武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

077. アングルとフォーヴィズム -モントーバン旅日記- (下) -Montauban-

2018-12-08 | 旅日記

2009/10/04(日)晴れ/Albi-Castres-Toulouse-Castelnaudary

 ホテル・エタップのバイキング朝食もそこそこに良かった。普段は無人でもその時間帯だけは従業員がいる。朝食の用意と掃除、シーツの替えなどだけをして昼過ぎに帰ってしまう。
 チェックイン、チェックアウトはお構いない、料金などは全て自動販売機方式だからお金は一切扱わない。
 意外と初老の宿泊客が多いのに驚いた。七面倒なのより合理性を好むのだろう。

 ロートレック美術館は10時からなのでその前にロートレックの生家を探すことにした。
 初めはあいにく見つからなかった。
 カテドラル内部を見学し裏庭とタルン川の風景を見ていた。
 横浜からという同世代か少し僕たちより若いご夫婦と少し話をした。
 僕たちは今からロートレック美術館を観てゴヤ美術館のあるカストルに行く。
 横浜のご夫妻は昨日既にロートレック美術館は観ていて、今からカルカッソンヌに行かれるらしい。
 「列車やバスを乗り継いでの旅だから時間がかかります。」と言われていた。出来るものなら旅は時間をかけるほうが楽しいし値打ちがある。


15.アルビのタルン川風景


16.ロートレック美術館カタログ


17.ロートレック美術館とツーリストインフォメーション


18.ロートレック美術館

 ロートレック美術館にも膨大な作品が展示されていた。
 今までパステルだろうと思っていた作品の殆どが油彩であったのには驚いた。その多くは紙やボードに描かれた油彩だ。それにロートレックと交友関係にあった、ナビ派やポンタヴァン派などの作品も展示されていた。
 ホテルに帰る途中に今度はロートレックの生家だというプレートを見つけた。


19.ロートレックの生家プレート


 朝はたっぷり食べたし、夕食もいつもたっぷりなので、昼くらいは軽くと思って、出発前にスーパーでサンドイッチとサラダを買った。
 サラダを食べるのにプラスティックのフォークが必要だと探していたら、レジの女性が「サラダにフォークが付いていますよ。ぷちっちゃいけどね。」と教えてくれた。
 いかにも日曜だけ働いている学生アルバイトという感じの良い女性。

 カストルに行く途中の景色の良い田舎道のPでサンドイッチとサラダ、ヨーグルトを食べた。

 カストルは田舎町という感じでどこにでも駐車はできた。しかも日曜日だ。
 町の中心方面に向って歩き運河沿いに少し下った所にカテドラル。その裏手に古い司教館を利用したという立派な建物、ゴヤ美術館があった。


20.ゴヤ美術館入り口


21.ゴヤ美術館の庭


 そしてヴェルサイユ風の庭が美しい。いろいろと珍しい花も植栽されていて、イチイの木には真っ赤な実がなっていた。
 ゴヤ美術館で入場料を払おうとすると「きょうは日曜日なので無料です。」


22.ゴヤ美術館展示室

 カストルのゴヤ美術館はフランスにあるにもかかわらず何故かスペイン系の画家の作品が多い。
 ゴヤは勿論のこと、ヴェラスケス、リベラ、スルバラン、ムリーリョ、そしてピカソとクラーヴェの作品も一点ずつ。
 名前の知らない画家の作品もその殆どがスペイン生れの画家であった。


23.ゴヤの自画像

 フランスのファンタン・ラトゥールの作品もあったがムリーリョの「乞食の少年」の模写である。
 そしてゴヤの膨大な数のエッチング。一人のコレクターの蒐集品であったそうだ。


24.ゴヤ美術館カタログ


 カストルはアルビとトゥールーズの中間の閑静な田舎町。サンチアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道にもあたる。

 ゴヤ美術館を後にトゥールーズまで一走りだ。

 トゥールーズ美術館も見逃せない。
 明日は休館日だから今日中に観なければならない。あまり時間がない。
 大都会なのでなかなか駐車スペースが見つからない。
 美術館の方向にはクルマは曲がれない。反対側に曲がってみたが川沿いもクルマで溢れている。ロータリーをUターンして一つ中の道へ。随分走ってようやく一台分の駐車スペースを見つける。でもかえって美術館に近い場所まで戻れた。

