武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

078. マチスとロダンそしてドラン -パリ・トロワ旅日記-(下)-Troyes-

2018-12-09 | 旅日記

078. マチスとロダンそしてドラン -パリ・トロワ旅日記-(上)-Troyes- へ

 

2009/11/13(金) 晴れ / Paris


 今回の旅でのもう一つの楽しみはロダン美術館での「マチス、ロダン2人の出会い」という企画展だ。

 アンヴァリッドまでバスで行きロダン美術館に入った。
 もしかしたら入り口で行列しているかも知れないと心配していたが全く行列はなかった。

 タイトルを見ただけで、面白い企画だと思っていたが、観てみると想像を遥かに超えて面白い企画であった。


25.ロダン美術館


26.マチスとロダンのカタログ


 マチスはドランと一緒にフォーヴをやっていたと思うと、ほぼ同時期、ロダンと一緒に彫刻も作っていたのだ。
 勿論、今までもマチスのブロンズ彫刻は数多く観ている。でも案外とロダンとは結びつかなかった。
 同じポーズのクロッキーが何枚も並べて展示されているし、同じポーズのブロンズ像がある。
 彫刻はロダンの専門だからマチスはロダンの手ほどきを受けたのかとも思ったが、それだけではない。むしろロダンもマチスに引っ張られる様なクロッキーやブロンズ像を残している。ここでもお互いに影響しあっていたのが伺える。僕には想像のつかない発見であった。

 先月、僕が書いた「モントーバン旅日記」の中に『マチスはドランと共にコリウールに滞在し、地中海の輝く太陽の下でフォーヴをやっていた同じ年、パリに戻ってアングルの「黄金世代」からヒントを得てフォーヴの実験的な絵を描いている。それはやがてマチス生涯のテーマとなった「ダンス」へと繋がっている。』と書いたが、何とロダンはそれよりも10年以上も前にその同じアングルの「黄金世代」からのダンスのスケッチを描いていた。
 会場でロダンのクロッキーを観てスケッチしている人がいた。


27.ロダン美術館展示室、絵画はゴッホ{タンギー親父」とルノワール


28.ロダンの「バルザック」とアンヴァリッド


 トロワの2日間はものすごく寒かったがパリに来てからは暖かい。
 ロダン美術館の庭にあるカフェテラスで昼食。屋外のマロニエ並木の下なのに全く寒くはない。スープが旨かった。

 常設会場もひと通りじっくりと観た。
 思えばロダン美術館に来たのは実に久しぶりだ。パリには行きたい美術館が多すぎて毎年来るたびに複数の美術館を訪れるがロダン美術館はすぐ側を通ってもなかなか入らなかった。
 全集のバルザックを2年間もかかって先日読み終えたばかりなので、ロダンのバルザック像の前で記念撮影。

 再び82番のバスに乗り予定はしていなかったパリ市立近代美術館に昨年に引き続いて行った。ここのアンドレ・ドランをもう一度観たかったのだ。

 先月に行った「コリウールの鐘楼」の絵がここにある。
 ドランは作品傾向が様々なので展示はまとまってではなく、散り散りに掛けられている。別々の部屋であるがある程度の点数が展示されていた。


29.ドランの「コリウールの鐘楼」の前で子供たちの課外授業


30.パリ市立近代美術館カタログ

 

2009/11/14(土) 曇り時々雨 / Paris


 インターネットで検索すると、今、パリでは「マチスとロダン2人の出会い」以外にグランパレで「後期ルノワール展」と、ルーブルで「ヴェネチア絵画展」が開催されている。でも今回、その2つは観ないことにした。

 朝からモンパルナスに行き、露天のマルシェ(市場)を見る。
 フランスのマルシェは飾りつけが素晴らしくて見ているだけで楽しい。
 八百屋でゴボウを見つけた。ポルトガルでは見たことがない。

 このゴボウはミレーを多く所蔵するシェルブールのトマ・アンリ美術館で展示されていたGuillaume FOUACE(1837-1895)の静物画にも描かれていて「おやっ!」と思ったことがある。だから昔からあったのだろう。

 フランス人はゴボウをどのようにして食べるのだろうか?
 以前にもリヨンのマルシェで同じものを見つけたが旅の前半で買えなかった。今回は明日ポルトガルに戻る。絶好のチャンス。1束が1キロ、8本ほどが縛られて5ユーロ。それを買ってしまった。


31.ゴボウもどきとカボチャ


32.モンパルナス露店市のパン屋


 昨日、ロダン美術館が良かったので、今日はブールデル美術館に入るつもりでモンパルナスに来たのだ。
 ブールデルはロダンの弟子というか、15年程、ロダンの下で荒彫りなどの制作にあたっていた。

