・少弐に先立たれて残された家族は心細く、
今は早く上京したかったが、
少弐と仲の悪かった者も多かったので、
旅を妨げられるのを恐れて、
先延ばししているうち、
心ならずも筑紫で年を重ねることになった。
姫君は成長するにつれ、
母君の夕顔より美しくなった。
父大臣の血筋のせいか、
気品高く艶麗であった。
姫君の素性はかたく秘められていて、
邸の者にも知らせていない。
それで人にも会わせず、
風にも当てぬようにして、
かしずき育てていたが、
姫君は美しいばかりでなく、
気立てもおっとりと、
いかにも高貴の姫らしく、
好もしい性格であった。
噂を聞きつけて、
色好みな田舎の男たちが興味を持ち、
恋文を送ってきたりするが、
乳母をはじめ、みな、
頭から問題にしていなかった。
そして神仏に願をかけて、
どうぞ早く都へ上がれますように、
と祈っていた。
そうは思いつつ、
はかないのは人の暮らしであった。
少弐の息子たちも娘たちも、
今はそれぞれに住みついた土地で、
馴染みが出来て結婚していた。
そうなると、
縁につながったしがらみは身を縛り、
心では早く都へ、
と思いつつ、
現実には、
ますます都は遠いものになっていった。
姫君は成人して物思う年頃になった。
わが身の数奇な運命が悲しく、
二十歳ばかりになるころは、
こんな田舎に沈めておくには、
勿体ないほどだった。
このあたりは肥前の国である。
このへんの主だった有力者たちは、
噂を聞き伝えて、
やかましく求婚してくるのが、
うるさいほどであった。
その中に大夫の監(げん)という男がいた。
肥後の国に住み、
一族も多く、声望と威勢を持つ有力者である。
むくつけき田舎武士だが、
好色心も持っていて、
金と力にものいわせ、
美女をあつめていた。
この姫君のことを聞いて、
熱心に申し込んだ。
乳母は恐ろしく、うっとうしく、
「とてもとても。
本人は耳もかさずに尼になると申しています」
と言わせると、
監はいよいよ執着し、
尼になられては大変と、
肥前まで押しかけてきた。
そうして少弐の息子たちを呼び、
力を貸すように持ちかけると、
次男と三男は監の味方についてしまった。
二人は家族を説得して、
「監は頼もしい庇護者です。
この男に憎まれたら、
この土地では生きていけません。
尊いお血筋といっても、
親に認めてもらえず、
世間にも知られないというのであれば、
どうしようもない・・・
監が熱心に求婚するのこそ、
姫君の幸せというもの。
監は気の強い男ですから、
怒ったらどんな乱暴をするかわかりません」
次男と三男は母親と長男を脅した。
長兄の豊後の介だけは反対だった。
(姫君を監の妻になどは、
勿体ないことだ。
亡き父上の遺言もある。
何とかして都へお連れせねば)
とひそかに決心していた。
娘たちは、
次男や三男の言葉に途方にくれて、
泣き惑うていた。
監は次男を味方にして、
連れだって押しかけてきた。
三十ばかりの男で、
背が高くがっしりして、
醜くはないが強引そうで、
荒々しい振る舞いに、
女たちはおびえた。
とうとう監は、強引に、
「善はいそげ、ですたい。
いつごろお迎えに来ましょうか?」
「でもまあ、ともかく、
今月は、縁組によくない月だと申します・・・」
乳母はその場のがれをいった。
次男が監の味方についてしまったので、
乳母たちは恐ろしく情けなかった。
姫君の方は、
(監の妻にされるよりは、
死んだほうがましだわ)
と悲しんでいるのも気の毒であった。
長兄の豊後の介は、
「よろしい。
ひそかにこの土地を捨てよう・・・」
と決心した。
「みな姫君にお付き添いして上京するか?」
と妹たちに聞くと、
「ええ、行くわ」
と妹たちはいった。
彼女たちは、
この地で結婚した夫を捨てていくのであった。
「お姫さまと別れては、
このさき、二度とお目にかかれるやらどうやら。
でも夫はこの土地の男、
命さえあればまた会えるし、
都へ呼ぶことだってできるのですもの」
豊後の介も妻子を置いていくのである。
足手まといを連れて、
逃げていくことは出来なかった。
妻子は、その親が何とかしてくれるだろう。
やがてそのうち、都へ呼び寄せることも出来よう、
豊後の介はそう考えていた。
監は肥後の国へ帰っていて、
四月二十日のころ、
吉日を選んで迎えに来るといっているので、
急ぐ必要があった。
ある夜、
少弐の邸から、
春の闇にまぎれて、
黒い人影がひそかに旅装束で、
出ていった。
人々はふりかえりふりかえり、
この地をあとにした。
豊後の介は妻子に、
妹たちは夫に、
心ひかれながら、
姫君の運に賭けて、
都へ思い切って一歩ふみだした。
(次回へ)