・三月十日過ぎ、
明石の女御はご安産なさった。
かねてたいへんな心配で、
大げさな加持祈祷をしていたが、
思いのほかやすやすと、
しかも男御子でいられたので、
いうことはなかった。
源氏も安堵した。
明石の上の住まいの御殿は、
盛大な儀式を行うには、
引っ込みすぎなので、
元通りの南の寝殿に移られる。
紫の上も来た。
お産の作法通り、
白い衣装で若宮をしっかりと、
お抱きしている女御は美しかった。
自分は子を持ったこともなく、
人のお産に、
立ち合ったことがないので、
紫の上は生まれたばかりの子を、
はじめて見た。
まだ首も据わらず、
抱きにくい若宮を、
紫の上はずうっと抱いて、
世話しているので、
明石の上は任せていた。
そうして女御の世話をする。
お生まれになって六日目、
南の寝殿に移られた。
七日目の夜には、
主上から御産養いがあった。
次々とお祝いが来る。
源氏はいつも、
「控えめに、簡素に」
と口ぐせのようにいう行事を、
この時ばかりは派手に行った。
乳母も気ごころ知れた人を選び、
お育てしている。
紫の上も、
新しい生きがいが出来たようで、
心に張りを持った。
今は若宮を中に、
紫の上と明石の上は、
こよない親友になった。
明石の上は、
紫の上の人柄を、
ますます好もしく思った。
紫の上は、
子供好きで、
お守りなども自身で作り、
若宮の世話にかまけて、
日を過ごしている。
さて、明石の浦にも、
このおめでたの話は伝わった。
「終わった。
わしのかけた願は、
これですべて果たされた」
明石の入道はそう思った。
彼は家を寺にし、
財産はあげてその寺の寺領とし、
自身は人も通わぬ深い山へ入って、
あとをくらまそうと決心した。
明石の入道は、
都の姫君が気になっていたが、
東宮(朱雀院の御子)と結婚され、
若宮もご誕生になったと聞くと、
もう、思い残すことは、
何もなかった。
しかし、いよいよこの世を捨て、
深山に籠って跡を絶とうという、
際になって、
娘の明石の上に長い手紙を書いた。
「この年来、
あなたは京に、
私は明石に住み、
別世界のように暮らしてきました。
格別のこともない限り、
お便りもせず、
手紙がほしいという気も、
おこりませなんだ。
人づてに承れば、
ちい姫は東宮の女御となられ、
男御子がお生まれになったよし、
深くお喜び申し上げます。
これは、あなたにかけた願が、
果たされたことで、
深く感動しています。
私は長いあいだ、
俗世に未練がましく執着して、
勤行時にも、
あなたのことばかり、
心にかけてお祈りしてきました。
娘よ、
あなたが生まれた年の二月、
私は夢を見ました。
山の左右から日月の光がさし出て、
世を照らした。
しかし私は山陰にかくれて、
その光は当たらないのです。
自分は小さい舟に乗って、
西の方へ漕ぎ去っていく、
そんな夢でした。
その夢を見てから、
数ならぬわが身に希望を、
抱き始めました。
しかし、京にいては、
はかばかしくないので、
官位を捨て播磨の国に下り、
二度と都へは帰るまいと思い、
この地で生活することにしました。
あなただけを頼りとし、
心一つに願をかけたのです。
その願は果たされました。
あなたのお生みしたちい姫は、
国母とおなりになりましょう。
その暁こそ、
住吉の御社をはじめ、
神仏にお礼参りなさいませ。
あの夢は正夢だったのです。
されば、この身も、
はるか西方のかなたの極楽に、
生まれる望みは疑えぬところ、
となりました。
お迎えのくるのを待つあいだ、
清らかな深山に入って、
勤行しようと決心しております。
私の命日だの葬儀だのと、
よけいな心配はなさるな。
喪服などお召しになることはない。
あなたは、
この老法師のために、
冥福をお祈りください。
極楽でまた、
親子が会える日を楽しみに、
いたしましょう」
と書き、
明石の上に送った。
(次回へ)