むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

31、若菜(下) ⑲

2024年03月06日 08時33分44秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・朱雀院の五十の御賀が、
源氏の私邸、六條院で催され、
病気を押して出かけた柏木でしたが、
気分が悪くなり、
途中で退席したまま、
寝込んでしまった。

父大臣も母君の北の方も、
ひどく心配して、

「手もとで養生させたい」

といった。

柏木は、
北の方の女二の宮のお邸で、
患いついて寝ていたのである。

北の方の女二の宮は、
女三の宮の姉君に当たるも、
女三の宮の母君は、
源氏の継母、亡き藤壺の宮、
紫の上の実父、式部卿の宮の、
妹君に当たられ、
身分も高いが、
女三の宮の母君は、
身分も低く、柏木は少し、
見下していて、
夫婦仲はあまりよくなかった。

「あちらへお移りになりましては、
わたくしが看病することも、
かないませんね」

北の方の女二の宮は、
悲しまれた。

柏木も、
いま二の宮に別れてしまうと、
このまま限りになりそうで、
悲しかった。

情の薄い夫婦ではあったが、
それはまだ将来があると、
信じていたから、
うち棄てられたのである。

しかし、
もしや最期ではないかと、
心細くなってくると、
今まであまりに疎々しく、
水くさかった妻との仲が、
省みられて心残りになる。

このまま、
永久に別れてしまったら、
どんなに二の宮は、
はかなく悲しく、
思われるであろう。

柏木は、
今さらになって、
二の宮につれなかった自分を、
すまない、と思う。

二の宮の母君の御息所も、
お嘆きになった。

「世間の常識では、
親はともかく、
夫婦はどんな折にも、
お離れにならぬのが、
ならわしです。
あちらのお邸で、
ご養生なさるといっても、
私どもは、
心がかりでなりません。
どうぞ、今しばらくでも、
こちらで療養なさいまし・・・」

と柏木に訴えられる。

「ご尤もです」

柏木は今になって、
二の宮にも御息所にも、
謙虚な気持ちになっている。

「数ならぬ身の私が、
勿体なくも内親王を、
頂くことになりました。
その光栄のためにも、
長生きして出世もし、
宮を幸せにしてさしあげたい、
と思っていましたのに、
こんな病気になってしまって、
私の真心を、
宮に知って頂くことも、
出来なくなりました。
宮をおいて死ぬにも死ねない、
心地でございます」

柏木も泣き、
なかなか父の邸に、
行こうとしなかった。

母君の北の方は、
柏木が来ないので、
気が気でなく、

「なぜすぐに、
顔を見せてくれないの。
早くこちらへ移ってきて」

と息子を案じていた。

柏木は仕方なく、

「母もあわれなので、
あちらへ行きますが、
もし危篤とお聞きになったら、
そっとお忍びで、
会いに来てください。
きっとですよ。
あなたに会わなければ、
死ぬに死ねない」

柏木は宮のお手をとって、
握りしめた。

「私を許してください。
罪深い私を。
あなたに冷たくしていたこと、
今は心から後悔しています。
こんな短い命とは知らず、
将来を楽しみにしていました」

宮ご自身はその先を、
お聞きになることは出来なかった。

泣きくずれていられたし、
父大臣邸から、
迎えが来てしまったから。

宮は自邸にとどまられて、
柏木を恋しく泣き暮らして、
いられた。

つれない夫よ、
と思われたときもあったが、
別れる間際の柏木の声も、
目の色も嘘はなかったと、
宮には感じられたからだった。

大臣邸では、
柏木を待ち受けていて、
早速、加持祈祷と騒いでいた。

柏木の容態は、
急に危篤になるのではなく、
次第次第に弱ってゆく。

日々、食欲は衰え、
ものに引き入れられるように、
衰弱してゆく。

柏木のように、
当代一流の学識ある人物が、
重病だというので、
世間は惜しみ、
見舞いに来ぬ人はなかった。

御所からも、
朱雀院からも、
お見舞いは始終来た。

親たちは悲しみ惑うていた。

六條院の源氏もおどろいて、
たびたび父大臣に見舞いをした。

夕霧の大将は、
ふだんからの親友なので、
病床を自身見舞って嘆いた。

女三の宮は、
柏木の重病を何と聞くであろう。

幼げなお心にも、
やはり悲しいであろうか。

恋は世間知らずの宮を、
少しは成長させたであろうか。






          


(了)

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