・彼は文芸美術に不案内で、
素養も関心もなく、それを隠そうともしなかった。
それゆえ、私の係りにつけられたことに、
腹を立てているように見えた。
私の書いたものなど読んだこともないにちがいない。
ひょっとしたら、私の名前も、
文化部へ来て初めて耳にしたのかもしれない。
尤も社会部記者ならそれが当然かもしれぬ。
私は以前、ある新聞社の社会部記者が、
インタビューに来たとき、いろいろ答えたが、
「ところで、肩書はどう書いておきましょう?」
といった。
私は自分では作家のつもりであったが、
はた目にはそう見えないのかと、
大いに自信をなくし、「主婦です」と、
あやふやにいった。
彼はうなずき、そうメモに書いた。
大変素直な男であった。
私は考えて、
私がおちょくっていると、
彼はあとで怒るかもしれぬと思い返し、
「作家にしといて下さい」といった。
男は「ああ、そう」といって、
「作家」にした。
思うに、関口青年は、
あの男とちょぼちょぼのように思われる。
彼は私の書くものに対し、
敬意も愛着も、関心すらなく、
ただ、取材の手配をし、便宜をはかり、
期日におくれず原稿が入れば、
それでよいのであるらしい。
慣れれば、そういうドライな青年の方が、
気楽である。
かつ、青年は、あんがい根は親切なのであって、
礼儀知らずで雑駁なようであるが、
私がしてほしいということは、
してくれる男気もある。
えらそうな口を叩くのは、
私を、女の数の中へ入れていないためのようであった。
尤も、それは私も同じ。
私は今までに、取材のために人に会ったり、
近郊をまわったりするのに、
彼と行動を共にしてきたが、
今度の取材みたいな長旅の同行ははじめてである。
私にしてみれば若い男とたった二人きりで、
二、三日間、旅するのは破天荒なことである。
しかし、若い男と旅したとて、
私も彼を異性とみとめにくいから、
どうということはないのだ。
私は「年下の男」趣味、
とくにペット趣味はない。
若者好みという中年女の気がしれない。
なぜなら、若い息子たちをみなれて、
すっかり楽屋うちがわかり、
興ざめしたからである。
この関口青年もウチへ帰ればお袋に向かって、
(彼は独身である)「めし!」と怒鳴り、
「オレ、ナスビは食わん」と箸でこづき、
「アイロン早う!」と足でズボンを蹴り上げるに違いない。
私はそんな可愛げのない男はきらいである。
彼とドウコウするなんてことは、
恐怖の大王が空から槍の雨を降らせても考えられない。
機外のタラップへ一歩出ると、
曇っていたせいもあるが、
重い、むしむしした空気で、
ねっとり湿っていた。
これは熱帯の蒸し暑さである。
九月半ばというのに、内地の真夏のようだ。
小さい汚い空港は人であふれ返っていた。
着いた人出発する人、
その他、地元の人なのか、
待合室のベンチに腰掛けてじっとしている人も、
たくさんあった。
観光客の団体がどやどやと出ていってバスに乗ると、
待合室は少し空いた。
「田舎のバス停のような感じですな。
コーラ、飲まんですか?」
私が要らないというと、
関口君は大股にベンチを飛び越え、
これまたバス停前のよろず屋というような食堂で飲んだ。
彼は商品ケースの中の埃をかぶった土産物、
ハブ皮のバンドや財布に、何かバカにしたような、
一べつをちらとくれた。
私は空港の外へ出てみた。
どこか東南アジア人といった風趣の面立ちの男たちが、
白いシャツの裾を風になびかせ、
空港出口にたむろしていた。
それはタクシー運転手たちだった。
熱い湯のような雨が、ほそく降っていた。
(次回へ)