・「へ~え、よくもそんなことがあるものね」
私は楽しくなってきた。
まだそんな抜け道があったなんて、面白いではないか。
「家には奥さんの住民票しかないのですよ。
投票用紙だって奥さんの分だけ来たっていいますから・・・」
「それにしても、三千万円もねえ」
「どうしたらいいんでしょ、この頃落ち着きませんで」
サナエはこぼしながら帰って行った。
~~~
・私はその後、冷房をごくゆるめにし、そのまま眠った。
目がさめると、美しい夕焼け。
全く、海の見えるマンションの夕焼けほど心おどるものはない。
しばらく、孤独と平安を楽しんでいると、
幽霊の話がおかしくなってきた。
私は受話器を取り上げ、長男に電話する。
「あんた、袋物問屋さんに知り合いおまへんか」
「いてまっせ」
「いっぺん聞いてみてほしいねん。
マルフク、いう袋物問屋が京都にあるかないか?」
「聞きまっけど、何しますねん」
「いや、ちょっと」
「また、縁談の仲人でっか。
お母チャンが口出ししたら話がかえってぶちこわしになるさかい、
気ぃつけなはれ」
何をいうのや、こっちは幽霊の話をぶちこわしにしようというところ。
「ああ、それから、東京も調べて、浅草の方にないか。
マルフク、フクマル、もしかしたら、
マルかフクかどっちかつく名、全部調べてや」
私はそれから二、三のことを頼んだ。
しばらく忙しくしていたが、サナエが電話してきて、
今、清水ふみよが遊びに来ているので同道してもいいか、
といってきた。
~~~
・ふみよは小柄な老婦人で、今もなかなか美しい。
たよたよと心ぼそげでありながら、
なるほどこれでは男がやさしくいたわりたくなるであろう。
眉間にタテじわのサナエや、キッパリ堂々の私では、
男もいたわる気はせぬであろう。
物の言いぶりも品があり、教養がありそうで私は好感を持った。
「ご主人の本籍はいまだにお分かりやないんですか?」
「はい。京都やというてましたけど、
清水寅吉、いう名ぁではあれしませんねん」
「遺産おくられる心あたりは、ほんまにないのんですか?」
「はい」
「でも、ご主人の身許がお分かりにならなんだら、お困りでしょう」
「いいえ、別に。いつもそばにいる気がしましてね。
京都が好きな人でした。私は大阪生まれですけど、
主人によう連れて行ってもろて、あだし野あたりをよう歩きました」
「それで、ご主人には京なまりがありました?」
「ええ。もう主人の身許も遺産の送り主も、どうでもよろしいのよ。
主人が『そんなこと気にせんと、楽しいに余生を送ったらええ』
というてくれてる気がします。
京都のおにしさん(西本願寺)へお骨も納めて、やっとほっとしましたの」
有馬のホームでは毎日楽しいという。
その時、電話がかかった。
ふみよさんはそれをしおに帰ることにして、
サナエが駅まで送ってゆく。
電話は長男である。
「あちこち手分けして聞いてもろた。
まず、マルフクいう店は京都にはないけど、
東京の浅草に一軒、フクマルというのがあるそうや。
今年、先代が死んだんやな、米山寅太郎という人やったらしい」
「先代なら、六、七十やろな」
「このフクマルは大きい店らしおまっせ」
「ふん、おおきに」
「いったい何しまんねん」
「幽霊や、幽霊をとっちめるのや・・・」
「もう盆は過ぎてまっしゃないか、もしもし・・・」
私は電話を切ってにんまりする。
(次回へ)