むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

17、薄雲 ⑨

2023年11月10日 08時31分34秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・斎宮の女御は、
源氏が予想した通り、
帝のよいお相談相手となられ、
ご寵愛深かった。

やはり、六條御息所の姫君だけあって、
お人柄のゆかしいこと、
お心づかいの深さ、
すべて申し分なくすぐれていられる。

秋のころ、
女御は源氏の私邸・二條院へお里帰りなさった。

源氏は、今は全く親代わりとなって、
女御をお迎えし、お世話する。

御息所との恋の思い出、
姫君を帝の女御に奉るまでの、
あれこれのいきさつ、
姫君におぼえたほのかな恋、
兄君・朱雀院の失恋。

それにしても、
御息所も逝き、
藤壺の宮もすでにみまかられた。

秋雨にさそわれて、
源氏は女御の部屋へうかがう。

濃い鈍色の直衣姿。
故藤壺の宮のための精進をして、
喪服でいるのだった。

数珠を袖にかくし、
さりげなくつくろっているさま、
花やかな衣よりも却って男のなまめかしさに、
あふれている。

源氏が御簾のうちに入ると、
女御は几帳をへだてて、
ご自身で受け答えなさる。

「前栽の秋草もみな咲きました。
今年はいいことのない、
物憂い年でしたが、
花だけはその時がくると咲くものです。
あわれに思われませんか。
そういえば、
亡き御息所を野の宮におたずねしたのも、
秋でした」

女御も、亡き母君を思い出されるのか、
涙ぐんでいらっしゃるご様子。

源氏は胸さわぐ。
お姿をみたい、と男の好色心はとどめない。
困った癖である。

源氏はものやわらかに、
若き女御に話しかける。

「恋してはならぬ人を恋する、
という厄介な癖が私にはありまして・・・
その中に、
ついに思いが相手の人に届かず、
心残りになった恋が二つございます。
まず、その一つは、
亡くなられたあなたの母君のことでございます。
私をつれない男とお恨みになって、
お亡くなりになった。
私には永久に消えぬ悲しみです。
こうしてあなたさまにお仕えして、
お世話申し上げることを、
せめてもの慰めと思っておりますが、
亡き人の恨みが解けぬままだったと思うと、
心は曇ります」

といって、
もう一つの恋は、
いいさして、源氏は話題を変えた。

「かつて、私が落ちぶれておりましたころ、
ああもしたい、こうもしたい、
と思っていたことは、
ここ数年のうちに少しずつ叶えられました。
たとえば、
東の院に住んでおります花散里、
この人も頼りにする人もない身の上なので、
今は東の院に移して、
何不自由なく暮らしておりまして、
安心でございます。
善良な人柄の人でして、
みなにも好かれて、
朗らかに暮らしております。
私は京へ帰って、
政治にあずかることになりましたが、
そういう方面の成功は、
大した喜びとは思えないで、
こういう、恋の苦労や、
妻たちの運命の方が気になる男でして・・・
あなたさまにも、
ひとかたならぬ思いを抑えて、
お仕え申しあげているのです。
思わず本音を申しました。
この気持ち、おわかり下さいましたろうか。
あわれ、とひと言、
お言葉を頂けなければ、
切ない心は晴れませぬ・・・」

女御は黙っていられる。
唐突なので、お返事ができない。

「今の私の望みとしては、
後世の往生をねがう勤行をすることです。
この世の思い出になることを、
一つも残すことの出来なかったことが、
残念に思われます。
男の人生というものは、
空しいものです。
子供を残したということでしょうか。
ことに娘は人かずにも入らぬ幼さ、
生い先まち遠しく思われます。
私亡きあとも、
娘をお引き立て下さいますように」

女御はそれに対して、
仄かにお返事をなさった。

しみじみとした心地で、
源氏は日の暮れるまで話し込むのであった。






          


(次回へ)

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