武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

073. 一礼 -Agradecimento-

2018-12-04 | 独言(ひとりごと)

 今年は2年ぶりに髙島屋の3箇所で巡回個展を催らせていただいた。横浜、岡山そして少し間を於いて大阪。

 2年前と少し様子が変わっていることがあった。それは「礼」である。
 髙島屋の社員が売り場に入る時、そして出る時にも、その場所に向って一礼をする。これは傍から見ていて気持ちが良い。

 よく日本の野球選手がグランドに入る時、帽子を脱いで軽く一礼をする。アメリカの選手にはないことだと思うが、日本人選手の真剣さが伝わってきて気持ちが良い。

 相撲取りが土俵脇に入場してきた時にも一礼をしてから控え場の座布団に座る。
 柔道や空手、弓道など日本の武道は必ずやる。「礼に始まり礼に終わる。」と言われるくらい礼は大切なものだ。
 武道に限らずたいていの日本人スポーツ選手は礼をする。
 マラソンで走ってきたコースに向って礼をする選手もいる。死ぬほど疲れていて倒れこみたいところを先ず礼をする。あれと同じ感じなのだろう。

 誰に向ってではなく。誰に見られているかではなく。自分にとって神聖な仕事場に向って一礼するのである。

 髙島屋の誰が決めたのかは知らないが、髙島屋の社員全員が、決められたからではなく、納得して自らの意思で実行しているのが良く分かる。
 横浜髙島屋では実に徹底していたので、聞いてみると「いついつから始まったのです」との答えだった。岡山髙島屋でもそれは徹底されていた。

 可笑しかったのはいらなくなった段ボール箱などの入った大きな紙屑カゴを抱えて、どこかに捨てに行く時も、持ち場から退出する際に礼をする。自分の胸ほどもある大きな屑入れを持ったままの礼は何となくユーモラスであった。

 大阪ではオープンな会場なのであまり出入りする場面を目撃する機会は少なかった。でも会場の隣に扉があり茶道具売り場の社員が時たま出入りする。
 岡山と同様いらないダンボールを捨てに行く場面があったが、その社員は礼をしなかった。昔からよく知っているベテランの女性社員だ。
 後で冗談半分にそれを指摘すると「そやけど、センセが見てはんのに恥かしやんか~」。
 センセとは僕のことだ。
 社員同士とか一元のお客さんには見られてもどうってこともないが、昔なじみの人に見られるのは照れくさいのだ。いかにも大阪人的だ。

 ポルトガルで神聖な職場に入る時に礼などしない。
 レストランやメルカドでそんな場面をみたことがない。タバコとマッチを手に持ち急いでメルカドの出口に走るが礼などしない。

 ただ、教会に入る時には帽子をとって、十字を切る。

 ポルトガルのサッカー選手がグランドに入る時、芝に手をつけ、それを天に向け、そして唇にあてキスをする。
 「マリア様、イエス様のご加護を」と願うのだ。これも気持ちの良い所作法だ。

 闘牛士も同じことをやる。
 神聖な仕事場と言う以上に、万が一、本当に死ぬかもしれない真剣勝負の場所なのだ。

 さて僕も今日からアトリエに入る時、先ず一礼をしてから入ることにしようかと思う。VIT

 

(この文は2009年7月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

武本比登志のエッセイもくじへ

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする