むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

33、江戸の粋・浪花の不粋

2022年04月06日 08時58分48秒 | 田辺聖子・エッセー集










・またまた東京の町を楽しんできた。

東京へいったついでに、浅草へお詣りする。
なぜかここが好き。

雷門からの眺めがまずいい。

宝塚の舞台みたいにズラ~ッと両側に店が並んで、
賑やかで好き、宝塚で吉原沖の町が出ると、
書割はこんな風になってる。

<ここが ここが浅草よ お祭みたいに にぎやかね>
(作詞・野村俊夫)

「東京だよおっ母さん」の歌の通りに、
毎日お祭りみたいであるのもいい。

お詣りして、今度の締め切りこそ遅れませんようにお祈りして、
あと、いろいろ買い物する。

東京にしかないものが、浅草で買える。
粋な日本手ぬぐいである。
こういうのは、やっぱり江戸だあ、と思ってしまう。

私は「かまわぬ」手ぬぐいやら、
碇知盛、京伝好みなどを買い込む、
江戸みやげには、打ってつけである。

みな歌舞伎にちなんでいて、
お江戸の人は歌舞伎が好きなようである。

大阪にも歌舞伎ファンは多いのだろうけど、
手ぬぐい屋さんはないようだ。

その近くのお祭り用品の店で、
豆しぼりや吉原つなぎの、これまた粋なシャツを買う。

法被の下に着て、
おみこしをかつぐのだろうけど、
汗ばむころからもう着られそう。

肌にべとつくTシャツよりずっといい。

それから「暮六つ」の前を通ったけど、
残念ながらここへ寄って食べられなかった。

入り口のたたずまいが、
いかにも江戸の時代小説風で、
何やかやいっても東京にもまだ、
こんな風情のところがあるのだ。

東京にいたら、
しみじみと時代小説が書けそうな気がする。

そういわずに、
私も浪花の江戸時代小説を書いてみればいいのであるが、
これはとても、よう書きません。

私に実力もないが、
第一、サムライが町の人口の一割にも満たないという、
浪花の江戸時代小説は、考えただけでも張りがない。

町中みな町人というのは、時代小説になりにくい。

そのサムライも大阪城の勤番をのぞけば、
各藩の蔵屋敷の役人で、これが、
「もののふも米をば高く売りたがり」
という商売人ばかりである。

計理畑、営業畑のサムライだから抜け目なく勘定に明るく、
町人とツーツーになって、新町や曾根崎で、
「ま、どうぞ一杯、ぐ~っと空けて」
などと接待し、三味線のカラオケで唄うてた、
ということになると、
これはもう、経済小説になってしまう。

とても、お江戸の江戸時代小説みたいなわけにはいかない。
やっぱり、武張った野暮な浅黄裏や粋な旗本武士が、
入り乱れないと、時代小説にはならないわけである。

私は人形焼きを買い、日比谷へ急ぐべく地下鉄に乗る。
そうなん、「暮六つ」で食べられなかったのは、
宝塚劇場の開演時間に追い立てられたからである。

おなかがすくといけないと思って、
浅草で人形焼きを買った次第。
これを幕間に食べようと思う。

三月は月組、
「ときめきの花の伝説」と「ザ・スイング」

剣幸(つるぎみゆき)さんのトップおひろめの舞台である。
「ときめき・・・」の原作はスタンダールの「ヴァニナ・ヴァニニ」
であるが、宝塚のスタンダールを見つつ、
幕間に人形焼きを食べるという、
これも粋であろう。

剣さんのこれは、本場の大劇場でも見たが、
東京ではいっそう整理されて、
芝居がすっきりしていた。
面白くて美しかった。

剣さんはもともと重厚な力のある人だったが、
トップに立って艶が加わり、
見違えるように華麗な花を咲かせている。

何年も昔の新人時代から見ている者としては、
感慨があった。この人は歌もうまい。

というわけで、いそいでまた大阪へ帰ったが、
いや、ニューヨークと比べてみて、
東京のほうがきれいな町だと思ったりした。

東京ののほうが何だか、面白そうである。
ニューヨークみたいに道路がデコボコしていない。

ニューヨークを車で走っていると、
マンハッタンの目抜き通りでも、ガクガク揺すぶられる。
穴ぼこがあったり傾いでいたり。

セントラル・パークが広いたって、
奥へは怖くて入れないのだから、
あの公園は半分、ないのも同じである。

しかし働く女性にとっては、
働きやすいところかもしれない。
いたるところの職場に女の人がいた。

東京はニューヨークほど、
女性の働き口はないのかもしれない、と思ったが、

「あ、そんなこと、ない、ない」

という東京帰りの女の子の証言もある。

「何やかやして食べられる、というとこもあるねん。
やっぱり大都会やわあ。飢え死にせんと生きられるとこやし」

「そんな結構なとこ、なんで逃げ出したん?」

といえば、

「居心地ようて、それで一生すんでしまうやないの。
やっぱり居心地悪いとこで、イライラしてみよ、思て」

居心地悪いとこ、というのは大阪である。
大阪は女に甘くない。
文化人に甘くない。
小説家に甘くない。

浪花の江戸時代小説を書きにくいところである。
大阪のお土産をさがしても、
大阪弁のほか、これといってないところである。

文化人の棲息しにくい町である。
不粋な町である。

「それは、大阪人がみな文化人やから、粒立ちまへんのや」

というのがカモカのおっちゃんの弁。






          


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