・明石の入道は、
妻の尼君への手紙は、
詳しく書かず、ただ、
「この月の十四日に、
草庵を捨てて深山に入ります。
生きて甲斐ない身を、
熊狼の餌にでも施そうと思います。
あなたは長生きして、
若宮のご即位の日まで、
見届けて下さい。
極楽浄土でまた、
お会いしましょう」
とだけあった。
尼君はこの手紙を見て、
使いの僧に事情を聞いた。
「このお手紙を書かれて、
三日目に人跡絶えた山奥に、
移られました」
使いの僧は悲しげであった。
この僧は幼いころ、
入道について京から下った人であった。
今は老い法師となって、
明石にとどまっているが、
入道との別れを辛がっている。
まして尼君の悲しみは、
限りなかった。
明石の上は、
入道からの便りを持って、
尼君のもとへ来た。
そうして入道の便りを読むうち、
涙があふれて止まらなかった。
はじめて知る父の夢。
ひとときは、
父の独断的な考えで、
身分違いの源氏の君に、
縁付かせられ、
しなくてもよい苦労をさせられた、
と恨んだこともあったが、
それも実は、こんな夢に、
望みをかけていたせいかと、
思い合せられる。
尼君の悲しみは、
俗世の夫婦であっただけに、
またひとしおである。
明石の上も、
心の傷みは深かった。
母娘は、
夜もすがら、
悲しいことを語り続けた。
明石の上は、
入道からもたらされた、
願分を入れた文箱を持たせて、
女御の御殿へ行った。
このところ東宮からは、
早く御所にもどるようにとの、
ご催促がある。
「ごもっともね。
若宮がお生まれになったのです。
どんなに待ち遠しくお思いでしょう」
紫の上はいった。
「いったん御所へ帰ると、
中々退出のお許しがでないのです。
いい折ですから、
ゆっくり休みたい・・・」
女御はそう言われる。
お年若なお体で、
怖ろしいお産を経験なさったので、
少しおやつれになって、
それがかえってあでやかだった。
紫の上が、
若宮をお連れして、
居間の方へ行き、
かたわらにひと気のない夕方、
明石の上は女御に文箱をお見せし、
入道が山籠もりして、
跡をくらませた事情を話した。
「もっと後で、
お目にかけようと思いましたが、
世の中はわからぬもの、
先のわからぬもの、
わたくしもいつまでおそばにいて、
御後見できるかわかりません。
わたくしが亡くなる時も、
あなたさまのご身分柄、
お目にかかれるとは限りません。
それゆえ、
わたくしがこうして元気で、
おりますうちにお話して、
おかねばなりません。
これをご覧ください。
そしていつかは、
この願ほどきのお礼参りを、
お果たし下さいまし。
ここまであなたさまも、
ご立派になられましたからは、
わたくしも出家したいと、
思うようになりました。
それにつけても、
紫の上のご愛情を、
あだやおろそかに、
お思いなさいますな」
明石の上の言葉は、
いつか自分も遺言のような、
口ぶりになってゆく。
女御は手紙をお読みになりながら、
涙ぐんでおられる。
源氏がふいにそこへ、
入ってきた。
(次回へ)