むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

17、薄雲 ⑩

2023年11月11日 08時38分40秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・しみじみとした心地で、
源氏はお里帰りなさった斎宮の女御と、
日の暮れるまで話し込んだ。

「春と秋、
あなたさまは、どちらに、
お心をお寄せになりますか」

源氏がいうと、

「わたくしなどが、
春と秋のどちらがよいとは、
どうして決められましょう。
でも、強いてと申しますれば、
はかなくみまかられた母君のゆかりで、
秋がことに身に沁みます。
あの折は、ひときわ心痛む秋でございました」

とたよりなげにいい紛らせるお口ぶり、
源氏は思わず口にしてはならぬことを、
口走る。

「私も秋をことさらに。
同じ思いでございます私も。
あなたさまのおやさしさを、
おかけ下さい。
わかって頂けますか」

女御のお返事は、あるはずもない。
途方にくれていらっしゃるらしかった。

「おわかりになりませなんだか。
かねて私の気持ちが。
兄君の朱雀院より先に、
私は、あなたさまに執心していたのです。
しかし、亡き母君のお言葉を守って、
じっと耐えて参りました。
この辛さだけは、
申し上げずにいられませんでした」

女御が、あまりのことに、
困り切っていらっしゃるらしいのも、
もっともだし、
今さら、間違いをするのも、
怪しからぬことと、思いとどまる。

源氏は嘆息し、沈黙する。

お若い女御の宮にとっては、
そういう男のなまめかしい色気は、
かえってうとましかった。

女御は、少しずつあと退りして、
奥へ引きこもっておしまいになる。

「いや、これは・・・
こころないことを申し上げて、
ご機嫌をそこねてしまいました。
これからも、
私をそうお憎しみなさらないで下さい。
あなたさまに嫌われましたら、
立つ瀬がございません」

源氏はそれから西の対に渡って、
物思いにふけって横になっていた。

思ってはならぬ人を思う癖は、
まだ自分にはなくならない。

年を重ね、分別も増したかに見えながら、
なおまだ、理性で割り切れぬ情熱が、
自分には残っている。

自分自身、おそろしいような恋である。

これは、
若き日のあやまちであった、
継母・藤壺の宮への恋よりも、
おそろしい、罪ある恋であった。

若い日の過失は、
若かったがためと、
神仏も許し給うであろう。

しかし、斎宮の女御への恋は、
人にも神仏にも許されない。

女御は秋のあわれを、
わけ知り顔にお返事されたことすら、
後悔されていた。

それを恥ずかしく苦しく、
気がふさがれて、
とじこもっておいでになる。

源氏はそれに気づかぬ風で、
いつもより親らしくふるまい、
世話を焼いた。

大堰へも、
公私ともに多忙で、
行く機会はめったにない。

明石の君が京へ出てくれば、
いうことはないのだが、
気位の高さがそれを拒んでいた。

とはいっても、
不憫でもあり、
嵯峨の御堂の念仏にかこつけて、
訪れた。

明石の君は、源氏を見て、
姫君のことやら何やらで、
辛い気持ちでいっぱいになった。

源氏は言葉を尽くしてなだめるのであるが、
明石の君のふかい怨み、つらみは、
解くよしもない。

源氏は彼女の心をなだめるごとく、
いつもより長く、滞在した。






          


(了)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 17、薄雲 ⑨ | トップ | 18、朝顔 ① »
最新の画像もっと見る

「新源氏物語」田辺聖子訳」カテゴリの最新記事