 どんどん人が入っていくので美術館だと思って入った。
 人を惑わせる迷路の様な現代作品ばかりで、おまけに暗い。観たい近代の作品には行きつかない。本当に館内で迷ってしまった。観覧者は迷路に喜んでいる。大騒ぎだ。
 観覧者に「ここは美術館ですか」と尋ねると「違います」という。「ここは美術大学の学生の実験場です」との答えだった。
 地図を良く見てみると一筋違っていた。急いでトゥールーズ美術館に入った。

 ボナールの良い作品がたくさんある。
 黒っぽい作品、例のパステル調の絵。実に美しくてうっとりするほどだ。でもこの美術館で僕が最も良いと思ったのはブラックのフォーヴの絵。「窓からの眺め」だ。


25.ブラックの「窓からの眺め」

以前にもポンピドーでフォーヴのブラックを観たが、それも良かった。


26.トゥールーズ美術館カタログ

 黒いキュビズムのブラックも素晴らしいがフォーヴのブラックは又素晴らしい。どうしてあんな色が出せるのか、そのセンスに感動してしまう。閉館と共に美術館を出る。


27.トゥールーズ美術館カタログ

 今から宿探しだ。
 ありそうな道を歩いてみたが一軒の四星ホテル以外二つ星程度のホテルは一軒もない。くるっと回ってクルマの所に出てしまった。

 美術館も観てしまったし、大都会に用はない。今日も郊外でホテルを探そうと走り出した。

 カルカッソンヌに行く途中、高速沿いにホテルのマークを見つけた。サーヴィスエリア内のホテルだが高速道路から随分と入り込んだところにそのホテルはあった。
 森の中の静かな佇まいでリゾートホテル並みの設備。
 とてもサーヴィスエリア内とは思えない。レストランは別棟。
 レストランは船のドックの前にあり、これらの設備一帯が、高速道路のサーヴィスエリアと、カナル運河のドックが両方利用できる様になっているのだ。
 レストランではクルマで来た人と船で来た人が同じ場所で食事を楽しむ。
 ガチョウの生ハムサラダの前菜とガチョウ肉のステーキ。デザートにはフロマージ・ブラン。
 喉が渇いていたので良く冷えた地元の白ワイン。でもここではロゼにするべきだった。

 ホテルの前の駐車場は殆どがフランスナンバーのクルマだったが、僕たちのクルマ以外にポルトガルナンバーのクルマがもう一台停まっていた。

2009/10/05(月)晴れ/ Castelnaudary - Celet- Cllioure - Barcelona

 カルカッソンヌは素通り、セレに向う。
 セレにはキュビズムのメッカ的な美術館があるという。
 ピカソやブラック、グリス、マチスなどの作品があるとのことで楽しみにしていた美術館だ。
 町の入り口の広い駐車場にクルマを止めて美術館へ向う。
 町にクルマを乗り入れることはできない。
 町の雰囲気は以前訪れた、ブルターニュのポンタヴァンにどこか似ている。全く違う地方で全く違う光の筈なのに、何か漂う空気が似ている。プラタナス並木の大きさだろうか?

 美術館には小学生の団体が見学に来ていて少々騒がしかった。
 第一室に一歩足を踏み入れて金縛りにあってしまった。僕の好きなスーティンだ。一部屋全部がスーティンの風景画だ。全部で23点。どれもこれも素晴らしい。素晴らしすぎる。果たしてどう表現してよいか言葉を失ってしまった。


28.セレ美術館入り口

 これほど多くのスーティンを一度に観たのは恐らく初めての経験だ。
 スーティンの息遣い、鋭い眼光で観る者を金縛りにしてしまう。実際に観た人でないとあの素晴らしさは判らない、画集などでは判らないのだと思う。何れもここセレの風景だ。
 展示は23点だったが、カタログにはセレの風景ばかり50点が載せられている。
 スーティンはこの地に留まってこんな素晴らしい仕事をしていたのだと思うと僕には鳥肌が立ち寒気さえ覚えてしまっていた。
 キュビズムのメッカと同時にスーティンのメッカだ。


29.セレ美術館カタログ

 美術館を出て更に寒気は続いていた。
 天気が良いのでクルマを出る時に薄着のままで出たが、町の木々が大きく日陰ばかりなので、実際少し肌寒い。
 或いは館内で小学生高学年の女の子が僕の目の前でくしゃみをしたが、それがうつったのだろうか?新型インフルでなかれば良いが…


