むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

21、瓜と爺さん  ②

2021年08月19日 08時46分28秒 | 「今昔物語」田辺聖子訳










・爺さんが立ち去ったので、我らも腰を上げて、
いざ馬に瓜の籠を積もうとすると、これはいかなこと、
籠はあれども、瓜は影も形もない。

「しまった、あの爺さんの食わせたのはわしらの瓜だった。
めくらましをかけられて、わしらの瓜を奪られてしもうた!」

宰領はじめ、みな地団駄踏んでくやしがったが、
爺さんの行方も知られず、どうしようもない、
すごすごとまた大和へ空籠のまま引き返し、
里人は指さして笑うたもの。

これも年寄りに憐れみをかけないゆえと、
したり顔に説教する人もあったりして、
しばらく世のうわさ話や教訓のたねになり、
瓜運びの男どもは物笑いの的になったことであった。


~~~


・しかしわしは別のことを考えて居った。

少年のわしは、
あの爺さんの鮮やかなめくらましにすっかり心奪われ、
どうかしてあの技を習得したいという気が、
寝ても覚めても退かぬ。

奈良の春日の奥山に、
めくらましの術に長けた法師がいて、
お寺の縁日に見世物をするということを聞き、
わしは探しまわった。

そうして、市の外れにめくらましを見せる法師を見つけた。

紙片の切り散らしを吹くと、それは桜吹雪になった。
水しぶきを打つと、それは青蛙になった。
手を鳴らすと、見物のふところから犬の子が飛び出した。
鮮やかな手並みであった。

日が暮れて人が散じ、市が閉じられると法師は帰って行く。
わしはその後を追い、法師の袖を捉えて、
どうかわしを弟子にしてほしいと頼んだ。

法師は頭を振り、

「外術(げじゅつ)は人外人、人でなしのもの、
お前はこんなものに興味を持つものではない。
疾く疾く親のもとへ帰れ。
世の常の身すぎ世すぎをして親を大切にし、妻子をいたわれ。
それが人間の道じゃ」

というではないか。

「親はもう二人ともおりませぬ。
まだ十五で若ければ妻子も持ちませぬ。
天涯孤独の者なれば、よしや人外人に落ちたとて、
嘆き怒る者もおりませぬ」

わしは必死に頼み、法師はそれなら、と折れた。

「その代わり、修行はきついぞ。覚悟はできているか」

「はい。どんな辛い修行でも」

わしは、あの変化の術を会得できるならば、
どんなことでもやりとげて見せよう、と勇み立った。


~~~


・七日間、堅固に精進潔斎し、
いよいよ法師に連れられて人の足跡もまれな奥山へ入った。

そこは烈しい急流が、木々の繁みを貫き、岩を噛んで流れている。

法師はまずわしに、
以後、仏の教えを棄てること、
人間の喜怒哀楽、人情や情愛を棄てること、
を誓わせた。

人外人になるには当然のことであろう。
わしは誓った。すると法師は、

「それでは、この川上から流れてくるものを抱け。
どんなに怖ろしくても川から拾い上げよ」

と命じて姿を消した。

わしは川面に目を凝らして待っていた。
そこへ流れて来たのは、
わしが一抱えしても手にあまるような大蛇ではないか。

らんらんとした眼はわしをにらみつけ、
うろこは逆立ち、蛇体はくねって水しぶきをあげている。

わしは震えわなないて、とても拾い上げられなんだ。
法師が現われ、わしをひどく叱った。

「それみろ。
そんなことで、この術が習い取れると思うのか。
お前が蛇と見たのは、木の端くれだったのだ。
あきらめて帰れ」

わしは悔しくなって、
もう一度、修行させてもらえるよう頼んだ。

「それではいま一度だけ、機会を与えよう。
今度は流れて来たものがどんなものであれ、
手を触れるではない。見過ごすのだぞ。よいか」

わしは再び川面に目を凝らした。
何やら急流に押し流され、助けを求めている人の姿。

長い黒髪、白い手足、からまる帯・・・

「おっかさん!」

わしは絶叫した。

十の年に死に別れたなつかしい母親が、
いま溺れようとしているではないか。

わしはざぶんと川に飛び込み、母の体に手をかけた。
・・・ところが手に摑んだのは木片であった。

その時、どこからともなく法師の声が聞こえた。

「去れ!小童。疾く疾く人間の世に帰れ。
人外人の術など学ぶでない。
お前のような若者を人でなしにしたくはない。
疾く疾く帰れ、人の世に帰れ・・・」


~~~


・外術を会得した者は、百、二百才の齢を保つというが、
人の心を失うて、なんの長寿であろう。

そう・・・この頃のわしは思うようになった。
修行に失敗して幸せであったよ。
わしはよき妻子に恵まれたからの。

おや、死んだ婆さんが七夕の織女のように、
あれ、天の川の向こう岸でわしを待っておるげな・・・
老人はにこにこと星空を仰ぐ。

秋風が吹けば、
天の川をはさんで牽牛、織女が恋い交わす七夕の季節である。






          


(了)

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