「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

30、若菜(上) ㉑

2024年02月11日 08時31分02秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・明石の入道は、
妻の尼君への手紙は、
詳しく書かず、ただ、

「この月の十四日に、
草庵を捨てて深山に入ります。
生きて甲斐ない身を、
熊狼の餌にでも施そうと思います。
あなたは長生きして、
若宮のご即位の日まで、
見届けて下さい。
極楽浄土でまた、
お会いしましょう」

とだけあった。

尼君はこの手紙を見て、
使いの僧に事情を聞いた。

「このお手紙を書かれて、
三日目に人跡絶えた山奥に、
移られました」

使いの僧は悲しげであった。

この僧は幼いころ、
入道について京から下った人であった。

今は老い法師となって、
明石にとどまっているが、
入道との別れを辛がっている。

まして尼君の悲しみは、
限りなかった。

明石の上は、
入道からの便りを持って、
尼君のもとへ来た。

そうして入道の便りを読むうち、
涙があふれて止まらなかった。

はじめて知る父の夢。

ひとときは、
父の独断的な考えで、
身分違いの源氏の君に、
縁付かせられ、
しなくてもよい苦労をさせられた、
と恨んだこともあったが、
それも実は、こんな夢に、
望みをかけていたせいかと、
思い合せられる。

尼君の悲しみは、
俗世の夫婦であっただけに、
またひとしおである。

明石の上も、
心の傷みは深かった。

母娘は、
夜もすがら、
悲しいことを語り続けた。

明石の上は、
入道からもたらされた、
願分を入れた文箱を持たせて、
女御の御殿へ行った。

このところ東宮からは、
早く御所にもどるようにとの、
ご催促がある。

「ごもっともね。
若宮がお生まれになったのです。
どんなに待ち遠しくお思いでしょう」

紫の上はいった。

「いったん御所へ帰ると、
中々退出のお許しがでないのです。
いい折ですから、
ゆっくり休みたい・・・」

女御はそう言われる。

お年若なお体で、
怖ろしいお産を経験なさったので、
少しおやつれになって、
それがかえってあでやかだった。

紫の上が、
若宮をお連れして、
居間の方へ行き、
かたわらにひと気のない夕方、
明石の上は女御に文箱をお見せし、
入道が山籠もりして、
跡をくらませた事情を話した。

「もっと後で、
お目にかけようと思いましたが、
世の中はわからぬもの、 
先のわからぬもの、
わたくしもいつまでおそばにいて、
御後見できるかわかりません。
わたくしが亡くなる時も、
あなたさまのご身分柄、
お目にかかれるとは限りません。
それゆえ、
わたくしがこうして元気で、
おりますうちにお話して、
おかねばなりません。
これをご覧ください。
そしていつかは、
この願ほどきのお礼参りを、
お果たし下さいまし。
ここまであなたさまも、
ご立派になられましたからは、
わたくしも出家したいと、
思うようになりました。
それにつけても、
紫の上のご愛情を、
あだやおろそかに、
お思いなさいますな」

明石の上の言葉は、
いつか自分も遺言のような、
口ぶりになってゆく。

女御は手紙をお読みになりながら、
涙ぐんでおられる。

源氏がふいにそこへ、
入ってきた。






          


(次回へ)

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