・源氏は、
紫の上の自分を信じきったさまに、
心を痛める。
すまない気がする。
(朱雀院との約束を話したら、
どんなに嘆くだろう。
たとえ姫宮を迎えたとしても、
自分のこの人に対する愛は、
つゆ変るはずもなく、
むしろこの人の方を、
いとしく思うだろう。
だが、
その本心をこの人がしっかりと、
見定めてくれるまでは、
いろいろ苦しんだり、
疑ったりするだろう)
源氏は思い悩む。
このごろの年月、
源氏と紫の上とのあいだは、
かたく結びついた仲なので、
なんの隠し事もなかった。
それだけに、
姫宮のことを黙っているのが、
源氏は心苦しく気が晴れない。
どうしても言いだせない・・・
ついに源氏はその夜は、
何も言わずに過ごしてしまった。
翌日は雪が降った。
源氏は紫の上と、
それを見ながら、
昔のこと、
これからのこと、
語り合う。
いつか話題は、
昨日の朱雀院に移っていった。
「院はすっかり弱ってしまわれて、
院は女三の宮のお身の上が、
心がかりのご様子で、
いろいろお話があり、
どうかよろしくと仰せられた。
私はご辞退できなかった。
お気の毒で・・・
このことを、世間の人は、
いろいろと噂にするだろうが、
私の本心からではない。
自分はこの年になって、
若い姫宮を迎えるとは、
気恥ずかしいし、
心も動かないから、
そのことをほのめかされても、
言い逃れてきたのです。
しかし直接お目にかかって、
院がねんごろにお頼みになると、
お断りできなかった。
母君を亡くされ、
父君は世を棄てられる、
頼りどころのない姫宮への、
おいつくしみを察すると、
きっぱりと拒めなかった。
院はやがて深い山へ、
お籠りになろうが、
そのころには、
姫宮をここへお迎えせねば、
ならない。
味気ない思いをされるだろうが、
私の立場を理解してほしい。
姫宮がこの邸へ来られても、
あなたへの気持ちは、
決して変わらない。
姫宮を大事にするのは、
院のお気持ちを尊重してのこと。
あなたを粗略にすることは、
決してない。
あなたは無論、
ほかの女人たちも、
心を平らかにして、
みな仲良く暮らしてほしい」
聡明な紫の上なら、
わかってもらえると思いながら、
源氏は心をこめて話した。
この話に、
どんな風を見せる出あろうと、
源氏は考えていたが、
紫の上は無心のさまで、
「おいたわしい院のお頼みですのね。
お断り出来なかったあなたのお気持ち、
ようくわかります」
とうなずく。
紫の上には、
日ごろ源氏は、
あのことこのこと、
自分の人生を語り続けているので、
源氏の人生と紫の上の人生は、
ぴったり重ね合されるようになり、
源氏の身のまわりの人間地図も、
紫の上のあたまには入っていた。
それゆえ、
源氏と院の二人きりの雰囲気、
院のおことばのあわれさも、
紫の上には想像できた。
「どうして宮さまを、
わたくしがうとましく、
思いましょう。
ここにわたくしが住んでいるのを、
宮さまが目ざわりに、
お思いさえなければ、
わたくしは、
気持ちよくここに居ります。
仲良くおつき合いして頂ければ、
どんなにいいでしょう。
わたくしも宮さまも、
早くに母と死に別れた身の上。
よそごとに思えません。
それに宮さまの母君は、
わたくしの父君のお妹で、
いらっしゃる。
宮さまとわたくしは従姉妹、
というわけです。
宮さまもそうお思いになって、
わたくしと仲良くして下されば、
嬉しいのです」
源氏は笑ったが、
真顔になっていった。
「そんな風に、
うちとけて仲良くして頂けると、
どんなに嬉しいだろう。
あなたにつまらぬ中傷や、
陰口をいう人があるかもしれぬが、
そんなことを、
耳に入れてはいけない。
世間の人の口というのは、
間違って伝えられやすい。
そんなことにならぬよう、
自分の胸一つにおさめて、
じっと成り行きを見て、
判断するのだ。
何ごともないのに、
早まって軽率な嫉妬を、
したりして人の物笑いに、
ならぬようにしておくれ・・・」
紫の上はうなずいた。
源氏の語っているのは、
真実であろう。
女三の宮を迎えても、
あなたへの愛は変らない、
というのは。
しかしそれは、
「男の真実」である。
「男の真実」と「女の真実」は、
少し質がちがう。
けれども源氏は、
紫の上なら、
その違いを乗り越えて、
わかってくれるだろうと、
たのんでいる。
(次回へ)