「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

27、姥ちっち  ②

2021年11月18日 07時50分28秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・ともかく、かかりつけ医の若先生のもとへ出かけようと、
起き上がったところへ、電話である。

「お姑さん、お変わりありません?」長男の嫁である。

ほんに私は、嫁たちに救いを求める気にはさらさら、ならなんだ。
すっかり忘れていた。

「まあまあやな。ちょっと建てつけが悪うてな」

「戸の建てつけがどうかしましたの?」

「建てつけ悪うて長生きでけへん、思いますのや」

「まさかぁ、お姑さんは、
きんさんぎんさんみたいに長生きなさいますわよ」

あんまり嫁がきんさんたちをほめるので、

「そうかねえ。
ボケんと生きてはる、いうだけのこっちゃないかいな」

つまらぬ電話で、いっそう腰の痛みがきつくなったような気がする。
私は若先生医院の診察券を出し、「あ痛、たたた・・・」
とうなりながら外へ出ようとしたらまた電話。

長男の嫁に続いて、次男、三男の嫁が次々電話をしてきて、
どれもこれもスカタンばかり。

また、電話。

「もう、建てつけも受けつけも知らん。
こっちゃ、取りこみ中なんですっ!」と叫んだら、

「ご寮人(りょん)さんでっか、ワタエでおます。
おトキでござりま。お変わり、ごあへんか」

これはなつかしや、
お政どんと同じ上女中だったおトキどんではないか。

はじめて私はまともに人間らしい声が出た。
ほっとする。

「へえ、ご無沙汰続きで、申し訳ごあへん。
お政どんは本意ないことでごあしたなあ」

「ほんまやわ。
前沢はん、お政どん、と居らんようになってなあ」

「ご寮人さん、お取りこみやて、何のことでっか」

「いや、今朝から腰が痛うて、
これから先生に診てもらいに行くとこや」

「そらいけまへん。
どなたかお付き添いのお方はいやはらしまへんのだすか」

「向かいのビルやよってな、一人でそろそろ行きますわ」

「ワタエ、すぐ参じます」

「そうか、すまんなあ」

おトキどんは池田であるから、
お政どんより近いところに住んでいる。

それにしても、「すぐ参じます」
と言ってくれる人を持っていることは、
人間、何という幸せであろうか。


~~~


・あらかじめ電話をしておいたので、若先生は私をすぐに診てくれた。
右の腰一か所だけ、飛び上がるほど痛い部分がある。

「ははあ、これは筋肉の痛みやな。ぎっくり腰やない。
レントゲン撮っとこか。何ぞ筋肉使うことしましたか?
暖うしてじ~っとしてなさい!
無理したら、またぶり返すさかいね」

若先生は、昔はむき玉子に目鼻、というような坊ちゃん顔で、
かわいかったものであるが、今は太り気味の壮年の顔になっている。

「トシヨリいうこと忘れて、
若いときと同じように動き回ったらあきませんよ」

レントゲンを撮ってもらう。
「骨は何ともあらへんなあ」

注射をしてもらい、服みぐすりや貼りぐすりをもらって帰る。
しばらくすると、おトキどんが来た。

太り肉で白髪の女であるが、まだトシは六十七。

「へ~、ご寮人さんが寝込みはるの、初めてやおまへんか」

私もおトキどんの顔を見ると、
どっと安心感があふれ、甘えたくなる。

人間、甘える対象があるのはうれしいことで、
こういう人を持っているのは、人生の成功といってよい。

しかし、身内というのは困る。
いざ、関係が悪くなったとき、切るに切れない。
そこへいくと他人はすぱっと切れる。





          


(次回へ)

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