むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

25、姥ぷりぷり  ①

2021年11月10日 08時38分50秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・まったく、よく問題の起きるマンションになってしまったものだ。
早春の早朝、救急車のサイレン、パトカーのサイレンが、
このマンションを包んだ。

私はまだベッドの中にいて、朝寝を楽しんでいるところ。
いったい、何ごとかしらん。
もしかして火事やったらえらいこっちゃ、
とフトンをはねのけた。

廊下へ出てみると、
上杉夫人がエレベーターで昇ってきたところ。

「まあ、どうでしょう、今度は刃物三昧ですわ。
とうとう流血沙汰が起きましたわ。
一生住めるところと思えばこそ、ここを選びましたのに・・・
一階の女の人らしいです。どうやら無理心中らしいって。
ほら、四十半ばのきれいで、キャリアウーマン風の人がいますでしょう」

マンション中がざわめいているようだった。
テレビ局がやってきて、ロビーを占領してしまった。
その頃になって、あらましのニュースが伝わってきた。

一階の部屋に住む四十五才の商社勤めの女性が、
愛人の二十七才の男性を包丁で刺し、自分も死のうとしたが、
どちらも命をとりとめる模様。

キャリアウーマンだかワーキングウーマンだか知らないが、
四十五にもなった女がするこっちゃないやないか、
と私は思う。

普通の人間が言うたらアカンことでも、
八十の人間になれば、もう言ってもよろしかろう。

(アホは死んだらええねん!)

もうどうしようもない、世の中、アホが多いのだ。
しかし、さすがに口には出さず、心の中で思っているだけ。
(ま、自分もアホだと思っているが)

もっとも、これも八十だから言えるのである。
八十はもはや、精神的治外法権だ。

それは、私一人、こっそり心の中に収めているつもりだった。


~~~


・午後、外出しようとして下りてみると、
まだロビーはごった返しており、
テレビのリポーターがしゃべっていた。

「・・・逃げる男を、追っていって刺した、
ひどい話じゃありませんか」

ロビーは好奇心のまま行動する中年女性でいっぱい。
私は外へ出られず、押し戻されてしまった。

どこからこんなに多くの中年婦人が集まったのであろう。
ロビー中、テレビ局のスタジオのような熱気。

それにしてもオジンは一人もいない。
マイクが中年婦人の一人に向けられる。

「やはり、年上の方が踏みとどまるべきですわ」

良妻賢母がパーマかけて、
メガネをかけたオバンが見解を述べる。

「何たって、女がいけません。
その男の子の親御さんの身になったら、どんなお気持ちかしら」

突然、私の顔にマイクが向けられる。

「お婆ちゃんにお聞きしてみましょう」

お婆ちゃんだって?

「チエに満ちたご意見、お聞きしたいんです」

「ちょっとユニークすぎるけど、いいですか?」

「は、むろんです」

「あたしゃ、アホは死んだらエエねん、とつくづく思いましたね」

言ってしまった。
心の中で収めようと思っていたコトバなのに。

「は?」

「アホは死んだらエエ、言うてるんです。
四十になる女がそこまでノボせることないやないの。
その男も悪い。きっとその男、厚かましいて、図々しいて、、
女にさんざん金を貢がせてたんと違いますか。
女はみつぐ子さんになってたんやと思うわね。
今日びの男は、好意や金はたっぷり受けて、
ほな、さいなら、で出て行くから、女はカッとしたんでしょう。
きちんと責任持って、死んでほしいです」

「いや、しかし、この前途有為の青年を」

「そんな、厚かましい若いもんが何が前途有為やねん。
ま、女のヒモか社会の寄生虫やないかしらん。
むしろ、女の方が前途有為やったかもしれへん」

「しかし、人命は地球より重く・・・」

そのあたりから、オバンのざわざわが高くなる。

「そうよ、そうよ、アホは死ねとは、過激分子の発言やわ」

私はせせら笑い、

「死ね、と言うたら、ミもフタもないけど、
死んだらエエねんには人類愛があるんですよ。
死んでほしくない、生きててほしい、
そういうめげたり、落ち込んだりしている人に、
どう言えば元気を出させられるか。
それを、恥ずかしくないの!とか、年上でしょ!とか、
けしからんわね!とか言うのはたやすい。
しかし、それではいよいよ落ち込みます。
そういうときは アホは死んだらエエねん、と突き放すと、
猛然と生きる力が湧くってもんですよ」

「でも、アホって差別語やありません?」オバンの一人が言う。

「とんでもない、バカが差別語ですよ。
バカは死ななきゃなおらない、というのと、アホは死んだらエエねん、
どっちが差別キツイ思います?」

やがてテレビ局も退散し、みな散った。
さらに私は考えた。

その二、「アホの面倒見てられへん」
何が人命は地球より重い、だ。

私くらいの年になれば「人間で地球は重い」と言いたい。
少し減ったほうがよい。だからこそ、アホは死んだらエエねん。






          


(次回へ)

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