むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

31、若菜(下) ⑱

2024年03月05日 08時04分56秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・源氏は女三の宮を見ると、
反射的に柏木衛門督が思われる。

何か邸で催しのあるときは、
必ず呼んで相手にしていたが、
この頃は絶えて便りもしない。

人は怪しく思うだろうが、
顔を見るのもいやだった。

柏木と面と向かえば、
どうしても動揺は抑えられない。

だから、ずいぶん長く、
柏木が邸へ出入りしないのも、
うち捨てていた。

世間の人は、
柏木が病中でもあり、
また六條邸でも病人を抱えて、
しばらくは催し事はないだろう、
と、特に不審は、
持っていなかった。

ただ、源氏の長男、
夕霧の大将のみは、

(何かあるな・・・)

といぶかしんだ。

(あの蹴鞠の日以来、
柏木は変ってしまった。
もしかすると・・・)

と思っていたが、
その夕霧でさえ、
まさかあの一件が源氏に、
露顕してしまっているとは、
思いも染めないのであった。

十二月になった。

宮の父院、朱雀院の、
五十の御賀は十日過ぎと、
決められた。

六條院では、
舞の練習におおさわぎである。

紫の上は二條院で、
養生していたのだが、
この試楽が聞きたくて、
六條院へ帰ってきた。

明石の女御も、
お里帰りなさる。

女御の君に、
こんどお出来になったのは、
また男御子であった。

次々に美しい若宮が、
お生まれになって源氏も嬉しい。

試楽には右大臣の北の方、
玉蔓も六條院へ来た。

こういう席に柏木を呼ばないのは、
淋しく、催しも引き立たなく、
栄えない。

柏木はこんな席には、
欠かせぬ風流な趣味人として、
有名である。

人もあやしむであろうと、
源氏は招待したが、
断ってきた。

どこが特に悪い、
という病気ではないが、
自分の前には出て来られない、
せいであろうと思うと、
さすがに青年が哀れで、
もう一度、
丁寧な招待状を送った。

柏木の父の大臣も、

「どうしてご辞退したのだ。
そんなに重病、
というほどでもないし、
元気を出してぜひ伺うように」

とすすめた。

柏木は苦しい心を抱き、
六條院へ行った。

源氏はいつもと同じように、
御簾の中に柏木を招いた。

なるほど、
病気というのはまことらしく、
ひどく痩せている。

顔色は青ざめ、
今日はいっそう沈んでいる。

品のよい青年で、
これなら、
内親王の婿君としても、
恥ずかしくないようなものの、
しかし、
道ならぬ恋のうしろ暗さだけは、
許し難いと源氏は思う。

だが、源氏は、
やさしくいう。

「ずいぶん久しぶりだね。
私も長いこと、
病人の世話に追われていてね。
院の御賀をなさる計画が、
延びてしまいました。
御賀というと、
大げさなようだが、
わが家に生いでた一族の、
小さい子供たちの舞でも、
ご覧に入れようと思って。
その拍子を調えるのは、
あなたをおいてないものだから、
お願いした次第です」

柏木は、
顔色も変わる気がして、
とみに返事もできなかった。

「持病の脚気で、
寝込んでいました。
長居いこと失礼して、
ご病人のお見舞いも、
いたしませず・・・
朱雀院の五十の御賀は、
ご恩も蒙っていますので、
父にすすめられ、
病をおして参上しました。
院は俗世を離れて、
仰々しい御儀式は、
お望みではないように、
思われます。
それより心静かに、
積もるお話でもなさりたいようで、
内輪に略式になさる方が、
お心に叶いましょう」

柏木は、
やっとのことで意見を言った。

柏木は、
楽人や舞人の装束に、
趣向をこらし、
さまざまな工夫を加えて、
洗練された趣味で、
全体の宴の雰囲気を調えた。

柏木のような、
趣味人でなければ、
出来ないことなのである。

宴もたけなわのころ、
青年は気分が悪くなって、
堪えられないので、
そっと退出した。

だが、彼の体調の異変は、
一時的ではなかった。

そのまま引き続いて、
柏木は寝込んでしまった。






          


(次回へ)

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