・霧ふかく霜の白い朝、
源氏は邸を出た。
女房達は源氏の君にお泊り頂かなかったら、
ゆうべのような嵐の晩は、
どんなに恐ろしかったことでしょう、
とささめいていた。
同じことなら姫君が源氏の君にお似合いの年で、
愛人として通っていらっしゃるなら、
どんなによかろうに、
と言い合ったりした。
源氏は少納言にいった。
「こんな淋しいところへ、
姫君を置けないよ。
私の邸へお引き取りしたいのだが」
「お父宮さまもそう仰せになるのですが、
四十九日をすませてから、
と思し召すようでございます」
「お父宮といっても、
離れて暮らしてらしたから、
親しみはおありにならないだろう」
源氏は姫君に手紙を書こうと思ったが、
ふつうの情事の相手とちがい、
幼い童女に与えるものなので、
さすがの源氏も筆を持ったまま案じていた。
思い屈しつつ、
手もとの紙に書きつける。
<手に摘みていつしか見む
むらさきの 根にかよひける 野辺の若草>
そうだ、
藤壺の宮に通わせて、
あの姫を「紫の君」と呼ぼう。
紫の姫君の邸に、
父宮がおいでになった。
荒れた邸に、
人少なで淋しげに姫君がいるのをご覧になって、
「やっぱり私の邸に引き取ろう。
何も気がねなことはないよ。
同じような年ごろの姫たちもいることだし、
ここよりずっとにぎやかで楽しいよ」
「お移りになるのは、
少し落ちつかれてからで、
よろしゅうございましょう。
おばあちゃまを慕っていらして、
ものも召しあがらぬほどでございます」
と乳母の少納言は、
言わずにいられなかった。
「おばあちゃまはいられなくても、
お父さまがいるのだから、
心細がらなくてもいいよ」
父宮はやさしくいわれるが、
日が暮れて本邸へ帰ろうとされると、
姫君はしくしく泣き出し、
父宮も涙ぐまれた。
「これはいけない。
こんな小さな子を一人にしておけない。
今日明日にでもお迎えにくるよ」
とさまざま姫君をなだめて、
お帰りになった。
惟光が使いから帰ってきた。
紫の姫君の邸へ、
源氏の手紙をことづけたのである。
「どうだった、あちらは」
「たいへんでございます。
お父宮さまが姫君を明日、
お邸へお迎えになるそうで、
少納言たちはその用意に追われておりました」
「父宮のもとへ・・・」
源氏はがっかりしてしまった。
惟光は実のところ、
少納言と話したことがあったが、
源氏に告げなかったことがある。
少納言は、
源氏が姫君のもとへ泊まったと、
父宮が耳にされたら、
どれだけご立腹になるかもしれない、
と困っていた。
さりとて、
このまま源氏の君が通って来られたら、
妙な噂が立つ、と嘆いていた。
源氏は煎られるような焦燥感の中で考える。
もう猶予はならなかった。
人の生涯で二度あるかないか、
という勇気と決断を要求される時であった。
奪おう。あの姫を。
源氏は決心した。
「惟光」
「は」
「車を。
随身は一人、二人、支度させよ」
まだ暗い夜明け、
姫君の邸についた。
(次回へ)