30.スーティンの複製パネルとセレの街並

 セレの町を歩く。
 スーティンがイーゼルを立てた場所に複製画のパネルが飾られている。
 身体が冷えてきたので、急いでクルマに戻って、港町コリウールまで走り、そこで昼食の予定。
 コリウールはかつてマチスやアンドレ・ドランが滞在して絵を描いたところだ。

31.キュビズムのパネルとスーティンのパネル(右)

 スペイン国境に近い地中海の輝く太陽の下で原色を用いて描いた絵は「まるで野獣(フォーヴ)の様だ」と言われたことからフォーヴィズムという言葉が生れた。
 フォーヴィズムはコリウールが発生の地と言われている。
 ここでも画家がイーゼルを立てた場所に複製パネルが飾られている。
 マチスが滞在して窓からの眺めを描いた住宅の前にも2枚の複製画が飾られていた。


32.マチスが滞在した家


33.マチスがこの家で描いた室内風景のパネル

 海に突き出た鐘楼をアンドレ・ドランが黄色と赤を多様した原色で描いている。そのイーゼルを立てた場所に食堂のテラスがあった。そのテラスで少し遅い昼食を取った。
 僕はそれほど暖かいとも思わなかったが、海に入って泳いでいる人が何人もいる。


34.コリウールのビーチ


35.アンドレ・ドランとマチスのパネル

 マチスもこの同じ鐘楼を同じような色彩、同じような構図で描いている。たぶん一緒にイーゼルを並べて描いたのかも知れない。

 マチスとドランがコリウールに滞在して新しい潮流、フォーヴで競い合っていたその同じ年の1905年から翌年にかけて、マチスはアングルの「黄金世代」という絵をモティーフにフォーヴ的実験作品を制作している。
 その絵はマチスにとって生涯のテーマとなった「ダンス」へと繋がっていく。
 その後にも、アングルの「オダリスク」や「M婦人像」。ヴェラスケスの「マリアとマルタの厨房」などマチスは数多くの先人の作品をテーマとして取りあげている。
 コリウールはアングルが生れたモントーバンのすぐ近くだし、ヴェラスケスのスペインとの国境まで僅かと言う地が何らかの影響を与えたのかも知れない。

 このコリウールで一泊、とも考えていたが、実はセトゥーバルでちょっとした用事があって、一週間で戻ることが出来れば好都合なのだ。
 一応の見学予定も全て完了して、後はひたすら帰るのみ。

 今日もどこまで走れるかが勝負だ。でも当初思っていたよりは楽勝気分。再び高速道路に乗り、バルセロナを目指す。
 しかしセレで引いた風邪が少し悪化した模様。早い目にホテルを確保した方が良さそうだ。ちょっと早いと思ったがバルセロナの外環道沿いのパーキングエリアにホテルがあったので泊ることにした。
 今回の旅で泊ったホテルの中では一番高い料金。
 設備はまあまあだったが、高速の騒音が低周波音として神経に響きMUZは良く眠れなかったらしい。僕は風邪薬を飲みぐっすりと寝た。

 

2009/10/06(火)晴れ/ Barcelona-Valencia-Villarrobledo

 ポルトガル、スペイン、フランス三国の中ではスペインのガソリンが一番安い。フランスでは少ししか入れなかったガソリンを満タンにして出発。

 往きはスペインの中央部を走ったので距離的には短い。帰りは地中海沿いに走っているので距離は長い。
 往路で使った道、つまりサラゴーサまで戻って、マドリッド経由で帰るか、バレンシアまで地中海沿いを走ってそれから内陸に入り、高速道のないルートを取るか、走りながら迷っていた。
 濃い緑色のオレンジ畑が続き、同じ緑色のオレンジがたくさん実っているのが高速道からでも良く見えた。

 バレンシアから内陸に入ってシウダード・レアル経由が近道に思うが、シウダード・レアルまでの道路が整備されていなくて迷うかも知れない。
 でもそのルートに挑戦することにしたが、それが正解だった。クルマもトラックも少なくて本当に走りやすかった。でも一般道だからスピードはだせず距離は稼げない。

 今夜はシウダード・レアル泊りかなと思っていたがそれより100キロほども手前で泊ることになった。
 国道沿いのドライヴインで、部屋は広く、床には桃色大理石を敷き詰めて豪華、バスタブも大きく立派だがあまり客はいないらしく割安であった。
 風邪は未だ良くはならず早めに軽く夕食を済ませて早々に寝る。

 

