むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

20、玉蔓 ③ 

2023年12月02日 09時43分29秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・用意された船は、
静かに筑紫を離れてゆく。

乳母の娘たちのうち、
上の姉は子供がたくさん出来たので、
九州を離れることは出来なかった。

互いに別れを悲しみ、
再び会う日の早く来ることを願い、
妹たちは悲しかった。

監に知られたら、
たちまち追手がかかるのでは、
と気が気でなかったが、
ちょうど順風に恵まれ、
快速で船は東へ走った。

摂津の国の河尻という所が近づいた、
という舟人の声に、
やっと乳母たちは生き返った気がした。

豊後の介も、
妻子を思ってしみじみした。

思えば残された妻子はどうしているだろう。

役に立ちそうな家来は、
みな連れてきてしまった。

監が憎んで、
妻子を追い惑わしているのでは、
といかにも心細く、
涙ぐまれた。

京に頼るあてとてなかった。
しかも引き返すすべもない。

心細い人々を乗せて、
船は京へ入った。

九条に、昔の知人がいたのを探し出して、
一行はそこを仮の宿とした。

このあたりは都のうちといいながら、
はかばかしい人の住む所ではなく、
賤しい物売りや商人にまじって、
気のふさぐ暮らしを続けているうちに、
はや秋となった。

みんな心細く悲しい。

豊後の介一人が頼りであるが、
その彼でさえ、都では、
水鳥が陸にあがったようにまごついて、
どうして生きていっていいやら、
暗澹とした思い。

今さら九州へ帰るわけにもいかず、
あまりにもあと先みずに京へ来たことよ、
と思ったりしているうちに、
縁故を頼って逃げる者もあれば、
元の国へ帰ってしまう者もいた。

「この上は神仏のお力におすがりしましょう。
きっとよいことがあるように、
お導き下さいます。
国を離れるときも多くの願を、
姫君はお立てになりました。
おかげで無事京へ帰れました。
早くお礼参りをなさいませ」

と乳母は姫君にすすめた。

「初瀬へお詣りなさいませ。
仏さまの中では、
大和の国の初瀬の観音様が、
霊験あらたかと噂されています」

といって、
姫君を初瀬参りに出立させた。






          


(次回へ)

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