 先日アングルを観にモントーバンまで行ったが、ブールデルもモントーバンの生まれで、モントーバンのアングル美術館1階第1室はブールデルの展示室になっていた。そこには「弓を引くヘラクレス」もあったし、ファサードにはブールデルの巨大なブロンズ像が建っていた。

 「弓を引くヘラクレス」を完成させた1909年頃よりブールデルはパリのグランド・シュミエールで彫刻指導も始めるが、その生徒にジャコメッティとヴィエラ・ダ・シルヴァが居た。
 フランスに於ける近代美術ではおおよその芸術家たちがどこかで繋がっているというのも興味深い。

 ゴボウを下げてブールデル美術館に入るのも気が引ける。
 モノプリがあったので折りたたみバッグでもあれば買おうと思ったが適当な物が見つからなかった。C&Aの袋を提げた人とすれ違ったのでそちらに行ってみた。折りたたみではないが、ズック生地で男性用の使い良さそうなメッセンジャーバッグがあったのでそれを買ってゴボウと傘を入れた。中にはいかにもノートかスケッチブックでも入っていそうで誰もゴボウが入っているとは想像もつくまい。

 ブールデル美術館は入場無料である。
 庭には大小たくさんのブロンズ像、それにアトリエも見学する事ができる。展示室には大理石彫像、デッサン、油彩。ロダンともブールデルとも交流が盛んだったというカリエールの油彩なども展示されていた。

 ブールデルの作品にはロダンやカミーユ・クローデルの影響を感じる作品も無きにしも非ずだが、むしろロダンからの流れを極力避け、古代ギリシャ彫刻や神話、或いはセザンヌの造形理論、そしてジャポニズムなどから多くを学ぼうとしたと言われている。
 それがアール・ヌーボーにも少なからず繋がっていく。
 美術大学の学生たちだろうか?数人の若者がスケッチブックを広げて彫刻のスケッチを始めた。


33.「自由」「勝利」「力」「雄弁」ブールデル美術館前庭


34.ブールデルのアトリエ


 初めて来たがモンパルナス駅からも歩いてすぐだし、結構見応えのある充実した美術館である。日本語のカタログがあったので買った。それもメッセンジャーバッグにすっぽり入った。


35.ブールデル美術館カタログ


36.「瀕死のケンタウロス」のある美術館中庭とアトリエ


 夜7時を過ぎてからIKUOさんの自宅に向った。歩いて10分もかからない。
 買ったゴボウに鼻を近づけてもゴボウの香りがしないので、IKUOさん家に持って行き、パリ在住の方たちにゴボウを見てもらったが、どうやらゴボウではないらしい。「瓶詰めも売られています。」とのことだった。
 IKUOさんの家では日本語での会話がはずみ、いつも時間があっという間に経ってしまう。12時近くにホテルに戻る。

 

2009/11/15(日) 曇り /Paris - Lisbon – Setubal


 今回のパリはバスばかりを利用して一度もメトロは使わなかった。いや、着いた時、北駅からサンミッシェル・ノートルダムまでだけ使った。バスとメトロ両方に使える切符カルネ(回数券)をいつも無くなった時点で最寄の駅で買う。今回はイエナ駅のメトロ切符売り場で買った。切符売り場には人がいたが案内だけで売ることはしない。
 「私は売ることが出来ないので自動販売機で買って下さい。」とのことだ。日本の地下鉄の自動販売機の様に簡単ではないがいろいろやってみてようやく何とか買うことが出来た。「意外と便利じゃん」などと高をくくっていた。

 ドゴール空港まで行くのにリュクサンブール駅で切符を買おうとするともう既に全くの無人駅になっていた。先日と同じ自動販売機だが、カルネなら買えたがドゴール行きがどうしても判らない。仕方がないのでパリ市内切符を2枚だけ買った。
 RERの中で車掌が来れば精算すればよいと思ってドゴール行きのRERに乗った。ストが回避されていて良かった。ドゴール空港駅まで車掌は一回も来なかった。アコーデオン弾きや寄付金集めはひっきりなしに来たが…。出口に精算機があるだろうと思っていたが、それもなかった。
 自動改札口の横の扉が大きく開放されていた。観光客たちは少し後ろめたそうな表情でその開放されたところを通過していた。それも何十人も。
 そう言えばリュクサンブール駅も開放されていた。
 僕たちはまじめに切符を使って自動改札口を使ったが…。僕たちと同じように切符が買えなくて、同じような気持ちでこのRERを利用していた人が殆どだったのではないだろうか?

