
と笑い出して収拾つかぬ騒ぎになった。
同じような年ごろの女の子に笑われることは、
悪ガキにとって、死ぬほどの辛さであろう。
奴は、先の車両へ走りこもうとしたが、
あわてたものだから、つんのめって、また転倒。
もう、車内は女の子の笑いでいっぱいになる。
私は素知らぬ顔で、隣の中年婦人とうなずきあい、
「あぶないこと!」と言ったのであった。
「お婆ン」と呼ぶのは中学生ばかりではない。
いい年したお爺ンでもそう呼ぶのである。
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・秋の長雨続き、私はスーパーへ買い物に出かけた。
私は往きはたいていゆっくり歩く。
帰りは車を呼んで荷物と一緒に帰る。
雨だからといって買い物を控えるようでは、
一人暮らしは出来ない。
私は、ローズ色のニットパンツ。
同色のシルクウールの上衣(ジャンフランコ・フェレ)のもの、
その上に薄手の白いレインコートを着た。
足元は、ワイン色のブーツ。
これは雨用の合成皮革。
それに同じワイン色のレインハット。
雨傘は賑やかなケンゾーの花柄のもの。
おそろいの花柄のバッグを肩から斜めにかけ、
頬にあたる雨は冷たいが、今は葉も落ちているが、両側は桜並木、
まさにそういう時、おしゃれ者の私をつかまえて、
向こうから来た、六十四、五のおっさんが、
「お婆ン、お婆ン!」と呼んだのである。
(次回へ)