10月末までは海水浴日和の猛暑続きだったのが、11月に入ると一変、雨、嵐が連日吹き荒れ、街路樹が倒れ、洪水。 石橋が流され古い家屋も倒壊。 各地で大きな被害が出た。
こんな時に日本からポルトガルに旅行に来られるとポルトガルの印象は随分悪いものになってしまうんだろな~、などと思う。
我々はずっと居るわけだから、それはそれで過しようがある。
旅行は乾季。 雨期でも晴れ間を見計らって用事、買い物。 雨の日には外出は控える。 クルマだから構わない様なものだが、やはり雨の運転は鬱陶しい。 それに事故も多い。
だから年間を通して殆どワイパーは使用しないが、それでも傷む(ウインカーと間違えて、ワイパーを動かしてしまうことが年に1~2度ある。 日本とは逆だからだ。)ので、車検の時に 「取り替えなさい。」 などと注意される。
普通のスーパーなどでもワイパーは売られていて、今まではスーパーで買って自分で取り替えていた。 前回は少し型番の違うのを間違って着けてしまったのだろう。 キ~コキ~コと変な音がして失敗した。 それで先日、修理工場で運転席側の1本だけ取り替えて貰ったのだが、仕上がり具合を確かめるために 「ウオッシャー液を出して動かしてみろ」 と整備士から言われて、久しく使っていないものだから、そのウオッシャー液の出し方が判らなかった程だ。 恥をかいてしまった。
晴耕雨読。 晴れた日には働いて、雨なら読書。
僕は自宅で油彩を描いているので、晴れでも雨でも関係はない。 仕事はできる。 只、やはり乾季に比べると雨期は油絵の具の乾きが遅い。 それだけじっくり見ながらの制作になる。
そんな合間は読書だ。 海外生活の良いところの一つに僕は読書を挙げる。 以前、スウェーデンに住んだ時もよく読んだ。
海外生活では雑用がないためか、一字一句が良く頭の中に入っていく。 フランス文学などは訪れた場所もたびたび出てくるし、次のフランス旅行では実際に行って確かめてみることもできる。 だからといって外国文学ばかりではなく、日本の時代小説なども好きでよく読む。
コレットの 『青い麦』 のなかに 「兄はパンの端の部分が好きだから、そのところは兄に取っておいてやる」 といった文章があった。 10年くらい前に読んだ本だがそれ以来、僕はパンの端の部分の旨さに目覚め、それからは、先ず端から食べる様になった。
大阪の実家で父の為にサンドウイッチを作ってパンの耳を切り落とし、後で食べようとタッパーに入れておいた。 兄がその耳を見つけたので 「食べてもいいよ~」 と言ったら、変な顔をされてしまった。
剣豪小説などを読んでいる時、一旦休憩、と言うより仕事に戻るために、紐を挟んで本を閉じ、アトリエに向う。 その途中には怪しい者が居ないか玄関外の物音を窺い、アトリエに入っても腰に刀がないのが不安になり(これは嘘)匕首の代わりに思わずけん玉を手にしたりする(これは本当)。 CDラジカセとけん玉はアトリエの大切な僕の備品なのだ。
ポルトガルに来た初めのころは毎年、帰国時に新しく出来たブック・オフ(古本屋)などに行って1年間に読む文庫本を30~50冊ばかり仕入れて持ってきていた。 大きな書店で注文して買った絶対読みたいと思う新本もあるし、成田空港の書店で待ち時間に買った本なども含まれている。
長く住んでいるうちには在留日本人からも頂く。 ポルトガルから離れる人などから、大量に頂いたこともあった。 そんな中には読みたい本が多く混ざっている。
文庫本ばかりでなく、分厚い文学全集などもあり当分は楽しめそうだから、最近は帰国中に自分で古本屋まで行って仕入れてくることも少なくなった。 我が家の本棚には何重にも積み重ねてぎっしりだ。
心地好い陽射しの中、窓際でロッキングチェアーにもたれかかって読書。 これはたまらない楽しみだ。 でも1日中読書三昧ということはしない。 絵を描いたり、あれをやったりこれをやったり。
今は雨期、天気は変りやすい。 アラビダ山の彼方で湧きあがった雲がやがて上空に差しかかり真っ黒に覆われてしまうと、文字が読みづらくなる。 にわかに雨。 雨が叩くガラス窓からは冷気が伝わってきて本を持つ手が凍える。 ヒーターの側に寄って明りを点けて、眼鏡をかけてまでして読書はしないことにしている。 眼を悪くしてしまう。
そんな時はパソコンに向う。 電灯を点けて読書をすると眼を悪くすると言いながら、パソコンを長くすると余計に眼を悪くしそうだが…。
キーボードの練習?と思って本の在庫リストを作ってみた。
もしよろしければ古本屋をひやかすつもりで覗いてみてください。
「武本文庫」
何冊あるのか数えてはいないが、恐らくこの内4分の3は読んだ本だ。 繰り返し読んだ本も幾つかある。 今後も繰り返し読みたい本もある。 それに僕はどちらかと言うと遅読でじっくりと遡って読み返したりもする。 全集のカミュとバルザックだけでもそれぞれ読破するのに1年ずつもかかった。 残りの4分の1でも何年かは楽しめそうだ。
遠くで稲妻が走り、雷が轟きだすと大急ぎでパソコンの電源を切る。
ベランダの前の松の木が大きく揺れざわめく。 またどこかで被害が出なければ良いが、などと思いながらアトリエに向かい、暗がりの中で描きかけの絵を眺めてみる。 本を1冊読めば絵の印象は随分違ったものに見える瞬間がある。 本の続きを読みたいとはやる気持ちを抑え、絵を眺めながら、ラジオ体操をするか、けん玉の練習をするかくらいしか、そういう時は過しようがない。 VIT
(この文は2011年12月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログ転載しました。)