裸足-hadashi-

子供たちが小さかった頃は子供の面白ネタ。デカくなった今では、日々のおかしな出来事なんかを書いてます。

親指がとれる?!

2017-04-02 21:52:52 | インポート
昨日はスタジオリハでした。


終わったあとロビーで、
ホンコンがふと、幼稚園のときに先生が、親指をとって見せた話をした。


なんと!それ、私も幼稚園のときに先生がやって見せてくれたことがある!


片方の親指を関節で曲げて、反対の親指を同じように曲げて、くっつけ、
人差し指で継ぎ目を隠して、横にずらしたりまたくっつけたり、、ってやつです。
みなさんも一度は見たことあるんじゃないかと思います。


ホンコンとは、昔すきだったものや、
様々な物、事に関してのルーツが同じことがよく発覚するので、
歳がはなれているから絶対にない事なのに、
一瞬「えー!もしかして同じ幼稚園?!あのときいた?!」と思ってしまった(笑)


「イチキせんせいだった!」


「おれ、イケせんせい!」




あ、やっぱり?
そりゃー違うよね(笑)




先生の指がとれた!!!
って、そりゃービックリしたのを覚えてる。
うちに帰ってからオカンに報告すると、
すぐさまオカンもやって見せた。
ひーえー!
オカンの指も取れるんかーい!
とビビりましたが、種明かしもしてくれて、それから自分も手遊びのようによくやってなー。


自分の子供たちにも小さい頃やって見せたら、ちょービックリしてた(笑)




そんなことがきっかけで、
なんとなく幼稚園のときの事をポツリポツリと思い出したのだが、
その昔、わたしは喋らない子供だった。
自分の考えてる事などを、家族以外には全く伝えない子供だった。


だけど、心の中では、色々観察して色々思う子供だった。




うちは、幼稚園の年長までは家でオカンがみてくれていたので、年長からの入園だったのだけど、
その初日のことを覚えてる。


訳も分からず連れてこられたぞー、なんだここはー。(うちはだいたいそんな感じでした)
で、新しくお友達が入ったとかなんとか紹介されて園児の中に入っていったのだが、
でっかくてふとった女の子がしゃしゃってきて、私をよしよしーってしながら、お姉さんぶって迎えてくれた。
心の中で、


(おいおい、おまえ同い年だろ、ずいぶん上からだな。うぜーなこいつ。)


と、思ってました(笑)


それから覚えてるのは、
2階からの避難用滑り台があって、
そこは普段使用禁止で、
滑り降りてはいけない事になっていたのだが、大親友のだいちゃんと私で、その滑り台の真ん中のちょっと平らになってるとこに座って遊んでいた事がある。
先生が見つけて、
「滑っちゃダメってなってるでしょ?」


と、下に降ろされたのだが、
心の中で


(途中のとこで遊んでただけ。滑ってはないじゃん)


と思っていた。(笑)




だいちゃん。
1年だけの幼稚園生活で、ゆいいつ覚えているお友達。
いしのだいすけ。


小学校も同じだったけど、小学校にあがってからは疎遠になったなー。
どうしているだろう。




最初に登場したイチキせんせいは、
担任でした。
当時おそらく珍しかったと思うけど、
男のせんせいだった。
わたしはあまり好きではなかったのを覚えている。
あるとき先生が、
「雑巾をここにあつめてー、
絶対に投げてはダメだよー、
必ずちゃんと置いてー」
とかなんとか言った事があって、
園児がそれぞれ手に持った雑巾を一斉に座っている先生の前にもっていった。
混み合い、手を伸ばしてなんとかその辺に置こうとしたが、
雑巾が手から離れ、ポーンと投げたような形に、、、


ジロリ!


とイチキせんせいに睨まれた。




心の中で


(えー、投げてないし。あの状況じゃしかたないじゃん)


と思っていた(笑)




それから、
数を数えるのに使う教材の棒を
ハーモニカに突き刺して遊んで、
一箇所音が出なくなった事があった。
中を覗くと、吸って鳴る穴と、吹いて鳴る穴が交互に並んでいて、
それぞれ振動するハネのような薄い鉄板が
上向きと下向きについているのだ。
そのハネが上向きについている穴に棒を刺したら、それが折れて音が出なくなったのだ。
一緒になってやってた子は、
みたらちゃんと、それを避けてひとつとびに棒を刺していた。


心の中で


(さき言えや!)




と思っていた。(笑)




みずいろのハーモニカで、
吹いたときの金属の味を覚えている。


狙った音以外の余計な音もなる
フガフガした変な楽器だなと思っていた。




他には、
3人で手をつないでグルグル回っていたら転んで、真ん中だった私は手がつけずに顔面から床へ。
鼻血が出て、木の床を汚してしまい、
汚したー!って事の方が気になってしまったのを覚えている。


それから、園バスの座席がいやーな感じのビニールレザーで、
車内は独特の匂いがして、
必ず酔ってた。
で、オカンが梅仁丹をもたせてくれていて、それを口に入れてなんとか凌いでいた。
あるとき、みんながそれに気付き、
ちょうだいちょうだいになって、
ごっそり持ってかれた事があった。


つぎからは、




「こっそり食べろ」


と、オカンからの指令が出た。




クリスチャンの幼稚園で、
よく賛美歌を歌っていた。
いまだにいくつか覚えている。
そして賛美歌は自分の音楽のルーツにもなっている。


毎日すごく綺麗なカードがもらえて、
それを手帳に貼ってたなー。


あと、聖歌隊にも入っていて、
オカンが作ってくれた白いケープの
立体的に模様が入った生地の感じ。
そしてクリスマスには、
夜集まって、
キャンドルを持って歌いながら外を練り歩きました。
キャンドルで誰かの髪の毛が燃える匂い。


うーん、そんなとこかなー、
幼稚園で覚えてること。


もう45年も前のことです。
不思議なことに、
いまあげた事柄が、
さもないことでも、
記憶に残っているのです。


みなさんは、どんな風に記憶してますか?
幼稚園のころのこと。


うちの旦那は
なーんも覚えてない!
と言ってます(笑)






多摩蘭坂を
登りきる手前の
坂の途中の幼稚園でした。














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