近所の方が 「お母さん懐かしいんじゃない?」 と 「桑」 を持ってきてくれました。
ちょっとくたびれていますが。
ここ宗像にかつて 「乾繭所」 が存在したことをご存じでしょうか?
場所は、田熊の 今は 「消防本部」 があるところです。
消防署の前には 「牛市場」 があり その前が 「乾繭所」 でした。
母の幼少時で、昭和10年代くらいのことでしょう。
「乾繭所」 とは その名の通り 繭を乾燥させるところ。
当時は盛んだった、宗像の養蚕農家の方が持ち込む繭を乾燥させ、
製糸工場へ持っていく。
母の父親は、そこの長をしていて
自宅でも蚕を飼っていたのだそう。
婦人会から20人ほどの人を雇い、
一生懸命自分を包み込む繭をつくりあげる蚕の世話。
濡れた桑の葉を食べさせると、蚕は死んでしまうので
葉っぱを取るのが大変だった・・・なんてきのうのことのように話します。
母親に 「おやつ~」 と訴えると 「桑の実でも食べなさい」 と言われ、
でも 「これがおいしくなくてねぇ・・・」 なつかしそうです。
私が越してきてから50年になりますが、
その当時、廃屋状態の 「乾繭所」 が存在しました。
いくつもの建物があり、広くて大きくて そして暗いときています、
子供にはとても不気味で、
兄に付いて 探検して遊んでいたことを思い出しました。
そして何年か後、今度は 「モォ~~」 と牛が鳴き。
車椅子で、とろとろと眠りかけていましたが、
別人のように目覚めました。
幼少時の記憶 健在でした。
ちょっとくたびれていますが。
ここ宗像にかつて 「乾繭所」 が存在したことをご存じでしょうか?
場所は、田熊の 今は 「消防本部」 があるところです。
消防署の前には 「牛市場」 があり その前が 「乾繭所」 でした。
母の幼少時で、昭和10年代くらいのことでしょう。
「乾繭所」 とは その名の通り 繭を乾燥させるところ。
当時は盛んだった、宗像の養蚕農家の方が持ち込む繭を乾燥させ、
製糸工場へ持っていく。
母の父親は、そこの長をしていて
自宅でも蚕を飼っていたのだそう。
婦人会から20人ほどの人を雇い、
一生懸命自分を包み込む繭をつくりあげる蚕の世話。
濡れた桑の葉を食べさせると、蚕は死んでしまうので
葉っぱを取るのが大変だった・・・なんてきのうのことのように話します。
母親に 「おやつ~」 と訴えると 「桑の実でも食べなさい」 と言われ、
でも 「これがおいしくなくてねぇ・・・」 なつかしそうです。
私が越してきてから50年になりますが、
その当時、廃屋状態の 「乾繭所」 が存在しました。
いくつもの建物があり、広くて大きくて そして暗いときています、
子供にはとても不気味で、
兄に付いて 探検して遊んでいたことを思い出しました。
そして何年か後、今度は 「モォ~~」 と牛が鳴き。
車椅子で、とろとろと眠りかけていましたが、
別人のように目覚めました。
幼少時の記憶 健在でした。