 空港のセキュリティーの列に並んでいるところに[100cc以上の液体は持ち込めない]と書いてある。僕はうっかりメッセンジャーバッグの中に1リッターの水が入っているのを忘れていた。メッセンジャーバッグには何でもすっぽりと入ってしまう。まあ、言われてから捨てればいいかと思っていたら、モニターを監視している女性は他の係官とお喋りに夢中でモニターに眼は行っていなかった。1リッターの水はそのまま持ち込んだ。
 ゴボウもどきも土が付いているので引っかかるかな?と心配していたがそれも大丈夫だった。

 リスボンのオリエンテ駅でセトゥーバル行きのバスを待っている時に少し雨が降り始めた。旅行中は1度も傘を開くことはなくラッキーであった。A型インフルエンザも僕たちにはどうやら近寄って来なかった様だ。一応マスクは用意していたが旅行中マスクをしている人は一人も見なかった。

 家に帰ってゴボウもどきを早速料理してみた。処理をするのに松脂の様なものがべたついて大変な作業になった。キンピラにしてみたがやはりゴボウの香りはなく、それでもしゃきしゃき感がありそれはそれで美味しかった。搔き揚げテンプラにしたらしゃきしゃき感もなくなり、もうそれはじゃがいもと変らない。次にパリで見かけても2度と買っては帰らないだろう。

VIT

 

(この文は2009年12月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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078. マチスとロダンそしてドラン -パリ・トロワ旅日記-(上)-Troyes-

2018-12-09 | 旅日記

 今回のパリ旅行は昨年行き逃したトロワに行くことにした。
 昨年はランスからトロワ行きのバスの便がちょうど悪くてランスで1泊、トロワで1泊のつもりがランスだけで2泊にしてしまったのだが、それが返って良かった。ランスを十二分に堪能することができた。

 今回、トロワでは見る物が少なくて退屈するかも知れないとも思ったが、昨年の経験があったので初めからトロワを2泊とした。パリ4泊、トロワ2泊、6泊7日の旅である。

 イージージェットの往復航空券、パリからトロワの往復列車乗車券、それにトロワのホテル、パリのホテルと全てインターネットで予約、もしくは買ってしまっていたので便利といえば便利だが変更は難しい。


2009/11/09(月) 晴れたり曇ったり / Setubal - Lisbon - Paris

 

 きょうの出発は比較的ゆっくり。
 朝9時45分セトゥーバル・バスターミナル発ヴァスコダガマ経由の高速バスでオリエント駅まで。2階建てバスの2階先頭に座ったのでヴァスコダガマ橋を渡るときなど迫力満点である。
 いつもなら自分で運転だから前をしっかり見ていなければならないが、きょうはよそ見ができる。塩田にフラミンゴの群れも見ることができた。しかも高い位置から。
 リスボン空港でもゆっくりと時間をもてあますほどであった。

 イージージェットの出発は少し遅れた。
 到着便に病人が出たらしくて、医療チームが慌しく機内に入っていった。若い青年だったが青白い顔をしてよろよろしながらも自力で歩いて出てきた。
 イージージェットは自由席だが比較的後ろの方に座った。僕たちの席も、通路を挟んで隣の席も3人掛けに2人だけでゆっくり。ゆっくり出来たと言っても、映画も音楽も食事も何もないのでパリまでの3時間が退屈だ。
 出発した飛行機の中ほどにも気分が悪くなった人が居て、客室乗務員たち3~4人が集まって手当てをしていた。A型インフルでなければよいが…。これくらいの出発遅れなら取り戻せると思ったがパリ到着も少し遅れた。

 ドゴール空港のいつもの場所にムッシュ・Mは待っていてくれた。サロン・ドートンヌに出品の100号の作品を預け手続きをお願いする。
 「パリのホテルまで送っていきます。」と言って頂いたが、今回は辞退した。パリ市内はそろそろ夕方のラッシュ時で、ムッシュ・Mの自宅からホテルまではパリ市内を縦断しなければならない。かえってドゴール空港駅から直接RER(パリ高速郊外鉄道)で行ったほうが早いし簡単だ。

 ところがプラットホームに下りてみると、電光掲示板では全て北駅止まりになっている。きょうRERはホテルのあるリュクサンブール駅までは行かないらしい。RERがストライキ中とのことである。
 サルコジ政権に変ってもフランスのストライキは相変わらずの様だ。

 北駅からメトロに乗り換えだが、ホテル最寄のクリュニュに行くにはオデオンまで行って乗り換え。ところがそのオデオンが工事中。
 仕方がないので手前のサンミッシェル・ノートルダムで降りて歩くことにした。パリのメトロ2駅分だが散歩と思って歩けばほんの僅かだ。寒いのにサンミッシェル大通りの歩道には人が溢れている。ポルトガルから来ればやはり人の多さを感じる。気温は10度以上低い。

