・関口青年は椅子のベルトもはずれんばかり身を乗り出し、
窓の下を眺めていた。
いまはもう、
眼下に奄美大島がみえはじめていた。
関口青年ははじめての奄美旅行であるが、
私は既に三度めである。
それで、窓際の席を彼に代わってやったのである。
しかしなんべん来ても、
この南方洋上に浮かぶ星屑のような島々は、
私を感動させる。
真っ青な海に緑濃い島々、
そのまわりをふちどる白い波のレース。
それは珊瑚礁に砕ける波である。
宝石が点在するように、
島々は海の中にちりばめられていた。
そしてその中の一つの島をさして我々は、
羽をつぼめて堕ちてゆく天使のように、
ス~ッと、地上へ舞い下りる。
また、青々とした大海原の中の、
ほんの一点、針でついたような島へ、
ねらいあやまたず飛行機が着陸した、という風情。
上空から見ていると、
飛行機の方が島より大きくて、
はみ出しちゃわないか、という不安もある。
島はまるで車輪の下に隠れてしまいそうなくらい、
小さく思われる。
「オーラ、着いた!着いた!」
関口青年は元気よくいった。
この青年はせっかちなのである。
彼は未知のところへやってきたので、
勇気凛々として、好奇心のかたまりに見えた。
「荷物はボクが持ちます、早く出て下さい」
と彼は私に指図した。
いったい、この青年は私に対して、
きわめて命令的な口を利く。
彼は毎朝新聞の文化部の記者である。
そうして私は、今度、毎朝新聞に連載小説を書くのだ。
その取材をするため、
奄美に飛んできたのである。
私は、彼の新聞には前にコラムの連載をしていた。
その時は、鄭重な物腰の、
おだやかな中年紳士が私の係りであった。
この紳士は、充分人生経験もゆたかであり、
教養ふかく、かつ私の芸術、私の才分に対して、
それ相応の敬意を払っているように見えた。
その証拠に、彼は終始、私に向かって、
「浜辺先生、浜辺先生」といい、
私の方がいくぶん、
彼より年下であるにかかわらず、
「先生、こうされますか」
「先生、こちらへおいで下さいますか」
などと敬語を使っていた。
そして彼が私について記事を書くときは、
きまって「浜辺女史」という語を用いた。
私は「先生」も「女史」もきらいである。
きらいであるが、
しかし先方がそういう言葉を用いる精神状態は、
やはり凡人の常として当方には快いのだ。
わるい気はせぬというところ。
しかるに関口青年は、
私のムスコぐらいの年であるにかかわらず、
「浜辺サン!浜辺サン!」と呼びたて、
「早く来て下さい!なにグズグズしてんです!」
と叱咤するのだ。
それは無礼であるというより以上に、
彼がまだ何の手も加えられていない、
原木というか原石というか、
山から蹴っころがした松の丸太、
そのままであることを思わせた。
彼はすでに、
もう二十七歳になっており、
まんざら大学出たて、
というのでもないのであるが。
しかし、文化部へくる前は、
彼は花の社会部記者であった。
私は新聞社の内部機構など、
どうなっているのか分からないが、
人事問題には、
もう少し慎重な配慮があってもよかりそうに思う。
関口青年は社会部に未練を持っており、
文化部へ廻されたのを不満に思っていた。
(次回へ)