・これは、
秋月さんに同情して、というよりは、
何とはない運命の悪意みたいなものに対する、
こわさの涙である。
「スポッと・・・」
「ナタで落としたみたいに切れた」
という言葉を思い出すと、
何か不快な金属音を聞かされたようで、
総毛立ってしまった。
秋月さんが、
「ほな、晩にまた来まっさ」
「うん、秋月さんを励ます会にしようか」
と夫と言い交わして帰っていくと、
私と夫は言葉もない。
私はまだ恐ろしくて寒気がしていた。
そうして秋月さんがかわいそうでたまらなくなってきた。
気持ちが落ち着かなくて、涙が出てくる。
いつもはこの小屋へ来ると、
とたんにはしゃぎだして浮かれるのに、
今はそんな気になれなかった。
「いややなあ。
友達のあんな話聞くのんは・・・
わるい時に来たんやなあ」
と夫は、秋月さんに迷惑をかけたのでは、
と心配していた。
しかし電話したとき、
秋月さんは、指の事故などオクビに洩らさず、
明るい声で「猪鍋は食うか」とたずね、
積雪の状況を知らせてくれたりしていたから、
私たちは、ほんのさっきまで、
浮かれていたのだった。
まさか、そんなことが起きていようとは、
夢にも思わない。
「なんで、あんなええ奴が、
かわいそうな目ェみんならんのかなあ」
と夫はいい、私たちはその話を夜まで言い暮らした。
もしかしたら秋月さんは、私たちのために、
強いて元気にふるまっていてくれたのかもしれない。
しかし、まだ日暮れまで間があるという明るいころに、
早くも秋月さんはやって来て、
そこへ宮本さんや局長も加わり、
やがてセンセも来て、大宴会が始まった。
少なくとも秋月さんは、
「強いて元気にふるまっている」という様子ではない。
畳にゴザを敷き、
コンロを引っぱって、鍋にダシを張る。
猪の肉は、薄桃色で脂が走り、
とても美しい色合いで、
どっさり皿に盛り上げられていた。
「これは、味噌で調味して、白菜やゴボウで食べる」
味噌のいい匂いがたちこめ、
男たちは車座になって飲みはじめる。
「猪肉は、できるだけ、
薄切りにせんといかんのですわ。
それがシシを食べるコツですな」
とか、
「豚肉と猪肉はよう似てますがな、
煮るとわかります。
豚は脂身がやらこうなるが、猪は硬い」
などと秋月さんはいい、
もう全然、変っていない。
けれども飲んでしゃべっているうちどうしても、
秋月さんの拇指の話になるのはしかたない。
「拇指が十三日で落ちたいうんで、
まあ、おかしげな噂する人もあってなあ」
と秋月さんが憮然としていった。
「親の面倒見んからや、いう人もあるげな」
「そらおかしい、
ず~っとお婆ちゃん(母)と暮らして大事にしとるのに」
と誰かが腹立たしそうにいった。
「お婆ちゃん、泣きながらいうんや」
秋月さんは、左手で酒を飲んでいた。
「お前はかわいそうに、
双親そろうてないばっかりに指がつかんのや、て。
人がそういうてはった。
ふた親居ると、落ちた指でもつくんやて。
拇指いうからなあ、と婆さんが泣きよる。
そがいバカなことがあるか、
とワシは怒鳴ってやったんやが、
年寄りの耳にまで、
つまらんことを言いに来る奴がおるんで、
ほんまに困りますわ」
「いやらしい奴やなあ」
とみんなで腹を立てた。
田舎は単調な暮らしの毎日なので、
事あれかしと思っている人々が多いのも事実である。
私の母などが田舎嫌いなのは、
そういう人の口さがなさ、
にもよるのであろう。
そうして秋月さんが、
平気な顔をしているのも、
そういうモヤモヤした、
面倒くさい田舎の気風をよく知ってるがために、
(何くそ)という気でいるのかもしれない。
「しかし、ひさちゃんとこは仕事も一段落して、
ようはやっとるし、安定しとるし、
今、そんなことがあっても、どうちゅうことないから、
よかったなあ」
と局長は慰めた。
ひさちゃんというのは、
秋月さんがヒサオという名前だからである。
幼馴染同士はみな、おたがいに、
やっちゃんだの、ひさちゃんだの、
と呼び合っている。
「そやなあ、店も繁盛しとるし、
一番都合のええときにケガしたんかもしれん」
秋月さんは別に負け惜しみでなくそういった。
猪肉はコクのある味わいで、
味噌にいろんな味が含ませてあるせいか、
クセはほとんどないし、臭いもない。
そうして猪肉と共に煮込む白菜やゴボウほど、
味のいいものはほかにない。
秋月さんは左手で箸を扱ったが、
もうかなり熟練していた。
「いや、あくる日から練習した。
退院してからも、あんまりポロポロ飯粒こぼすんで、
嫁はんや子供が、
お父ちゃんスプーンで食べなさい、というが、
なあに、というて練習しとりました。
あんなもん、箸が使えんいうてスプーンやら匙や、
いうとったら、いつまでもでけへん。
もう拇指が生えるもんでもなし」
秋月さんは不屈の闘志、
というようなものを顔に見せていい、
「う、煮詰まってきたな」
と腰軽く立っていって、
ストーブの上のやかんの湯を鍋にそそいだり、する。
そんなところも、全くもとのままである。
私は秋月さんが器用な人なので、
拇指を失ったのはよけい惜しかったが、
「まあ、秋月さんは器用ですからね、
拇指がないくらいでほかの人と同じかもしれへんよ」
というと、
「そんな無茶いいなはんな」
と夫も秋月さんもいった。
「箸も箸やけど、
こうなると、字ぃも練習しよう思うんじゃ」
秋月さんはやる気十分なのである。
「こんな手ぇになったら、
人一倍、きれいな字ぃ書けるようにならんといかん。
包帯が取れたら、よう指動かす練習して、
字ぃの練習するつもりや。
今までは汚い字ぃでも、
さして気にならなんだがな。
これからは、それではいかん、
思うようになった」
秋月さんは意気軒昂であった。
「いやあ、こんど指落いてから、
いろいろわかるようになった。
何ちゅうか、世間の、今まで知らなんだことも、
少し見えるようになった気ぃする。
これで障害者の人の苦労も、
ようわかる気ぃがしての、
これから、障害者の人の車は、
無料で洗車しようと思うたり、
いろいろ考えてることもありますのや。
お医者はんにも世話になったし、の・・・」
結局、みんなの結論としては、
「前厄やから、指一本で、
大厄のがれたのかもしれへん、
よかった、よかった」
ということであった。
(次回へ)