むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

9、なま栗をたべる ⑤ 

2022年12月17日 09時38分18秒 | 「浜辺先生町を行く」  田辺聖子作










・これは、
秋月さんに同情して、というよりは、
何とはない運命の悪意みたいなものに対する、
こわさの涙である。

「スポッと・・・」
「ナタで落としたみたいに切れた」
という言葉を思い出すと、
何か不快な金属音を聞かされたようで、
総毛立ってしまった。

秋月さんが、

「ほな、晩にまた来まっさ」

「うん、秋月さんを励ます会にしようか」

と夫と言い交わして帰っていくと、
私と夫は言葉もない。

私はまだ恐ろしくて寒気がしていた。
そうして秋月さんがかわいそうでたまらなくなってきた。

気持ちが落ち着かなくて、涙が出てくる。

いつもはこの小屋へ来ると、
とたんにはしゃぎだして浮かれるのに、
今はそんな気になれなかった。

「いややなあ。
友達のあんな話聞くのんは・・・
わるい時に来たんやなあ」

と夫は、秋月さんに迷惑をかけたのでは、
と心配していた。

しかし電話したとき、
秋月さんは、指の事故などオクビに洩らさず、
明るい声で「猪鍋は食うか」とたずね、
積雪の状況を知らせてくれたりしていたから、
私たちは、ほんのさっきまで、
浮かれていたのだった。

まさか、そんなことが起きていようとは、
夢にも思わない。

「なんで、あんなええ奴が、
かわいそうな目ェみんならんのかなあ」

と夫はいい、私たちはその話を夜まで言い暮らした。

もしかしたら秋月さんは、私たちのために、
強いて元気にふるまっていてくれたのかもしれない。

しかし、まだ日暮れまで間があるという明るいころに、
早くも秋月さんはやって来て、
そこへ宮本さんや局長も加わり、
やがてセンセも来て、大宴会が始まった。

少なくとも秋月さんは、
「強いて元気にふるまっている」という様子ではない。

畳にゴザを敷き、
コンロを引っぱって、鍋にダシを張る。

猪の肉は、薄桃色で脂が走り、
とても美しい色合いで、
どっさり皿に盛り上げられていた。

「これは、味噌で調味して、白菜やゴボウで食べる」

味噌のいい匂いがたちこめ、
男たちは車座になって飲みはじめる。

「猪肉は、できるだけ、
薄切りにせんといかんのですわ。
それがシシを食べるコツですな」

とか、

「豚肉と猪肉はよう似てますがな、
煮るとわかります。
豚は脂身がやらこうなるが、猪は硬い」

などと秋月さんはいい、
もう全然、変っていない。

けれども飲んでしゃべっているうちどうしても、
秋月さんの拇指の話になるのはしかたない。

「拇指が十三日で落ちたいうんで、
まあ、おかしげな噂する人もあってなあ」

と秋月さんが憮然としていった。

「親の面倒見んからや、いう人もあるげな」

「そらおかしい、
ず~っとお婆ちゃん(母)と暮らして大事にしとるのに」

と誰かが腹立たしそうにいった。

「お婆ちゃん、泣きながらいうんや」

秋月さんは、左手で酒を飲んでいた。

「お前はかわいそうに、
双親そろうてないばっかりに指がつかんのや、て。
人がそういうてはった。
ふた親居ると、落ちた指でもつくんやて。
拇指いうからなあ、と婆さんが泣きよる。
そがいバカなことがあるか、
とワシは怒鳴ってやったんやが、
年寄りの耳にまで、
つまらんことを言いに来る奴がおるんで、
ほんまに困りますわ」

「いやらしい奴やなあ」

とみんなで腹を立てた。

田舎は単調な暮らしの毎日なので、
事あれかしと思っている人々が多いのも事実である。

私の母などが田舎嫌いなのは、
そういう人の口さがなさ、
にもよるのであろう。

そうして秋月さんが、
平気な顔をしているのも、
そういうモヤモヤした、
面倒くさい田舎の気風をよく知ってるがために、
(何くそ)という気でいるのかもしれない。

「しかし、ひさちゃんとこは仕事も一段落して、
ようはやっとるし、安定しとるし、
今、そんなことがあっても、どうちゅうことないから、
よかったなあ」

と局長は慰めた。

ひさちゃんというのは、
秋月さんがヒサオという名前だからである。

幼馴染同士はみな、おたがいに、
やっちゃんだの、ひさちゃんだの、
と呼び合っている。

「そやなあ、店も繁盛しとるし、
一番都合のええときにケガしたんかもしれん」

秋月さんは別に負け惜しみでなくそういった。

猪肉はコクのある味わいで、
味噌にいろんな味が含ませてあるせいか、
クセはほとんどないし、臭いもない。

そうして猪肉と共に煮込む白菜やゴボウほど、
味のいいものはほかにない。

秋月さんは左手で箸を扱ったが、
もうかなり熟練していた。

「いや、あくる日から練習した。
退院してからも、あんまりポロポロ飯粒こぼすんで、
嫁はんや子供が、
お父ちゃんスプーンで食べなさい、というが、
なあに、というて練習しとりました。
あんなもん、箸が使えんいうてスプーンやら匙や、
いうとったら、いつまでもでけへん。
もう拇指が生えるもんでもなし」

秋月さんは不屈の闘志、
というようなものを顔に見せていい、

「う、煮詰まってきたな」

と腰軽く立っていって、
ストーブの上のやかんの湯を鍋にそそいだり、する。

そんなところも、全くもとのままである。

私は秋月さんが器用な人なので、
拇指を失ったのはよけい惜しかったが、

「まあ、秋月さんは器用ですからね、
拇指がないくらいでほかの人と同じかもしれへんよ」

というと、

「そんな無茶いいなはんな」

と夫も秋月さんもいった。

「箸も箸やけど、
こうなると、字ぃも練習しよう思うんじゃ」

秋月さんはやる気十分なのである。

「こんな手ぇになったら、
人一倍、きれいな字ぃ書けるようにならんといかん。
包帯が取れたら、よう指動かす練習して、
字ぃの練習するつもりや。
今までは汚い字ぃでも、
さして気にならなんだがな。
これからは、それではいかん、
思うようになった」

秋月さんは意気軒昂であった。

「いやあ、こんど指落いてから、
いろいろわかるようになった。
何ちゅうか、世間の、今まで知らなんだことも、
少し見えるようになった気ぃする。
これで障害者の人の苦労も、
ようわかる気ぃがしての、
これから、障害者の人の車は、
無料で洗車しようと思うたり、
いろいろ考えてることもありますのや。
お医者はんにも世話になったし、の・・・」

結局、みんなの結論としては、

「前厄やから、指一本で、
大厄のがれたのかもしれへん、
よかった、よかった」

ということであった。






          


(次回へ)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 9、なま栗をたべる ④ | トップ | 9、なま栗を食べる ⑥ »
最新の画像もっと見る

「浜辺先生町を行く」  田辺聖子作」カテゴリの最新記事