「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

27、姥ちっち  ①

2021年11月17日 09時08分29秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・ぐきっ。
ベッドから起きようとすると、痛みが右腰に走った。
おやっ、どうしたのかしら。

私は今まで、足腰の痛みも知らず、
頭痛、胸やけも知らず、歯はみな自前、
嫁たちに(オバケだ~)と思われている老女である。

八十のこの年まで病気らしい病気はしたことがない。
病気をするヒマがない、といってよい。

私は今日の予定を思い出す。

大野夫人、山永夫人と京都へ狂言を観にいく日。
それに明後日は飯塚夫人と信州へ旅する約束だ。

起き上がろうとすると、ぐぐっ、
また痛みが右腰の一点に生まれ、何やいな、これは。

あいたた、たた・・・
長いこと使っていると、建具のたてつけもガタビシするように、
体のたてつけもおかしくなるらしい。

私はモヤモヤさんの笑い声を聞いたような気がした。
(いつまでも丈夫やとうぬぼれるなよ。
そうは世の中、いかんわえ)

痛む個所に手を強く押しつつ、そろそろベッドから起き直る。
そのまま、右腰にうしろ手でてのひらを押し当てたまま、
そろそろと洗面所へ。洗面しているあいだ痛みは感じない。

右手を使うと痛い。
体半分の右の筋肉が謀反を起こしている。
足を出すと、右の太ももまで痛い。

ゆっくりと薄いブルーのシルクサテンの部屋着に着かえる。
薄手の綿ローンのネグリジェは洗濯機の中へ。

老いると老臭がにじみ出す。
これは死臭に近いのかもしれない。
それゆえ寝間着は毎日洗う。

洗濯機にかけられる寝間着を七~八枚持っていて、
毎夜、洗い立ての下着や寝間着を着て眠る。
香りはジャン・パトゥのオードトワレをさっと一吹き。

食事の支度と、キッチンに立つが、
やっぱり右腰に手を当てないと歩けない。
冗談やないデ。

今まで、ヨーロッパ、ハワイ、アメリカ、東南アジアへ行き、
どこでも腰軽く歩きたおした腰や足が、
やっと私に反逆しはじめている。


~~~


・私は真っ白いパンに、キウイのジャム、
お茶は今朝はローズティにした。

赤いバラの花びらやつぼみに熱湯をゆらゆら注ぐと、
ほのかにバラの香りが立つ。
バラの花びらがほぐれてゆくのも見たいので、
耐熱ガラスのポット。

こういう日はレタスのしょう油炒め。
レタスは洗って手でちぎり水気を切る。
フライパンに油を入れ、強火で千切ったレタスをさっと炒める。
そこへしょう油をフライパンの肌にまわしかけ、
ジノリの絵皿にぱっとあける。
もみノリと白ごまをたらし、すぐに頂く。

食欲があって、食事が美味しいことが私を安心させたが、
イスを起つとき、坐るとき、腰が痛いのは困った。

私が人さまを介助することはあっても、
人の介助を受けるなど、考えもしなかったのに。
これは、やはり、私が老いたしるしであろうか。

これはいけない。
この分では信州旅行、京都の狂言もあきらめて、
早いこと連絡しなければと思うが、
体を起こすと痛みが走るので、身を横たえる。

歌子、八十にしてはじめての経験である。
人間はいくつになっても新しい経験を積む。

体がいうことをきかん、という、
不自由さ、心外さ、腹立ち、不安、恨み、辛み、
(何で今日という日)というのもはじめて知った。

まさか、目覚めてみれば半身不随になってるなんて、
私の人生の予定表にはなかった。

ただし、そうなったとしても、誰を怨もう。
それが、モヤモヤさんの根性悪なもくろみであったとしたら、
ワッと泣き伏したりすると、モヤモヤさんを喜ばせるだけだ。

人がヨヨと泣き伏したりすると、
モヤモヤさんは更に足で蹴っ飛ばしていっそうひどい目に遭わせる。

といって、何泣くものかと気張ったら気張ったで、
モヤモヤさんは大喜びでいっそう手ひどく翻弄する。

つまり、どっちへ行ってもいじめられるのであるが、
同じことなら、ぶつかって行ったほうがマシである。






          


(次回へ)

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