2009/10/07(水)曇りのち洪水のち晴れ/Villarrobledo -Merida-Badajoz-Elvas - Setubal

 天気は下り坂らしく、出かけるときから霧雨が降り始めていた。
 シウダード・レアルからメリダの間も交通量が少なくまっすぐの道で走りやすかった。
 ブドウ畑の紅葉が美しい。雨こそ降らないが前方には真っ黒な空。そしてバダホスを過ぎたところから、大雨。

 バダホスのガソリンスタンドで古くなっていたワイパーを替えて貰う。替えてすぐにワイパーも利かないほどどしゃ降り。
 国境手前のガソリンスタンドでガソリンを満タンにしたが、スタンドを出るところの道が洪水で大きく水を跳ね上げる。国境までどしゃ降り。以前スペインを旅行した帰りにも同じ場所で全く同じことを経験したが、その辺りが雨が多いと言う事は決してない。どちらかと言うと乾燥地帯だから、単なる偶然だろうが不思議だ。

 以前にはクルマの屋根にこびりついたコウノトリの糞がその雨で綺麗に洗い流されて良かったが。今回も高速を走ってフロントに付いた虫の痕が洗い流された。
 エルヴァスを抜ける頃には明るく晴れ始めていた。セトゥーバルの我が家に戻ったのも未だ明るいうちだった。

 ちょうど一週間の今回のクルマでの旅。メーターを見ると3,385キロを走破したことになる。
VIT

(この文は2009年11月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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077. アングルとフォーヴィズム -モントーバン旅日記- (上) -Montauban-

2018-12-08 | 旅日記

 今年のパリ行きは「クルマで行ってみよう」と考えていた。でも地図を見るとパリは遠い。僕の体力で可能なのだろうかと思ってしまう。

 昔、ストックホルムに住んでいた頃はそれこそピレネーであろうが、アルプスであろうが、東欧、トルコ、モロッコまでもクルマで走っていった。スカンジナビア最北端ノード・カップにも。フォルクスワーゲンのマイクロバスを改造して、クルマに寝泊り、どこに行くにもお構いなしだった。僕たちも若かったのだ。

 今のクルマ、シトロエンを新車で買ってまもなく十年になる。日々の買い物とポルトガル国内旅行が殆どでスペインに入ってもポルトガル国境付近。遠出という遠出ではない。

 今年の車検ではタイヤも四本新しく替えたし、クルマも適度に古くなって絶好のチャンスかも知れない。

 クルマでパリまで行くのだったら、パリからは遠くて行きにくいミディ・トゥールーズあたりを途中見学もできる。スペインからピレネーを越えフランスに入ってすぐのあたりだ。

 その周辺の美術館を検索してみると、モントーバンのアングル美術館で「アングルと現代作家たち」という企画展が行われていて、期間は10月4日(日曜日)までとあった。
 モントーバンのアングル美術館には前々から絶対に行きたいと思っていたのだが、これは又とないチャンス。
 パリにはサロン・ドートンヌの期間中ではなくても前もって作品を預けることもできる。

 半月ほどは迷いに迷った。
 世界中クルマは増えてどこもここも街なかは駐車禁止。それに犯罪に会った話もよく聞く。バスクのテロに巻き込まれる危険も無きにしも非ず。スペインは広い。スペインは広いし、フランスも大きい。パリはフランスの北の端っこだ。途中の宿代、ガソリン代、食事代、おおまかに見積もっても飛行機で行くほうが遥かに安上がりだ。

 同時にイージージェットのパリ行きを検索してみると、これがまた安い。往復二人で188ユーロ。早いし、自分で運転することはない。
 モントーバンは諦めざるを得ない。
 サロン・ドートンヌの時期(11月中旬)に合せてイージージェットの航空券をネットで買ってしまった。

 でも先月のサイト更新を済ませて一気に気持ちが動いたのだ。やはりモントーバンは諦めきれない。パリと切り離して考えることも可能だ。


2009/10/01(木)晴れたり曇ったり/ Setubal - Elvas - Badajos - Madrid - Triueque

 走ってみることにした。今日の出発を逃せばそのチャンスは二度とない。幸い週間予報でトゥールーズあたりの天気はおおむね晴れ。セトゥーバルを朝8時に出発。きょうはどこまで走れるかが勝負だ。エルヴァスから無料の高速に乗り国境の手前で初めて休憩。コーヒーを飲む。ポルトガルとしばしの別れ。国境を通過。

