むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

20、玉蔓 ②

2023年12月01日 09時09分32秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・少弐に先立たれて残された家族は心細く、
今は早く上京したかったが、
少弐と仲の悪かった者も多かったので、
旅を妨げられるのを恐れて、
先延ばししているうち、
心ならずも筑紫で年を重ねることになった。

姫君は成長するにつれ、
母君の夕顔より美しくなった。

父大臣の血筋のせいか、
気品高く艶麗であった。

姫君の素性はかたく秘められていて、
邸の者にも知らせていない。

それで人にも会わせず、
風にも当てぬようにして、
かしずき育てていたが、
姫君は美しいばかりでなく、
気立てもおっとりと、
いかにも高貴の姫らしく、
好もしい性格であった。

噂を聞きつけて、
色好みな田舎の男たちが興味を持ち、
恋文を送ってきたりするが、
乳母をはじめ、みな、
頭から問題にしていなかった。

そして神仏に願をかけて、
どうぞ早く都へ上がれますように、
と祈っていた。

そうは思いつつ、
はかないのは人の暮らしであった。

少弐の息子たちも娘たちも、
今はそれぞれに住みついた土地で、
馴染みが出来て結婚していた。

そうなると、
縁につながったしがらみは身を縛り、
心では早く都へ、
と思いつつ、
現実には、
ますます都は遠いものになっていった。

姫君は成人して物思う年頃になった。

わが身の数奇な運命が悲しく、
二十歳ばかりになるころは、
こんな田舎に沈めておくには、
勿体ないほどだった。

このあたりは肥前の国である。
このへんの主だった有力者たちは、
噂を聞き伝えて、
やかましく求婚してくるのが、
うるさいほどであった。

その中に大夫の監(げん)という男がいた。

肥後の国に住み、
一族も多く、声望と威勢を持つ有力者である。

むくつけき田舎武士だが、
好色心も持っていて、
金と力にものいわせ、
美女をあつめていた。

この姫君のことを聞いて、
熱心に申し込んだ。

乳母は恐ろしく、うっとうしく、

「とてもとても。
本人は耳もかさずに尼になると申しています」

と言わせると、
監はいよいよ執着し、
尼になられては大変と、
肥前まで押しかけてきた。

そうして少弐の息子たちを呼び、
力を貸すように持ちかけると、
次男と三男は監の味方についてしまった。

二人は家族を説得して、

「監は頼もしい庇護者です。
この男に憎まれたら、
この土地では生きていけません。
尊いお血筋といっても、
親に認めてもらえず、
世間にも知られないというのであれば、
どうしようもない・・・
監が熱心に求婚するのこそ、
姫君の幸せというもの。
監は気の強い男ですから、
怒ったらどんな乱暴をするかわかりません」

次男と三男は母親と長男を脅した。

長兄の豊後の介だけは反対だった。

(姫君を監の妻になどは、
勿体ないことだ。
亡き父上の遺言もある。
何とかして都へお連れせねば)

とひそかに決心していた。

娘たちは、
次男や三男の言葉に途方にくれて、
泣き惑うていた。

監は次男を味方にして、
連れだって押しかけてきた。

三十ばかりの男で、
背が高くがっしりして、
醜くはないが強引そうで、
荒々しい振る舞いに、
女たちはおびえた。

とうとう監は、強引に、

「善はいそげ、ですたい。
いつごろお迎えに来ましょうか?」

「でもまあ、ともかく、
今月は、縁組によくない月だと申します・・・」

乳母はその場のがれをいった。

次男が監の味方についてしまったので、
乳母たちは恐ろしく情けなかった。

姫君の方は、

(監の妻にされるよりは、
死んだほうがましだわ)

と悲しんでいるのも気の毒であった。

長兄の豊後の介は、

「よろしい。
ひそかにこの土地を捨てよう・・・」

と決心した。

「みな姫君にお付き添いして上京するか?」

と妹たちに聞くと、

「ええ、行くわ」

と妹たちはいった。

彼女たちは、
この地で結婚した夫を捨てていくのであった。

「お姫さまと別れては、
このさき、二度とお目にかかれるやらどうやら。
でも夫はこの土地の男、
命さえあればまた会えるし、
都へ呼ぶことだってできるのですもの」

豊後の介も妻子を置いていくのである。

足手まといを連れて、
逃げていくことは出来なかった。

妻子は、その親が何とかしてくれるだろう。
やがてそのうち、都へ呼び寄せることも出来よう、
豊後の介はそう考えていた。

監は肥後の国へ帰っていて、
四月二十日のころ、
吉日を選んで迎えに来るといっているので、
急ぐ必要があった。

ある夜、
少弐の邸から、
春の闇にまぎれて、
黒い人影がひそかに旅装束で、
出ていった。

人々はふりかえりふりかえり、
この地をあとにした。

豊後の介は妻子に、
妹たちは夫に、
心ひかれながら、
姫君の運に賭けて、
都へ思い切って一歩ふみだした。






          


(次回へ)

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