・またまた東京の町を楽しんできた。
東京へいったついでに、浅草へお詣りする。
なぜかここが好き。
雷門からの眺めがまずいい。
宝塚の舞台みたいにズラ~ッと両側に店が並んで、
賑やかで好き、宝塚で吉原沖の町が出ると、
書割はこんな風になってる。
<ここが ここが浅草よ お祭みたいに にぎやかね>
(作詞・野村俊夫)
「東京だよおっ母さん」の歌の通りに、
毎日お祭りみたいであるのもいい。
お詣りして、今度の締め切りこそ遅れませんようにお祈りして、
あと、いろいろ買い物する。
東京にしかないものが、浅草で買える。
粋な日本手ぬぐいである。
こういうのは、やっぱり江戸だあ、と思ってしまう。
私は「かまわぬ」手ぬぐいやら、
碇知盛、京伝好みなどを買い込む、
江戸みやげには、打ってつけである。
みな歌舞伎にちなんでいて、
お江戸の人は歌舞伎が好きなようである。
大阪にも歌舞伎ファンは多いのだろうけど、
手ぬぐい屋さんはないようだ。
その近くのお祭り用品の店で、
豆しぼりや吉原つなぎの、これまた粋なシャツを買う。
法被の下に着て、
おみこしをかつぐのだろうけど、
汗ばむころからもう着られそう。
肌にべとつくTシャツよりずっといい。
それから「暮六つ」の前を通ったけど、
残念ながらここへ寄って食べられなかった。
入り口のたたずまいが、
いかにも江戸の時代小説風で、
何やかやいっても東京にもまだ、
こんな風情のところがあるのだ。
東京にいたら、
しみじみと時代小説が書けそうな気がする。
そういわずに、
私も浪花の江戸時代小説を書いてみればいいのであるが、
これはとても、よう書きません。
私に実力もないが、
第一、サムライが町の人口の一割にも満たないという、
浪花の江戸時代小説は、考えただけでも張りがない。
町中みな町人というのは、時代小説になりにくい。
そのサムライも大阪城の勤番をのぞけば、
各藩の蔵屋敷の役人で、これが、
「もののふも米をば高く売りたがり」
という商売人ばかりである。
計理畑、営業畑のサムライだから抜け目なく勘定に明るく、
町人とツーツーになって、新町や曾根崎で、
「ま、どうぞ一杯、ぐ~っと空けて」
などと接待し、三味線のカラオケで唄うてた、
ということになると、
これはもう、経済小説になってしまう。
とても、お江戸の江戸時代小説みたいなわけにはいかない。
やっぱり、武張った野暮な浅黄裏や粋な旗本武士が、
入り乱れないと、時代小説にはならないわけである。
私は人形焼きを買い、日比谷へ急ぐべく地下鉄に乗る。
そうなん、「暮六つ」で食べられなかったのは、
宝塚劇場の開演時間に追い立てられたからである。
おなかがすくといけないと思って、
浅草で人形焼きを買った次第。
これを幕間に食べようと思う。
三月は月組、
「ときめきの花の伝説」と「ザ・スイング」
剣幸(つるぎみゆき)さんのトップおひろめの舞台である。
「ときめき・・・」の原作はスタンダールの「ヴァニナ・ヴァニニ」
であるが、宝塚のスタンダールを見つつ、
幕間に人形焼きを食べるという、
これも粋であろう。
剣さんのこれは、本場の大劇場でも見たが、
東京ではいっそう整理されて、
芝居がすっきりしていた。
面白くて美しかった。
剣さんはもともと重厚な力のある人だったが、
トップに立って艶が加わり、
見違えるように華麗な花を咲かせている。
何年も昔の新人時代から見ている者としては、
感慨があった。この人は歌もうまい。
というわけで、いそいでまた大阪へ帰ったが、
いや、ニューヨークと比べてみて、
東京のほうがきれいな町だと思ったりした。
東京ののほうが何だか、面白そうである。
ニューヨークみたいに道路がデコボコしていない。
ニューヨークを車で走っていると、
マンハッタンの目抜き通りでも、ガクガク揺すぶられる。
穴ぼこがあったり傾いでいたり。
セントラル・パークが広いたって、
奥へは怖くて入れないのだから、
あの公園は半分、ないのも同じである。
しかし働く女性にとっては、
働きやすいところかもしれない。
いたるところの職場に女の人がいた。
東京はニューヨークほど、
女性の働き口はないのかもしれない、と思ったが、
「あ、そんなこと、ない、ない」
という東京帰りの女の子の証言もある。
「何やかやして食べられる、というとこもあるねん。
やっぱり大都会やわあ。飢え死にせんと生きられるとこやし」
「そんな結構なとこ、なんで逃げ出したん?」
といえば、
「居心地ようて、それで一生すんでしまうやないの。
やっぱり居心地悪いとこで、イライラしてみよ、思て」
居心地悪いとこ、というのは大阪である。
大阪は女に甘くない。
文化人に甘くない。
小説家に甘くない。
浪花の江戸時代小説を書きにくいところである。
大阪のお土産をさがしても、
大阪弁のほか、これといってないところである。
文化人の棲息しにくい町である。
不粋な町である。
「それは、大阪人がみな文化人やから、粒立ちまへんのや」
というのがカモカのおっちゃんの弁。