 バダホスを過ぎたドライヴインの駐車場で朝出かけに作ってきたおにぎりで昼食。ドライヴインで食後のコーヒー。
 メリダ、トルヒーヨと町には入らずに外環高速で通過。そこまでは以前にもこのクルマで来た地域だ。やがてトレドの標識。そしてもうすぐマドリッド。

 マドリッドには五重の外環道がありM5に入れば簡単に目的のサラゴーサ方面に入ることが出来る筈。
 ところがM5を逃してしまった。M4は見つからず、M3もうっかり逃してしまう。道と標識は複雑でとにかくクルマが多い。そして最悪のマドリッドの街なかへ。右も左も判らない。でも少し迷っただけで<トゥート・ディレクション>(全ての行き先)の標識を見つけてM3へ。
 少し時間のロスはあったが巧くサラゴーサ方面行きの高速に再び乗ることが出来た。お陰で大都市を走る自信が少し付いた。

 グアダラハラあたりを過ぎたころから今日の宿探し。目的地フランスまでは高速から離れずに高速沿いのホテルに泊るつもり。ホテルの看板を辿ってそこまで行くが「今はやっていない。」というのが三軒。四軒目でようやくホテルにありつく。120キロ以上のスピードを出しきょう一日で750キロを走った計算になる。

 未だ明るかったので村まで歩く。古い石造りのアーケードの広場があり趣のある村。ベンシャーンの絵にある様なコンクリート壁の運動場で少年たちがサッカーに興じていた。それを写真に撮ろうとすると同時に、その中でも年少の少年がけんかを始めた。写真を撮っているのを見て、年長組少年にからかわれて、恥かしそうに照れたのが可笑しかった。


01.トリウエクのマヨール広場


02.少年たちがサッカーに興じていた


 宿は44ユーロというのを40ユーロに値切ったところ「42ユーロならいい」と言うことになった。
 夕食はワイン一本。前菜、主菜、デザートまで付いて一人10ユーロ。安いけれどそれなりの内容。でも地元ワインは旨かった。旨かったけれど一本は呑みきれずに三分の一は残した。

2009/10/02(金)晴れ/ Triueque - Serra Pirenees – Pau


 朝はトラック野郎たちで店は満杯だった。
 部屋は取らずに前の駐車場のトラックの中で一夜を明かした様だ。カウンターに寄りかかって早々から強い酒を引っ掛けている運転手もいる。

 朝食を頼むとカフェ・コン・レーチェと焼いてバターを塗ったクロワッサンを手際よく作ってくれた。それに手作りジャムも添えられていた。
 カウンターの中ではおかみさんが一人で大忙し。常連客が僕たちの席まで朝食を運んでくれた。

 昨日は予定より距離が稼げたので今日中にピレネーを越えることができそうだ。
 サラゴーサは巧くすり抜け、やがて高速道も終り一般国道へ。対面交通になるが道は良い。前方にピレネーの山々が立ちはだかる。


03.前方にピレネーの山々が立ちはだかる


04.ピレネーの山はすぐそこまで


 1972年、ポンコツVWマイクロバスでアンドラをまたいでピレネー越えをしたのを思い出す。ピレネーを越えたスペイン側の登り坂でトラックを追い越そうと、対向車線に入って加速したところ、前のトラックが更に前のトラックの追い越しにかかった。トラックは尻を振って僕のクルマのバックミラーを壊した。バックミラーだけで済んで良かったものの一歩間違えば僕たちは谷底だった。

 きょうはトラックが少ない。このルートはあまりトラックは走らないのかもしれない。
 立ちはだかるあの高い山を越えるのかと覚悟を決めていたが、七キロもある立派なトンネルが出来ていて難なくピレネーを越えることができた。

 紅葉を期待していたが、そのあたりは針葉樹ばかりであまり紅葉はなかった。時々、蔦が紅く色づいている程度だった。
 フランスへの国境を越えると風景は一変していた。緑が豊富なのだ。
 スペインの荒涼とした茶褐色の世界に対して本当にフランスは緑豊かだ。
 フランス側からピレネーを越えると確かに「そこはもうアフリカ」という言葉がうなずける。

 それと同時にフランスに入れば道は狭くなる。
 道のど真ん中で国境警察に停止を命じられる。パスポートの検査だ。
 事務所に持って行って検査をしたのだろう。スタンプを押してくれたのかなと思ったが、新たなスタンプはなかった。
 たまにしか走らないクルマを止めて、暇で暇でしょうがない。といった感じの警官たち。
 「バカンスですか?ビジネスですか?バカンス。いいな~。楽しんで下さいね。」などと言ってくれる。その間、後ろからは一台のクルマも来ない。

