・夕霧が、
栄華を欲しいままにする家に生まれながら、
蛍の光、窓の雪をたよりに勉学にいそしんだ、
古人にならおうとする、
その志のけなげさ。
それに引き続き、
夕霧に大学入学の式をさせ、
そのまま東の院に部屋を作り、
学識深い師に托し、
学問をさせることになった。
もはや祖母君・大宮のもとへも、
夕霧はほとんど出かけない。
それは源氏の指図によるものである。
大宮は夕霧をお可愛がりになっていて、
夜も昼もおそばに置き、
幼児のように扱われるので、
そんな所では、
とても勉学に励むわけにはいくまい、
と静かな所に籠らせたのだった。
そうしてひと月に三度くらいは、
大宮のもとへ行くことを許した。
少年はずっと引きこもっていて、
気が晴れない。
父親の処置に不平を持っている。
(ずいぶん、ぼくにきびしく当たられる。
こんなに苦しい勉強をしなくても、
高い位に昇り、世間で重んじられる人も、
いるのに)
と父親を恨めしく思ったりするが、
もともと質実な浮いたところのない性格なので、
我慢してひたすら勉強に打ち込んでいた。
そろそろ、
大学寮の試験を受けさせようと源氏は考え、
夕霧の家庭教師の人々を招いて、
寮試に出そうな個所を抜き出して、
読ませる。
少年はすみずみまで明快に解釈し、
模擬試験は上々の成績であった。
天与の才であろうと、
人々は感動して、
美少年をいとしく思い、
涙ぐむのだった。
叔父にあたる大将(昔の頭の中将)は、
「ああ、亡くなられた太政大臣がいらしたら、
どんなにお喜びになっただろう」
と涙を抑えた。
源氏も瞼を熱くする。
それを見る家庭教師は、
(若君をお教えした甲斐があった)
と面目あることに思った。
夕霧が大学に寮試を受けにいく日は、
正門に上達部の車が数えきれぬほど並んだ。
そこへ人波を払って夕霧が入ってきた。
とりわけ大切に、
人々にかしずかれている若君のありさま、
一般の貧しい大学の衆の仲間にまじるのは、
まことに勿体ないほど、
上品で愛らしい美少年だった。
ここは学問の場であるから、
身分の差を問うことなく、
長幼の序に従って座につく。
この席でも、
やかましく叱りつける学者がいたりして、
夕霧は不快だったが、
気おくれせず最後まで読み通した。
昔、醍醐帝のころ、
大学が盛んで、
学芸が興隆して人材が輩出したが、
今はそれに似ている。
少年は順調に合格してゆく。
今では一心に学問に打ち込み、
一層励んでいた。
学問だけではなく、
それぞれの道に才能ある人が、
実力を認められ、
報われるよき時代であった。
冷泉帝(故藤壺女院と源氏の子)の、
中宮を定められなければならなかった。
源氏は斎宮の女御(六條御息所の姫君)を、
中宮にと推している。
「亡き母宮の藤壺の女院が、
斎宮の女御を主上の御後見にと、
私に望まれたから」
と源氏は、
藤壺の宮のご遺言にことよせて、
主張する。
しかし世間は、
二代の后が続いて源氏出身(皇族出身)、
であることを歓迎しない。
「弘徽殿の女御(昔の頭の中将の姫君)は、
どなたよりも先に入内なさったのだから、
それをさしおいて、とはいかがなものか」
など、
斎宮の女御方、弘徽殿方に、
心寄せる人は気を揉んでいる。
そればかりではない。
兵部卿の宮、
今は式部卿の宮と申し上げるが、
帝の御伯父に当たられるので、
その方の姫君が、入内なさっていた。
王女御と呼ばれていらっしゃる。
紫の上の異母妹に当たられる。
三人の女御をめぐって、
宮中は火花を散らす暗闇が、
くりひろげられた。
いうまでもなくそれは、
それぞれの女御の後援者、
庇護者の争いにほかならぬ。
このたびは立后という直接的な形だけに、
以前の絵合わせの争いなどよりもっと、
熾烈な、切迫した、政界実力者の、
争闘である。
ついに再び源氏は勝った。
衆論を導いて、
斎宮の女御立后が決定されたのである。
女御は晴れて、
冷泉帝の中宮に柵立された。
亡き母君、六條御息所のご不運にひきかえ、
なんと幸運なお方であろう。
源氏は太政大臣に昇り、
大将(頭の中将)は内大臣となった。
そして源氏は、
天下の政務を内大臣に譲った。
源氏の政治的処理の手腕は、
あざやかである。
(次回へ)