・爺さんが立ち去ったので、我らも腰を上げて、
いざ馬に瓜の籠を積もうとすると、これはいかなこと、
籠はあれども、瓜は影も形もない。
「しまった、あの爺さんの食わせたのはわしらの瓜だった。
めくらましをかけられて、わしらの瓜を奪られてしもうた!」
宰領はじめ、みな地団駄踏んでくやしがったが、
爺さんの行方も知られず、どうしようもない、
すごすごとまた大和へ空籠のまま引き返し、
里人は指さして笑うたもの。
これも年寄りに憐れみをかけないゆえと、
したり顔に説教する人もあったりして、
しばらく世のうわさ話や教訓のたねになり、
瓜運びの男どもは物笑いの的になったことであった。
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・しかしわしは別のことを考えて居った。
少年のわしは、
あの爺さんの鮮やかなめくらましにすっかり心奪われ、
どうかしてあの技を習得したいという気が、
寝ても覚めても退かぬ。
奈良の春日の奥山に、
めくらましの術に長けた法師がいて、
お寺の縁日に見世物をするということを聞き、
わしは探しまわった。
そうして、市の外れにめくらましを見せる法師を見つけた。
紙片の切り散らしを吹くと、それは桜吹雪になった。
水しぶきを打つと、それは青蛙になった。
手を鳴らすと、見物のふところから犬の子が飛び出した。
鮮やかな手並みであった。
日が暮れて人が散じ、市が閉じられると法師は帰って行く。
わしはその後を追い、法師の袖を捉えて、
どうかわしを弟子にしてほしいと頼んだ。
法師は頭を振り、
「外術(げじゅつ)は人外人、人でなしのもの、
お前はこんなものに興味を持つものではない。
疾く疾く親のもとへ帰れ。
世の常の身すぎ世すぎをして親を大切にし、妻子をいたわれ。
それが人間の道じゃ」
というではないか。
「親はもう二人ともおりませぬ。
まだ十五で若ければ妻子も持ちませぬ。
天涯孤独の者なれば、よしや人外人に落ちたとて、
嘆き怒る者もおりませぬ」
わしは必死に頼み、法師はそれなら、と折れた。
「その代わり、修行はきついぞ。覚悟はできているか」
「はい。どんな辛い修行でも」
わしは、あの変化の術を会得できるならば、
どんなことでもやりとげて見せよう、と勇み立った。
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・七日間、堅固に精進潔斎し、
いよいよ法師に連れられて人の足跡もまれな奥山へ入った。
そこは烈しい急流が、木々の繁みを貫き、岩を噛んで流れている。
法師はまずわしに、
以後、仏の教えを棄てること、
人間の喜怒哀楽、人情や情愛を棄てること、
を誓わせた。
人外人になるには当然のことであろう。
わしは誓った。すると法師は、
「それでは、この川上から流れてくるものを抱け。
どんなに怖ろしくても川から拾い上げよ」
と命じて姿を消した。
わしは川面に目を凝らして待っていた。
そこへ流れて来たのは、
わしが一抱えしても手にあまるような大蛇ではないか。
らんらんとした眼はわしをにらみつけ、
うろこは逆立ち、蛇体はくねって水しぶきをあげている。
わしは震えわなないて、とても拾い上げられなんだ。
法師が現われ、わしをひどく叱った。
「それみろ。
そんなことで、この術が習い取れると思うのか。
お前が蛇と見たのは、木の端くれだったのだ。
あきらめて帰れ」
わしは悔しくなって、
もう一度、修行させてもらえるよう頼んだ。
「それではいま一度だけ、機会を与えよう。
今度は流れて来たものがどんなものであれ、
手を触れるではない。見過ごすのだぞ。よいか」
わしは再び川面に目を凝らした。
何やら急流に押し流され、助けを求めている人の姿。
長い黒髪、白い手足、からまる帯・・・
「おっかさん!」
わしは絶叫した。
十の年に死に別れたなつかしい母親が、
いま溺れようとしているではないか。
わしはざぶんと川に飛び込み、母の体に手をかけた。
・・・ところが手に摑んだのは木片であった。
その時、どこからともなく法師の声が聞こえた。
「去れ!小童。疾く疾く人間の世に帰れ。
人外人の術など学ぶでない。
お前のような若者を人でなしにしたくはない。
疾く疾く帰れ、人の世に帰れ・・・」
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・外術を会得した者は、百、二百才の齢を保つというが、
人の心を失うて、なんの長寿であろう。
そう・・・この頃のわしは思うようになった。
修行に失敗して幸せであったよ。
わしはよき妻子に恵まれたからの。
おや、死んだ婆さんが七夕の織女のように、
あれ、天の川の向こう岸でわしを待っておるげな・・・
老人はにこにこと星空を仰ぐ。
秋風が吹けば、
天の川をはさんで牽牛、織女が恋い交わす七夕の季節である。
(了)