 山道なのであまり距離は稼げない。
 ポウの町でホテルの看板を見つけたので聞いてみると「今はやっていない」とのこと。
 もう少し走った町外れの国道沿いに広い駐車場のある平屋のホテルを見つける。立派なレストランも併設されていて、夕食はお勧め定食にした。街からも常連客が食事に来ていた。
 ダイニングの大型モニターに厨房の様子が映し出されていたが、その夜のお客は僕たちを含めて三組五人だけで暇そうであった。


05.鴨の生ハムサラダ


06.子羊のステーキ


07.木の実のクレープ


08.オーヴェルニュ・フロマージと杏ジャム

 

2009/10/03(土)晴れ/Pau - Montauban - Albi

 朝食を済ませひたすら田舎道をモントーバンへ。
 モントーバンの街なかに入り、判らないまま徐行していたが、巧くアングル美術館の真後ろの駐車場にクルマを入れることができた。しかも土曜日なので駐車料金は無料。
 早速ホテルを探すがなかなか見つからない。仕方がないので先にアングル美術館を観ることにする。


09.アングル美術館入り口


10.アングル美術館カタログ


 ここモントーバンのアングル美術館にも、もともとアングルの代表作が数点はある。
 企画はアングルの作品をヒントに或いはモティーフにしてピカソ、ピカビア、マチス、グリス、ラウル・デュフィ、マルセル・デュシャン、ダリ、キリコ、アンドレ・マッソン、ミロ、アンドレ・ロート、フランシス・ベーコン、デイヴィッド・ホックニー、ラウシェンバーグ、などの作家が作品を作っていてそれらがオリジナルのアングルと一緒に並べられている。贅沢な企画だ。


11.モントーバンの「オダリスク」と現代作家の作品


12.アングルの「泉」とその部屋


 アングルの「泉」の部屋には色んな画家の「泉」が。
 「泉」はこの企画の為にパリのオルセーからモントーバンまで運ばれてきていた。
 その他にルーブルの「オダリスク」とは違うモントーバンの「オダリスク」がある。
 勿論モントーバンでしか観る事が出来ないアングルは全て展示されていて満足であったが、何か、もう一つ、すっきりしない企画でもあった。
 アングル自身がこの企画を見たらどう思うだろうか?などと思った。やはりアングルはアングルだけで観たほうが良いような気もする。



13.アングルの作品と奥のマルシャル・レイスの1964年の作品

 午前中に入場した時は空いていた会場も出る時には入場券売り場から表の門まで長い行列が出来ていた。


14.アングル美術館切符売り場は長い行列

 たまたまか?僕たちが観ていた時は空いていて良かった。
 スペインを走りに走ったので予定より一日早い最終日前日に観ることができたわけだ。明日、日曜の最終日にはもっと長い行列が出来るのかも知れない。


 ホテルを探したが手ごろなのが見つからないし、アングル美術館も観てしまったので、少し走って駐車場の心配のいらない昨夜の様な郊外のホテルで泊るのも悪くない。
 ゆっくり走ったが、あいにく次の目的地アルビまでの途中にホテルは見当たらなかった。

 アルビにはホテル・イビスがあるのでそこでも良いと思っていた。
 ホテル・イビスの前の道路にちょうど一台分の駐車スペースがあった。
 ホテル・イビスはあいにく満室だが、ホテル・エタップなら空いているとのこと。イビスとエタップは同列のホテルだが、イビスはちゃんとフロントがあって従業員も居るのに対して、エタップは自動販売機の無人ホテル。そして少し安い。
 フランスにはあちこちにあり、以前から存在は知っていたが無人では不安だし、どのようにして泊るのか判らない。
 でもここでは二軒が併設されているから、イビスの従業員が手続きを全てやってくれた。

 初めて利用したがなかなか機能的で使いやすい。部屋はロフト風の作りになっていて、子供のいる家族連れなら特に便利だろう。路上駐車は土曜日なので明後日朝まで無料。

 街では「EKIDEN」が行われていた。
 ゆっくりカフェに座ってビール。アルビではやたらピッザレストランが目に付いたので、今夜はピッザ。


077. アングルとフォーヴィズム -モントーバン旅日記-(下) -Montauban-へつづく。

 

(この文は2009年11月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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