むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

1、移転通知 ②

2022年10月13日 09時09分38秒 | 「浜辺先生町を行く」  田辺聖子作










・彼は文芸美術に不案内で、
素養も関心もなく、それを隠そうともしなかった。

それゆえ、私の係りにつけられたことに、
腹を立てているように見えた。

私の書いたものなど読んだこともないにちがいない。

ひょっとしたら、私の名前も、
文化部へ来て初めて耳にしたのかもしれない。

尤も社会部記者ならそれが当然かもしれぬ。

私は以前、ある新聞社の社会部記者が、
インタビューに来たとき、いろいろ答えたが、

「ところで、肩書はどう書いておきましょう?」

といった。

私は自分では作家のつもりであったが、
はた目にはそう見えないのかと、
大いに自信をなくし、「主婦です」と、
あやふやにいった。

彼はうなずき、そうメモに書いた。
大変素直な男であった。

私は考えて、
私がおちょくっていると、
彼はあとで怒るかもしれぬと思い返し、

「作家にしといて下さい」といった。

男は「ああ、そう」といって、
「作家」にした。

思うに、関口青年は、
あの男とちょぼちょぼのように思われる。

彼は私の書くものに対し、
敬意も愛着も、関心すらなく、
ただ、取材の手配をし、便宜をはかり、
期日におくれず原稿が入れば、
それでよいのであるらしい。

慣れれば、そういうドライな青年の方が、
気楽である。

かつ、青年は、あんがい根は親切なのであって、
礼儀知らずで雑駁なようであるが、
私がしてほしいということは、
してくれる男気もある。

えらそうな口を叩くのは、
私を、女の数の中へ入れていないためのようであった。

尤も、それは私も同じ。

私は今までに、取材のために人に会ったり、
近郊をまわったりするのに、
彼と行動を共にしてきたが、
今度の取材みたいな長旅の同行ははじめてである。

私にしてみれば若い男とたった二人きりで、
二、三日間、旅するのは破天荒なことである。

しかし、若い男と旅したとて、
私も彼を異性とみとめにくいから、
どうということはないのだ。

私は「年下の男」趣味、
とくにペット趣味はない。

若者好みという中年女の気がしれない。

なぜなら、若い息子たちをみなれて、
すっかり楽屋うちがわかり、
興ざめしたからである。

この関口青年もウチへ帰ればお袋に向かって、
(彼は独身である)「めし!」と怒鳴り、

「オレ、ナスビは食わん」と箸でこづき、
「アイロン早う!」と足でズボンを蹴り上げるに違いない。

私はそんな可愛げのない男はきらいである。

彼とドウコウするなんてことは、
恐怖の大王が空から槍の雨を降らせても考えられない。

機外のタラップへ一歩出ると、
曇っていたせいもあるが、
重い、むしむしした空気で、
ねっとり湿っていた。

これは熱帯の蒸し暑さである。
九月半ばというのに、内地の真夏のようだ。

小さい汚い空港は人であふれ返っていた。

着いた人出発する人、
その他、地元の人なのか、
待合室のベンチに腰掛けてじっとしている人も、
たくさんあった。

観光客の団体がどやどやと出ていってバスに乗ると、
待合室は少し空いた。

「田舎のバス停のような感じですな。
コーラ、飲まんですか?」

私が要らないというと、
関口君は大股にベンチを飛び越え、
これまたバス停前のよろず屋というような食堂で飲んだ。

彼は商品ケースの中の埃をかぶった土産物、
ハブ皮のバンドや財布に、何かバカにしたような、
一べつをちらとくれた。

私は空港の外へ出てみた。
どこか東南アジア人といった風趣の面立ちの男たちが、
白いシャツの裾を風になびかせ、
空港出口にたむろしていた。

それはタクシー運転手たちだった。
熱い湯のような雨が、ほそく降っていた。






          


(次回へ)

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