 ホテルの部屋は良かったが暖房が入っていない。最初はそれほど思わなかったが、真夜中にありったけの毛布3枚をかけパジャマの下に肌着を重ね着。


2009/11/10(火) 晴れ / Paris – Troyes

 

 フロントに「暖房が効かなかった」とひと通り文句を言って出発。
 列車の切符はインターネットで買って自分でプリントした物だから、そのままで乗ることが出来るのか少し不安だったので早めに東駅に行く。
 インフォメーションで聞くとあっさり「そのままで良いです。20分前から列車に入れます。」とのこと。またもや時間をもてあます。

 東駅も以前に比べると随分とすっきりとなって、ブランド品のブティックなどのショーウインドウを見て歩くが、見るものもないし、お客もあまり入っていない。
 リュックを担いだままあちこちのベンチに場所を変えて座る。近くに咳をする人がいたり、プラットホームからの風が吹き抜けて寒かったり…。

 例によって駅地下にあるPAULのサンドウィッチを買って列車に乗り込む。
 時刻通りに発車。パリを出たあたりでサンドウィッチの包みを広げたが、すぐに検札が来た。車掌はプリントした切符にパンチを入れてくれた。そして「ボナ・プティ」と言って立ち去った。インターネットの切符は通常運賃の半額くらいで買えた上に慣れれば随分と楽だ。


1.トロワのホテル


2.ホテルのロビーもコロンバージュ


 トロワまでは1時間半。
 ホテルに着き名前を告げようとすると、ホテルのマダムが「マダム&ムッシュ・タケモト~?」と先に言った。「地球の歩き方」に載っているホテルだから日本人がよく利用するのだろう。
 日本語で「シャシン・オ・イッショニ・トリマショ~」などと明るい声で言う。
 部屋もコロンバージュで広いがバスタブはなく、シャワーのみ。でも暖房は良く効いている。荷物を部屋に下ろし、早速トロワ近代美術館へ。明日は祝日で休館なので今日中に観なければならない。

 美術館入り口には「ルオー展」の表示があった。
 昨年、パリのピナコテカで観た展覧会が巡回して来ているのであろうか?と思ったが観ると全く違う作品ばかりでサン・トロペ美術館からの巡回で、これはついていた。


3.ルオー展カタログ


4.トロワ近代美術館カタログ


 この美術館にはアンドレ・ドランがたくさんあるというので今回はそれを楽しみに観に来た。
 先月、モントーバンにアングルを観に行ったが近くのコリウールでアンドレ・ドランとマチスのフォーヴ運動の息吹を感じたので今回はこの美術館でドランを観るのを楽しみにしていたのだ。アンドレ・ドランについては最大のコレクションかもしれない。

 


5.トロワ近代美術館入り口


6.アンドレ・ドランの「ビッグ・ベン」のある展示室

 最初期から晩年まで、それに最盛期ロンドン時代の「ビッグ・ベン」など実に多くが所蔵されていた。
 ドランはフォーヴィズムの先駆者としてフォーヴ時代の絵の評価は高いが、その後は比較的暗い沈んだ絵になったためか、もう一つ評価は低い。
 でもこうして生涯の作品を通して鑑賞してみると実にいろんなスタイルに挑戦していることが判る。そしてその作品どれもが、ある意味で実験的で革新的なのだ。それが時代の流れとはただ単にかけ離れていたに過ぎなかっただけの様な気もする。


7.トロワ近代美術館の庭


8.トロワ近代美術館裏とカテドラル鐘楼が少し見える


 この美術館にはドランの他にミレーの肖像画、クールベの雪景色、描き潰したドガ、点描以前のスーラ、フォーヴのブラック、抽象画家ドローニーの具象画など珍しい作品と、ゴーガン、ヴィヤール、ボナール、マルケ、デュフィ、モジリアニ、マチス、ドンゲン、ヴィエラ・ダ・シルヴァそれにビュッフェなどあまり今まで観た事のない作品が多く展示されていた。

 夕食にはメインストリートの観光客が一番多く入っているレストランにした。
 町に観光客はあまり見かけなかったのだが、この店に集中している様に思う。
 トロワ名物の「アンドゥイエット」を食べるのも楽しみにしていた。臓物のソーセージだが、ガイドブックには少々臭いと書いてある。殆どの人がアンドゥイエットを注文している。
 ナイフとフォークを使って切る時に強烈な臭いが鼻をかすめた。息をしないで口に入れたが、歯ざわりは悪くない。
 隣の席の人は殆どを残して皿を遠くへ押しやっている。早く下げてくれ~と言いたげだ。
 僕は一応一皿は全部平らげたが2度と食べたいとは思わない。せっかくこの地に来て、この地の名物なのだから1度は試してみなければならないのだとは思うが、しばらくその臭いが脳天から離れなかった。


