むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

4、末摘花 ②

2023年08月04日 08時25分45秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・「どういうことだ。
何だか馬鹿にされてるような気がする。
こんなことははじめてだ」

「たいそう人見知りして、
恥ずかしがりの方でいらっしゃるので、
こんなことに慣れていらっしゃらないので、
どうお返事を書いていいやら、
困っておいでなのです」

命婦は姫君を好意的にかばっていった。

「・・・命婦、
姫君のお許しが出なくてもいいではないか。
会えるようにしてくれ。
無体なことはしないと約束するから」

源氏の熱心さにほだされたし、
何より、あの邸の荒れた心細いありさまを思うと、
源氏と姫君にもしご縁があれば、
どんなことで姫君のご運が開けるかもしれない、
と命婦は思った。

正直なところ、
源氏のような物好きな青年でなければ、
狐の出そうな浅茅の生い茂った、
庭を踏み分けてくる男は、
なさそうであった。

世に老い埋もれておしまいになるよりは、
源氏のような貴公子と、
かりそめの縁でもお結びになるほうが、
いいかもしれない、
と命婦は思った。

八月の二十何日か、
月の出の遅い夜、
命婦は姫君と昔語りをしていた。

そこへ源氏の訪れが告げられた。

命婦はいまはじめて聞いたように、
驚いてみせて、

「まあ、困りました。
源氏の君のお越しですわ。
かねがねお返事がないので、
直接、参上してお話をうかがおう、
などとおっしゃるのを、
私はお断りしていたのでございます。
でも、ご身分ある方をお帰しすることも、
できますまい。
お話をお聞きになるだけでも・・・」

というと、
姫君はひどく恥ずかしがって、

「よその方とお話するなんて、とても・・・」

としり込みされるのを、
命婦は笑って、

「親御さまがおいでの身の上ならともかく、
お姫さまはおひとりでこれから、
生きていらっしゃらないといけません。
少しはお気強く、
世間にもお慣れ遊ばしませんと」

と教え聞かせると、
さすが姫君はおっとりと育てられているので、
頑固にはならず、

「おっしゃることを、
ただお聞きするだけだったらいいわ」

姫君は二間のあいだのふすまを自分で閉めて、
こちらの部屋に源氏の座をもうけた。

老いた女房たちは、
部屋に入ってうつらうつらしていたが、
若い女房二、三人は、
世に評判の光源氏に会えると思って、
胸をときめかせている。

命婦は姫君の衣装を着替えさせ、
あまりにも無防禦でおとなしい姫君を、
不幸にするのではあるまいか、
という不安を感じた。

源氏は満足していた。

ふすまの彼方の姫君は、
静かでおくゆかしい様子の人に思われたから。

源氏は年ごろ思い続けた恋だったと、
たくみに言い続けるが、
手紙でさえ返事を書かぬ姫が、
まして返答するはずもない。

源氏がため息をつくと、
姫君の乳母の娘で、
侍従と呼ばれるはしっこい若い女房が、
見かねて姫君のかわりに返事をした。

「どうお答えしたらいいやら・・・
言わぬは言うに優る、
と申すではございませんか」

若々しい声である。

「やっとお声を聞かせて下さいましたな。
言わぬは言うに優る、
と申してもほどというものがあります」

これは一風変わっている。

源氏はしまいにいらいらしてきたので、
思い切って起ってふすまを開け、
中へ入っていった。






          


(次回へ)

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