むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

1、移転通知 ①

2022年10月12日 09時20分58秒 | 「浜辺先生町を行く」  田辺聖子作










・関口青年は椅子のベルトもはずれんばかり身を乗り出し、
窓の下を眺めていた。

いまはもう、
眼下に奄美大島がみえはじめていた。

関口青年ははじめての奄美旅行であるが、
私は既に三度めである。

それで、窓際の席を彼に代わってやったのである。

しかしなんべん来ても、
この南方洋上に浮かぶ星屑のような島々は、
私を感動させる。

真っ青な海に緑濃い島々、
そのまわりをふちどる白い波のレース。

それは珊瑚礁に砕ける波である。

宝石が点在するように、
島々は海の中にちりばめられていた。

そしてその中の一つの島をさして我々は、
羽をつぼめて堕ちてゆく天使のように、
ス~ッと、地上へ舞い下りる。

また、青々とした大海原の中の、
ほんの一点、針でついたような島へ、
ねらいあやまたず飛行機が着陸した、という風情。

上空から見ていると、
飛行機の方が島より大きくて、
はみ出しちゃわないか、という不安もある。

島はまるで車輪の下に隠れてしまいそうなくらい、
小さく思われる。

「オーラ、着いた!着いた!」

関口青年は元気よくいった。
この青年はせっかちなのである。

彼は未知のところへやってきたので、
勇気凛々として、好奇心のかたまりに見えた。

「荷物はボクが持ちます、早く出て下さい」

と彼は私に指図した。

いったい、この青年は私に対して、
きわめて命令的な口を利く。

彼は毎朝新聞の文化部の記者である。
そうして私は、今度、毎朝新聞に連載小説を書くのだ。

その取材をするため、
奄美に飛んできたのである。

私は、彼の新聞には前にコラムの連載をしていた。

その時は、鄭重な物腰の、
おだやかな中年紳士が私の係りであった。

この紳士は、充分人生経験もゆたかであり、
教養ふかく、かつ私の芸術、私の才分に対して、
それ相応の敬意を払っているように見えた。

その証拠に、彼は終始、私に向かって、

「浜辺先生、浜辺先生」といい、

私の方がいくぶん、
彼より年下であるにかかわらず、

「先生、こうされますか」
「先生、こちらへおいで下さいますか」

などと敬語を使っていた。

そして彼が私について記事を書くときは、
きまって「浜辺女史」という語を用いた。

私は「先生」も「女史」もきらいである。

きらいであるが、
しかし先方がそういう言葉を用いる精神状態は、
やはり凡人の常として当方には快いのだ。

わるい気はせぬというところ。

しかるに関口青年は、
私のムスコぐらいの年であるにかかわらず、

「浜辺サン!浜辺サン!」と呼びたて、

「早く来て下さい!なにグズグズしてんです!」

と叱咤するのだ。

それは無礼であるというより以上に、
彼がまだ何の手も加えられていない、
原木というか原石というか、
山から蹴っころがした松の丸太、
そのままであることを思わせた。

彼はすでに、
もう二十七歳になっており、
まんざら大学出たて、
というのでもないのであるが。

しかし、文化部へくる前は、
彼は花の社会部記者であった。

私は新聞社の内部機構など、
どうなっているのか分からないが、
人事問題には、
もう少し慎重な配慮があってもよかりそうに思う。

関口青年は社会部に未練を持っており、
文化部へ廻されたのを不満に思っていた。






          


(次回へ)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 浜辺先生町を行く | トップ | 1、移転通知 ② »
最新の画像もっと見る

「浜辺先生町を行く」  田辺聖子作」カテゴリの最新記事