09.トロワ名物「アンドゥイエット」


10.トロワのメインストリート

 

2009/11/11(水) 晴れ /Troyes


 昨日より増して寒い一日。そして祝日なので殆どの店が閉まっている。
 ホテルで貰ったトロワの地図には観光ルートが示されていた。一日それに従って歩くことにした。思っていた以上にコロンバージュ(木骨レンガ造り)の家が多いのに驚く。


11.写真以上に歪んでいたコロンバージュの家


12.今にも崩れ落ちそうなコロンバージュの古い家並


 20世紀半ばからしだいに昔の家並が失われていたところ、当時の文化相アンドレ・マルローの提唱により再びコロンバージュの家並が取り戻されたのだそうだ。
 そんな情報もあって、もっと新しいコロンバージュだろうと思っていたが古いものが多く残されている。ブルターニュでもノルマンディーでも多くのコロンバージュの家並を見たがここのが一番古い様な気もする。


13.マンホールの蓋までもがコロンバージュ


14.2階がせり出した典型的なコロンバージュの家


 途中、ポルトガルのフランゴ料理の店を見つけたがあいにく祝日で休み。
 サン・ピエール・エ・サン・ポール大聖堂のステンドグラスは美しく見事であった。正面のバラ窓の黄色いステンドグラスはさすがであったが、遠くてデジカメでは色が出ていないのが残念。


15.サン・ピエール・エ・サン・ポール大聖堂


16.黄色が美しいバラ窓


17.側面のステンドグラス


18.正面のステンドグラス


 道具博物館が開いていたので入った。
 コロンバージュの町にふさわしい博物館だが、展示のセンスが実に素晴らしい。古い道具を使ってのまるで現代美術を観ている様で感動さえ覚えた。入る時は入場料が少し高いと思ったが、出る時には安いと感じた程だ。


19.道具博物館入り口


20.道具博物館の展示

 

 

 

2009/11/12(木) 晴れ /Troyes – Paris


 マルシェ(市場)の肉屋にもアンドゥイエットは売られていた。店によっても味に違いがあるのだろう。地元のおじさんが品定めをして買っていたが、こういった癖のある物ほど慣れればやみつきになるのかも知れない。


21.マルシェのアンドゥイエット


22.トロワの街並


 ポルトガルに戻る前夜にIKUOさんの自宅にお招ばれしている。その時に持っていこうとシャンペンを専門店で調達。パリでも勿論買えるが、トロワ産のトロワでしか買えないシャンペンを買いたかったが、店の親父にはそれが通じたのか通じなかったのか「これだ」と言ったのでそれにした。

 画集やシャンペンでリュックが重くなったので、列車内で食べるサンドウィッチは駅のキオスクで買った。これが不味かった。フランスのサンドウィッチはたいてい旨いが、今までフランスで食べたサンドウィッチの中で最悪だった。

 パリのホテルのフロントには従業員ではなく経営者のマダムが居た。僕たちの名前と顔は良く覚えてくれていていつも歓迎してくれる。

 荷物を下ろしムッシュ・Mに電話。
 「ドートンヌに搬入するとカタログを渡されたのでどうしましょう?」と言う。いつもなら会場で直接貰うのだが今回から搬入時に配布する様になったらしい。ムッシュ・Mの自宅まで取りに行くことにした。
 85番のバスで1本だが道が混んでいて小一時間もかかってしまった。でもこのバスは名所や下町の猥雑なところなども縫って走るので楽しい。カルネたった1枚で随分値打ちがある。

 ドートンヌは今回初めての会場でエスペス・シャンペレという今まで行った事がないところ。
 ホテル近くのパンテオンからポルト・シャンペレまで84番のバス1本で行く。始点から終点までだ。
 ムッシュ・Mの自宅のあるジュール・ジョフリン往復とドートンヌのあるシャンペレ往復でパリ市内観光を全てしてしまった感覚だ。

 今年も目立つ良い場所に僕の絵が掛けられていて満足であった。


23.正面の100号が僕の出品作(サロン・ドートンヌ2009)


24.サロン・ドートンヌ2009カタログ

 

078. マチスとロダンそしてドラン -パリ・トロワ旅日記-(下)-Troyes-へつづく。

 

(この文は2009年12月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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