明治44年生まれで今年100歳になる父は、ヘビースモーカーである。
僕の周りを見回してみても煙草を吸う友人が実に多い。画家やデザイナーそれに音楽家など芸術家が多いからかもしれない。そしてそもそも、彼ら、彼女らはやめる気もない。
僕は煙草は吸わない。昔から一切吸わない。生まれてから今まで吸ったこともない。
妻は10年ほど吸った後、すっかりやめてしまった。やめてしまってから、もう随分と年月が経った。
ちか頃は煙草を吸わない人が主流で喫煙者は肩身の狭い思いをしている様だ。
一昔前なら「まあ、一服」と言って、勧めたり勧められたりしたものだ。「僕は煙草を吸わない」などと言うと「へえ~。変ってるね~」などと思われたものだ。今では勧めたり勧められたりという行為もなくなってしまった。
数年前ポルトガルの法律が変って<屋内での喫煙は一切禁止>となった。カフェやレストランも屋内は禁止。違反をすれば莫大な罰金が科せられる。だがテラス席では構わない。テラス席は外という位置付けだ。それでお店ではこぞってテラスを充実してガラス張りなどにしてしまった。寒い冬の愛煙家のお客のためだ。ガラス張りにしてしまえば屋内と同じになってしまうと思うのだが、そこでは今のところ喫煙は許されている。
スーパーやメルカドでも屋内だから煙草禁止。その出入り口付近では喫煙者がたむろして吸っているので、屋外といえども煙がもうもうとしている。その煙の間を縫って人々はスーパーやメルカドに出入りすることになる。嫌煙者は息を止めて通過する。ポルトガルでもやめる人は少ない様だ。
僕は煙草を吸わないけれど他人の煙がそれほど嫌というほどでもない。近くで葉巻など吸っている人がいると、むしろ「良い香り」などと思うことすらある。
昔の画家などはパイプだ。ゴッホに<パイプを燻らす自画像>というのもある。ベレー帽にパイプを持てば画家のイメージが出来上がる。
父も昔はパイプを吹かしていた。アトリエには幾つかのパイプが転がっていた。普段は価格の安い両切り煙草の<しんせい>を吸っていた。子供の時には時々は煙草買いに行かされたが、<しんせい>といえば何か労働者の煙草というイメージで子供心に少し恥かしかった。そのしんせいをチェーンで吸う。
今ではしんせいは発売中止になったのか、手に入らないためか、しんせいではない。暫くは缶ピースだったり10本入りの両切りのピースだったりしたが、それも入手が難しくなったのか、今ではフィルター付きのピースを吸っている様だ。そのフィルターの根元ぎりぎりまで吸う。実家に帰ると相変わらずもうもうと煙が充満している。
父は長く日本民芸協団の理事をしていた。家の中には民芸陶器が所狭しと飾られている。その民芸陶器がニコチンで褐色に変色している。額縁のガラスもニコチンでべっとり、父の油絵が霞んで見える。
兄などは「俺の方が副流煙で先に癌で死ぬかも知れへんな~」などと言っているくらいだ。
でも煙草で本当に癌になるのだろうか?
