「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

30、若菜(上) ①

2024年01月22日 08時47分29秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・六條院へ行幸があってのち、
朱雀院はご病気がちで、
臥していられる。

(朱雀院・・・
父君を源氏と同じ桐壺帝とするも、
母君は弘徽殿大后。
源氏の母君は身分の低い桐壺更衣。
源氏の母君は、
桐壺帝の寵愛深かったので、
弘徽殿大后に嫉妬や恨みをされ、
源氏が三歳の時、亡くなった。
帝は源氏を次代の帝にと思われたが、
母の身分が低かったので、
源姓を与えて臣下に下された。
朱雀院は源氏の異腹の兄君である。

その後、桐壺帝に、
中宮として入ったのが藤壺の宮。
最初は継母としてなついた源氏は、
長じて男女の仲になり、
今の帝・冷泉帝の両親になる)

朱雀院は、
もともとご病身であられたが、
今度は心細い思いをされて、

「年来、
出家の本意が深かったが、
母大后がご存命の間ははばかって、
ご遠慮していた。
この度はもう先も、
長くないような気がされる」

と仰せられて、
それとなくご出家の準備を、
はじめられた。

その中で、
朱雀院にとって、
後ろ髪ひかれるように、
心残りなのは、
最愛の内親王、
女三の宮のことであった。

朱雀院の御子は、
五人おいでになる。

男御子は今の東宮(皇太子)で、
あとの四方はみな、
姫宮である。

お母方は、
それぞれ違っていられるが、
その中に、かの藤壺中宮の、
妹宮にあたられる方がいられた。

本来なら后に立たれるところ、
御実家の威勢もなく、
そのうち、朧月夜のかんの君が、
特に朱雀院のご寵愛あつかったりして、
いつしか影もうすれ、
そのうち朱雀院も譲位されたので、
何もかも不本意のうちに、
亡くなってしまわれた。

朱雀院は女三の宮の母君を、
いとおしくあわれに思っていられた。

女三の宮は十三、四ばかり。

朱雀院は女三の宮が、
とりわけお可愛く、
大切に育てていられる。

自分が世を捨ててしまったら、
母も亡く、後ろ盾もない姫は、
どう過ごしていくだろうかと、
お心にかけていられた。

ご出家後、
お移りになる西山の御寺が出来上がり、
いよいよ、移られることとなったが、
一方で院は、
女三の宮の御裳着の式を、
準備していられた。

そのための御調度品や財宝は、
あげて三の宮にお譲りになり、
他の姫宮は、
あまりかえりみられない様子。

東宮がお見舞いに来られた。

東宮はおん父君のご病気と、
出家の意志を聞かれて、
お見舞いされたのであるが、
院は、いろいろとご教訓になった。

「女御子がたくさんいるのが、
この世に残る気がかりです。
どの姫宮もあなたの姉妹、
どうか世話をしてやって下さい。
女の生きざまは、
人の口端にかかりやすいのが、
あわれにも悲しい。
まして三の宮は、
頼るべき家もなく、
年も幼い。
この子の行く末が気にかかって、
ならぬ」

とまぶたを押さえていわれた。

東宮は実直な方なので、
つつしんで父君の仰せを聞かれたが、
しかし、妹宮の身のふり方は、
どうというお考えもおありでない。

朱雀院はご心労に加え、
ご病気も、
いよいよ重くなっていかれた。

世の人々は、
朱雀院のご病気を案じていた。

御位こそお下りになったが、
おやさしいお心の院に、
ご庇護を受けた人々が、
多いからである。

六條院からも、
たびたびお見舞いの使者がきた。

「近々、参上いたします」

という源氏のことづては、
特に院を
お喜ばせした。

夕霧がお見舞いにきたのを、
院は御簾のうちに招かれて、

「あなたを見ると、
若い日の源氏の君を、
見るような気がする。
亡き父帝が、
ご臨終に私を呼ばれ、
今の主上(冷泉帝)と、
あなたの父、源氏の君のことを、
くれぐれも仰せ置かれることが、
あった。
しかし、位についてからは、
私も若かったため、
中々その通りにできぬこと多く、
行き違いもできて、
結果としては辛く当たるような形に、
なってしまった・・・
しかし、源氏の君はそのことを、
つゆ、根に持つ風情は、
お見せにならず、
やさしくして下さった。
それどころか東宮の後見も、
親身にして下さり、
私としては嬉しく思っています。
東宮のことは、
源氏の君やあなたに任せておいて、
大丈夫でしょう。
この秋の六條院の、
行幸は楽しかった。
もう一度、
あなたの父君にお目にかかりたい。
お話したいこともあるので、
ぜひ、おいで下さるように、
あなたからも、
頼んで頂けまいか」

朱雀院は涙ぐんで、
仰せられる。

「行き違いもできて」

と朱雀院が言われるのは、
たぶん、源氏の須磨流謫事件を、
さすのであろう。

朱雀院は、
そのことを何十年たっても、
心の傷として、
とどめていられるに違いない。

自分の力で、
源氏の流浪を止めてやれなかった、
ご自責が今もお胸を噛んでいられる。

お気弱なご性質だけに、
その悔恨は内攻して、
傷つかれたのであろう。

そう思うと、
夕霧は、伯父君の院が、
いたわしくなる。






          


(次回へ)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 29、藤裏葉 ⑥ | トップ | 30、若菜(上) ② »
最新の画像もっと見る

「新源氏物語」田辺聖子訳」カテゴリの最新記事