・ともかく、かかりつけ医の若先生のもとへ出かけようと、
起き上がったところへ、電話である。
「お姑さん、お変わりありません?」長男の嫁である。
ほんに私は、嫁たちに救いを求める気にはさらさら、ならなんだ。
すっかり忘れていた。
「まあまあやな。ちょっと建てつけが悪うてな」
「戸の建てつけがどうかしましたの?」
「建てつけ悪うて長生きでけへん、思いますのや」
「まさかぁ、お姑さんは、
きんさんぎんさんみたいに長生きなさいますわよ」
あんまり嫁がきんさんたちをほめるので、
「そうかねえ。
ボケんと生きてはる、いうだけのこっちゃないかいな」
つまらぬ電話で、いっそう腰の痛みがきつくなったような気がする。
私は若先生医院の診察券を出し、「あ痛、たたた・・・」
とうなりながら外へ出ようとしたらまた電話。
長男の嫁に続いて、次男、三男の嫁が次々電話をしてきて、
どれもこれもスカタンばかり。
また、電話。
「もう、建てつけも受けつけも知らん。
こっちゃ、取りこみ中なんですっ!」と叫んだら、
「ご寮人(りょん)さんでっか、ワタエでおます。
おトキでござりま。お変わり、ごあへんか」
これはなつかしや、
お政どんと同じ上女中だったおトキどんではないか。
はじめて私はまともに人間らしい声が出た。
ほっとする。
「へえ、ご無沙汰続きで、申し訳ごあへん。
お政どんは本意ないことでごあしたなあ」
「ほんまやわ。
前沢はん、お政どん、と居らんようになってなあ」
「ご寮人さん、お取りこみやて、何のことでっか」
「いや、今朝から腰が痛うて、
これから先生に診てもらいに行くとこや」
「そらいけまへん。
どなたかお付き添いのお方はいやはらしまへんのだすか」
「向かいのビルやよってな、一人でそろそろ行きますわ」
「ワタエ、すぐ参じます」
「そうか、すまんなあ」
おトキどんは池田であるから、
お政どんより近いところに住んでいる。
それにしても、「すぐ参じます」
と言ってくれる人を持っていることは、
人間、何という幸せであろうか。
~~~
・あらかじめ電話をしておいたので、若先生は私をすぐに診てくれた。
右の腰一か所だけ、飛び上がるほど痛い部分がある。
「ははあ、これは筋肉の痛みやな。ぎっくり腰やない。
レントゲン撮っとこか。何ぞ筋肉使うことしましたか?
暖うしてじ~っとしてなさい!
無理したら、またぶり返すさかいね」
若先生は、昔はむき玉子に目鼻、というような坊ちゃん顔で、
かわいかったものであるが、今は太り気味の壮年の顔になっている。
「トシヨリいうこと忘れて、
若いときと同じように動き回ったらあきませんよ」
レントゲンを撮ってもらう。
「骨は何ともあらへんなあ」
注射をしてもらい、服みぐすりや貼りぐすりをもらって帰る。
しばらくすると、おトキどんが来た。
太り肉で白髪の女であるが、まだトシは六十七。
「へ~、ご寮人さんが寝込みはるの、初めてやおまへんか」
私もおトキどんの顔を見ると、
どっと安心感があふれ、甘えたくなる。
人間、甘える対象があるのはうれしいことで、
こういう人を持っているのは、人生の成功といってよい。
しかし、身内というのは困る。
いざ、関係が悪くなったとき、切るに切れない。
そこへいくと他人はすぱっと切れる。
(次回へ)