煙草は大昔から吸われている。紀元間もない頃、南米マヤ文化の時代には宗教儀式の道具として使われていた。煙は天上と繋がっている。煙の行方で戦のこと、天候のことなどいろんなことを占ったそうだ。又、病気は身体に取り付く悪霊のためで、それを取り除く治療用としても煙草が使われていた。煙草は火の神が宿る神聖なものなのだ。
コロンブスがアメリカ大陸に到達した時、アメリカ・インディアンに鏡など装飾品を送った。インディアンは友好のしるしとして「まあ、一服」といって一緒に煙草を吸うことを勧めたという。
煙草の原種参照
ヨーロッパに広まったのは15世紀、コロンブス以降だそうだ.。その後、ポルトガルから日本へ伝わったのだろう。煙草はいかにも当て字で、ポルトガル語で<TABACO>(タバコ)と言う。まあ、スペイン語でも<TABACO>だし、フランス語では<TABAC>、ドイツ語で<TABAK>、英語では<TOBACCO>だけど…。でも発音ではポルトガル語が一番近い。
ちなみにオリンピックではいつも活躍をみせるトリニダード・トバゴはコロンブスが発見した。南米ベネズエラの沖合いのカリブ海に浮かぶ、沖縄本島の半分程の面積に130万人が暮らす小さな島国である。トリニダード島とトバゴ島からなり、トリニダードはリスボンにはその名の有名なレストランがあるが、ポルトガル語でカトリックの三位一体をあらわす。何でもトバゴ島の語源は島民が煙草を吸っていたからだという。
<秋茄子は嫁に食わすな>と諺があるがナス科の食物は身体を冷やす。煙草もナス科で一時的に血管を細くし、血液の流れを抑制し身体を冷やす。頭も冷やし冷静になれる。だから落ち着いて考え事などをする時には有効なのだ。何か大切な決め事をする前に「まあ、一服」と言って煙草を吸った。
たまに吸うからそれが有効で、しょっちゅう吸っている人にはあまり効果はないのかも知れない。とにかく吸い過ぎは良くないことは確かなようだ。
大切な決め事をする前に「まあ、1本」と言って煙草ではなく、ナスを丸かじりするのも良いかも知れない。
癌などの直接の原因は何か別のところにあるのは確かな様だ。喫煙による血液の流れの抑制によって癌の進行が早まるというのは考えられるのかも知れないが…。
僕はジャズが好きでニューヨークに居た時は週に1回は必ずどこかのライブハウスに通った。新聞<ビレッジ・ボイス>を買ってプログラムを眺めては毎週どこに行くかを決めていた。
ジャズメンと煙草も良く似合う。舞台で煙草を吹かしながらの演奏があたりまえで、お客も煙草が手放せない。ライブハウスの中はいつも紫煙が充満していた。
ニューヨークではマクロビオティックのレストランで僕は働いていた。新進の若いジャズメンやダンサーなどが毎日の様に食事に訪れる店だった。マクロビオティックとは玄米を中心とした健康食で、そこのオーナー氏は人一倍健康には気を使う人だった。
煙草は細巻きの葉巻を吸っていた。「煙草はあの紙が良くないのだ。」と言うのが彼の持論で「煙草にカビが来ないように紙に DDT が仕込まれている。それが良くないのだ。」と言って紙巻きは吸わず、細巻きの葉巻ばかりを吸っていた。彼もジャズが好きで一緒にジャズライブに出掛けたこともあるし、店でジャズライブを催したこともある。明るい性格で体格も良く健康そのものという人だったが、憧れのポルシェを手に入れアメリカのハイウエーで交通事故を起こして惜しくも若くして死んでしまった。
僕は葉巻の香りを嗅ぐたびにその彼の笑顔を思い起こす。
子供の頃、近所の友人の家に行くとおじいさんが煙草盆(火鉢)の前に座り、日本手ぬぐいを繋ぎ合わせた浴衣を着てキセルを美味しそうに吹かしていた。ニコニコとして僕たち小さな子供にも「おこし~」などと言っていた。ほんの少し以前の話だが、今では落語の世界にしか登場しない場面の様だ。その落語では圓正などは実に粋にキセルを吸った。
煙管(キセル)はキセル乗車の語源だが、いまの若い人にはその語源がわからないのかも知れない。そもそもキセル乗車自体、する人は居ないのだろう。携帯電話をかざして乗車する時代だ。
数年前、ちょうどシェルブールに居た時に大阪の妹から初めて携帯に電話があった。「父が倒れた」との知らせだった。パリからポルトガルへ帰る飛行機の切符を捨てて、急遽日本へ帰った。
父は手術を終え入院中だったが、毎日病院へ見舞いに通った。父の言動は明らかにおかしくて「もうこれはボケてしまった」と思った。今後の介護などどうなるものかと不安ななか何とか退院して家に戻った。
いつもの場所に座り、煙草に手が伸びて吸い始めた。入院中は勿論一服も吸っていない。そして吸い終わった途端、顔つきも変り何だかまともなことを明快な声で喋りだしたのだ。明らかに頭がはっきりした様子だった。
「何や、比登志、帰ってたんか~?」
入院中のことは全く覚えていない。まるで倒れる前にタイムスリップし、その続きの生活を始めた様だった。
「うん、帰ってたで~。久しぶりの煙草、旨かったやろ?」
「あい、煙草な~。やめなあかんな~」
決してやめる気はないのに、時々、父がポツリと発する言葉である。100歳の父がいまさら喋る内容かぁ~と笑ってしまう。 VIT
(この文は2011年9月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログ転載しました。)