「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

19、少女 ③

2023年11月19日 12時50分38秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・そのかみの頭の中将も今は、
天下の権勢を握る内大臣となった。

この人は人柄が剛直で、
しかも派手好きで才覚もあった。

学識も深く政治的能力も抜群で、
源氏をのぞいてはまず、
一の人と称してもよかった。

夫人は多く、
それぞれに生んだ子たちが十余人もあって、
源氏に比べると子福者である。

ほとんど男の子供たちで、
次々に成人して出世してゆき、
家運隆盛な一家であった。

内大臣の娘は二人しかいない。

一人は弘徽殿の女御。
いま一人の娘は、
雲井雁(くもいのかり)と呼ばれる。

この娘は母君が皇族出身で、
血筋の貴いことは女御に劣らなかったが、
境遇は不幸せだった。

母君は内大臣と離婚し、
按察使大納言と再婚していた。

再婚先でも子供が多く出来たので、
少女は実父の内大臣に引き取られたのだった。

内大臣は、
雲井雁を新しい継父に渡すのを哀れんで、
引き取ったのであるが、
しかし、可愛がってはいなかった。

内大臣の愛情は女御になられた方の娘に、
より深く、扱いも格別に重んじていた。

雲井雁は、
祖母君の大宮の手もとで育てられていた。

父母の愛うすいとはいえ、
少女は美しく、人柄も素直な、
かわいい姫であった。

さて、
大宮の手もとで育てられる子供は、
もう一人いた。

亡き葵の上の忘れ形見、夕霧である。

いとこ同士の少年少女は、
兄妹のようにむつみあって、
一緒に育ったが、
それぞれ十歳を超えてからは、
部屋も別々にされた。

父の内大臣の配慮であった。

「いくら親しい仲だといっても、
女は男になれなれしく、
うちとけるものではない」

と雲井雁に教えて、
往来を禁じた。

幼なじみの少女との仲を、
さかれてしまった少年は、
淋しくてたまらなかった。

それゆえ、
雲井雁も夕霧を慕いなつかしみ、
やがてそれは淡い恋心に染められていった。

後見役の乳母たちは、
大人の考えで、たかをくくっていた。

「十歳を過ぎたら、
男と女は分けてへだてよ、
と大臣はおっしゃいますが、
何といいてもまだ、
幼な心の抜けないお年頃ですもの」

「長いこと、
ご一緒に育っていらしたのですから、
いいお遊び相手でいらっしゃるのです。
そう急に、むりやり引き離して、
お説教申すこともありますまい」

少女の姫は、
無垢で純真で、あどけなかったし、
少年の若君もまだ子供っぽく、
人々は安心していた。

しかしそれは、
思春期の少年少女の、
動揺しやすい不思議な心の働きを、
知らぬものであった。

たゆたいながら、
恥じらいながら、
ひそやかに、
したたりはじめた初恋の露の、
それがいつしかなみなみとたたえられて、
あふれたとき、心と心は相より、
人目を忍ぶようになっていた。

人目を盗んでのあわただしい逢瀬。
幼い誓いの指切り。

少年は、
雲井雁に思うように逢えないのが辛くて、
しきりに手紙を書いた。

まだ子供らしさのぬけぬ筆跡ながら、
幼い恋の手紙がつい落ち散って、
大人の目に触れることがあった。

雲井雁つきの女房の中には、
それと察して、二人の関係を知る者も、
あるらしかったが、
どうして内大臣に告げ口できようか。

みな胸におさめて知らぬ顔をしていた。






          


(次回へ)

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