むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

15、姥探偵  ②

2021年10月06日 08時24分16秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・「へ~え、よくもそんなことがあるものね」

私は楽しくなってきた。
まだそんな抜け道があったなんて、面白いではないか。

「家には奥さんの住民票しかないのですよ。
投票用紙だって奥さんの分だけ来たっていいますから・・・」

「それにしても、三千万円もねえ」

「どうしたらいいんでしょ、この頃落ち着きませんで」

サナエはこぼしながら帰って行った。


~~~


・私はその後、冷房をごくゆるめにし、そのまま眠った。
目がさめると、美しい夕焼け。

全く、海の見えるマンションの夕焼けほど心おどるものはない。
しばらく、孤独と平安を楽しんでいると、
幽霊の話がおかしくなってきた。

私は受話器を取り上げ、長男に電話する。

「あんた、袋物問屋さんに知り合いおまへんか」

「いてまっせ」

「いっぺん聞いてみてほしいねん。
マルフク、いう袋物問屋が京都にあるかないか?」

「聞きまっけど、何しますねん」

「いや、ちょっと」

「また、縁談の仲人でっか。
お母チャンが口出ししたら話がかえってぶちこわしになるさかい、
気ぃつけなはれ」

何をいうのや、こっちは幽霊の話をぶちこわしにしようというところ。

「ああ、それから、東京も調べて、浅草の方にないか。
マルフク、フクマル、もしかしたら、
マルかフクかどっちかつく名、全部調べてや」

私はそれから二、三のことを頼んだ。

しばらく忙しくしていたが、サナエが電話してきて、
今、清水ふみよが遊びに来ているので同道してもいいか、
といってきた。


~~~


・ふみよは小柄な老婦人で、今もなかなか美しい。

たよたよと心ぼそげでありながら、
なるほどこれでは男がやさしくいたわりたくなるであろう。

眉間にタテじわのサナエや、キッパリ堂々の私では、
男もいたわる気はせぬであろう。

物の言いぶりも品があり、教養がありそうで私は好感を持った。

「ご主人の本籍はいまだにお分かりやないんですか?」

「はい。京都やというてましたけど、
清水寅吉、いう名ぁではあれしませんねん」

「遺産おくられる心あたりは、ほんまにないのんですか?」

「はい」

「でも、ご主人の身許がお分かりにならなんだら、お困りでしょう」

「いいえ、別に。いつもそばにいる気がしましてね。
京都が好きな人でした。私は大阪生まれですけど、
主人によう連れて行ってもろて、あだし野あたりをよう歩きました」

「それで、ご主人には京なまりがありました?」

「ええ。もう主人の身許も遺産の送り主も、どうでもよろしいのよ。
主人が『そんなこと気にせんと、楽しいに余生を送ったらええ』
というてくれてる気がします。
京都のおにしさん(西本願寺)へお骨も納めて、やっとほっとしましたの」

有馬のホームでは毎日楽しいという。

その時、電話がかかった。
ふみよさんはそれをしおに帰ることにして、
サナエが駅まで送ってゆく。

電話は長男である。

「あちこち手分けして聞いてもろた。
まず、マルフクいう店は京都にはないけど、
東京の浅草に一軒、フクマルというのがあるそうや。
今年、先代が死んだんやな、米山寅太郎という人やったらしい」

「先代なら、六、七十やろな」

「このフクマルは大きい店らしおまっせ」

「ふん、おおきに」

「いったい何しまんねん」

「幽霊や、幽霊をとっちめるのや・・・」

「もう盆は過ぎてまっしゃないか、もしもし・・・」

私は電話を切ってにんまりする。






          


(次回へ)

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