武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

075. グルベンキャン美術館のアンリ・ファンタン・ラトゥール展 -Henri Fantin-Latour-

2018-12-06 | 独言(ひとりごと)

 先日、リスボンのグルベンキャン美術館で「アンリ・ファンタン・ラトゥール(1836-1904)」の展覧会を観た。
 以前から常設展で静物画を中心に2~3点は観ていた。その時には、このグルベンキャンで初めて観た画家だと思っていた。

01.グルベンキャン財団、7~8月号のパンフレットの表紙にファンタン・ラトゥールの静物画の一部


 今回はオルセー美術館やフランス各地、それにロンドンやアメリカなどからも集められた代表作60点の見応えのある充実した企画展である。

 最近は保守傾向と言うか、ウェイデン(1399/40-1464)ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥール(1593-1652)フェルメール(1632-1675)シャルダン(1699-1779)など古典的だが宗教臭さがあまりないもの。そういった絵が好まれている傾向にある様に思うし、昨年はパリのオルセー美術館でウイリアム・ホガース(1697-1764)の企画展が催されていた。

 その前にはエミル・フリアン(1863-1935)を観た。こういった、印象派前夜の官展派なども見直されている様に思う。

 アンリ・ファンタン・ラトゥールが活躍した時代はテオドール・ルソーのバルビゾン派とドラクロアのロマン派、それにクールベの写実派。それらに続くマネモネブーダンピサなどが印象派を確立し始めていた時代だ。

 印象派の流れがあっても印象派には移行しなかった画家はたくさんいた。と言うより、印象派に移行した画家は少数派だった筈である。その当時、官展派が主流派で印象派はアウトローなのである。

 そして美術の流れはやがて印象派、後期印象派、ナビ派、野獣派、立体派、そして抽象絵画へと進んでいき、いわゆる当時の主流派は美術史から忘れ去られた存在になっていったのだ。
 それがこのところの保守傾向で見直され始めているのではないだろうか。

 ピカソ以降の現代美術の流れには凄まじいものがある。
 デュビュッフェ、ニキ・ド・サンファール、ポロック、ロスコやラウシェンバーグ、アンディ・ウォーホル更にはイヴ・クラインや日本の具体。
 そして最近の映像芸術や人形、マンガ。
 美術の流れは行き着くところまで行ってしまった感がある。と思っている人も多いのではないだろうか?
 現代美術館などへ行くと、テーマパークの様で楽しめる作品もたくさんあるが、目を背けたくなる作品も少なくない。

 その反動なのか?
 それがかつての忘れ去られた官展派などへと目が向いているのか。などと思ってしまう。

 近代美術史の流れの観点から行くと確かに本流ではない。
 だがかつての官展派を、今、改めて観てみると決して古臭くはないし、技術的には勿論、素晴らしいものがある。むしろ新しく感じてしまう程だ。
 古い伝統的なものを踏襲しているだけではなく、微妙に画家なりの新しさが加わっている。
 しかし当時の流行ではない。美術に流行はいらないと思ってしまう。

 アンリ・ファンタン・ラトゥールはクールベの弟子である。そしてマネとも友人関係にあったらしい。それでも印象派に移行はしなかった。なぜかと思うに、技術的に素晴らしいものを持っていたし、器用な画家だったから、の様な気がする。

 アンリ・ファンタン・ラトゥールには幾つかのジャンルがある。
 肖像画。集合肖像画。自画像。花を中心とした静物画。そして歴史画。
 肖像画にはミレーの深みがある。集合肖像画にはジョーダンの趣が、自画像にはフラゴナールの激しさ。静物画はシャルダンにも劣らない。そして心憎いセンス。歴史画、これはドラクロアには及ばないけれど。そこそこにはこなしている。

 その他、随所にモロードーミエ的な箇所も伺える。
 それに何と言っても写実派のクールベの影響があるのだろう。何しろクールベの弟子なのだから。でも印象派には半歩も足を踏み込まなかった。師匠のクールベは半歩、印象派に足を踏み込んでいる作品が存在するにも拘らず。

 ドラクロアもモローも違う形で後の野獣派に影響を与えている。
 アンリ・ファンタン・ラトゥールにはドラクロアやモローの影響が見られるといっても、そんな新しいところではなく、むしろ古典的な手法のみを取り入れているかの様にみえる。

 この展覧会を観て初めて知ったのだが、今までパリのオルセー美術館で観ていた、印象派前夜、記念碑的集合肖像画「マネのアトリエ」。
 これを描いたのが、アンリ・ファンタン・ラトゥールだったのだ。僕はこの作品は観ていたが作者の名前は知らなかったし、気にもしていなかった。
 グルベンキャンの常設で飾られていた静物画と「マネのアトリエ」が結びつかなかったのだ。今回、その作品だけはグルベンキャンには来ていなかったのだが…

 それには絵筆とパレットを持ってイーゼルの前に座ったマネの他、それを取り巻くルノワール、バージル、モネ、そしてエミル・ゾラなどが描かれている。
 新しい印象派、それを引っ張った人々。その集合肖像画である。でもその絵の手法は決して印象派のものではない。

 アンリ・ファンタン・ラトゥール。又今後、パリでフランスの地方美術館で観る楽しみがひとつ増えた。

 

02.左からオットー・シュルドゥラー(画家)、マネ(画家)、ルノアール(画家)、ザシャリ・アストリュック(文学者、画家、彫刻家)、エミル・ゾラ(文学者)、エドモン・メートル(美術愛好家)、バージル(画家)、モネ(画家)、オルセー美術館所蔵のファンタン・ラトゥールの作品「マネのアトリエ」

VIT

 

(この文は2009年9月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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