むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

30、若菜(上) ⑳

2024年02月10日 09時19分28秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・三月十日過ぎ、
明石の女御はご安産なさった。

かねてたいへんな心配で、
大げさな加持祈祷をしていたが、
思いのほかやすやすと、
しかも男御子でいられたので、
いうことはなかった。

源氏も安堵した。

明石の上の住まいの御殿は、
盛大な儀式を行うには、
引っ込みすぎなので、
元通りの南の寝殿に移られる。

紫の上も来た。

お産の作法通り、
白い衣装で若宮をしっかりと、
お抱きしている女御は美しかった。

自分は子を持ったこともなく、
人のお産に、
立ち合ったことがないので、
紫の上は生まれたばかりの子を、
はじめて見た。

まだ首も据わらず、
抱きにくい若宮を、
紫の上はずうっと抱いて、
世話しているので、
明石の上は任せていた。

そうして女御の世話をする。

お生まれになって六日目、
南の寝殿に移られた。

七日目の夜には、
主上から御産養いがあった。

次々とお祝いが来る。

源氏はいつも、

「控えめに、簡素に」

と口ぐせのようにいう行事を、
この時ばかりは派手に行った。

乳母も気ごころ知れた人を選び、
お育てしている。

紫の上も、
新しい生きがいが出来たようで、
心に張りを持った。

今は若宮を中に、
紫の上と明石の上は、
こよない親友になった。

明石の上は、
紫の上の人柄を、
ますます好もしく思った。

紫の上は、
子供好きで、
お守りなども自身で作り、
若宮の世話にかまけて、
日を過ごしている。

さて、明石の浦にも、
このおめでたの話は伝わった。

「終わった。
わしのかけた願は、
これですべて果たされた」

明石の入道はそう思った。

彼は家を寺にし、
財産はあげてその寺の寺領とし、
自身は人も通わぬ深い山へ入って、
あとをくらまそうと決心した。

明石の入道は、
都の姫君が気になっていたが、
東宮(朱雀院の御子)と結婚され、
若宮もご誕生になったと聞くと、
もう、思い残すことは、
何もなかった。

しかし、いよいよこの世を捨て、
深山に籠って跡を絶とうという、
際になって、
娘の明石の上に長い手紙を書いた。

「この年来、
あなたは京に、
私は明石に住み、
別世界のように暮らしてきました。
格別のこともない限り、
お便りもせず、
手紙がほしいという気も、
おこりませなんだ。
人づてに承れば、
ちい姫は東宮の女御となられ、
男御子がお生まれになったよし、
深くお喜び申し上げます。
これは、あなたにかけた願が、
果たされたことで、
深く感動しています。
私は長いあいだ、
俗世に未練がましく執着して、
勤行時にも、
あなたのことばかり、
心にかけてお祈りしてきました。
娘よ、
あなたが生まれた年の二月、
私は夢を見ました。
山の左右から日月の光がさし出て、
世を照らした。
しかし私は山陰にかくれて、
その光は当たらないのです。
自分は小さい舟に乗って、
西の方へ漕ぎ去っていく、
そんな夢でした。
その夢を見てから、
数ならぬわが身に希望を、
抱き始めました。
しかし、京にいては、
はかばかしくないので、
官位を捨て播磨の国に下り、
二度と都へは帰るまいと思い、
この地で生活することにしました。
あなただけを頼りとし、
心一つに願をかけたのです。
その願は果たされました。
あなたのお生みしたちい姫は、
国母とおなりになりましょう。
その暁こそ、
住吉の御社をはじめ、
神仏にお礼参りなさいませ。
あの夢は正夢だったのです。
されば、この身も、
はるか西方のかなたの極楽に、
生まれる望みは疑えぬところ、
となりました。
お迎えのくるのを待つあいだ、
清らかな深山に入って、
勤行しようと決心しております。
私の命日だの葬儀だのと、
よけいな心配はなさるな。
喪服などお召しになることはない。
あなたは、
この老法師のために、
冥福をお祈りください。
極楽でまた、
親子が会える日を楽しみに、
いたしましょう」

と書き、
明石の上に送った。






          


(次回へ)

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