ご主人が亡くなってからの約五年間を柴崎さんは独りで生活してきた。近くには長男家族も住んでいたが、認知症が進行し介護が難しくなったことから三年前ここに入居された。僕の入社直後のことなので、ほぼ同時期にこの施設にやってきたことになる。
柴崎さんは介護全般に拒否があり、帰宅願望も強い。二十分ほどしか記憶が保たれないので、ここがどこで、いまがどういう状況なのか常にわからない状態。それでも本人が納得した物語りの中で今を過ごされてる時はとても穏やかだ。
そして、まるで眠ることを忘れてしまったかのように昼夜問わず徘徊をくり返す。
最も落ち着きがなくなるのは夕方から朝方にかけて。そろりそろりと扉へ向かう彼女に一体どのくらい声をかけただろう。
「どうかされましたか?」
「ちょっと家に帰ろうかと思って。」
「今日は遅いから泊まって行きませんか?外はもう暗いから危ないですよ。」
「帰って夕飯つくらないといけないのよ。ここはどこなの?最寄り駅はどこ?」
「駅まで遠いですよ。←(ウソ)」
「どのくらい?」
「僕の足で三十分くらいですかねえ。←(ウソ)」
「そんなに?ぢゃあ、タクシー呼ぶわ。あら、、お財布どうしたかしら。」
「明日の朝一で僕がご自宅まで車で送りますよ。←(ウソ)お布団も用意してありますし、今夜は泊まっていきませんか?」
「私、、どうやってここに来たの?」
「今朝、息子さんに送ってもらったと聞いてますよ。僕は先ほど来たばかりなので息子さんにはお会いしていませんが、、←(ウソ)」
「どうしてここに来たの?」
「ご主人が入院されたのでその間ここに泊まることになったんですよ。←(ウソ)」
「娘は?」
「娘さんは結婚して大阪で暮らしてますよ。」
「誰のこと言ってるの?娘はまだ中学生でしょ?」
「いま五八歳と伺ってますよ。」
「幸恵よ?」
「幸恵さんです。長男の俊雄さんご家族なら近くに住んでらっしゃいますよ。」
「まったくわけがわかならいわ。」
「んー。今日のことは柴崎さんにもお伝えしてあると聞いているんですが、、←(ウソ)もしかして知らされてないですか?」
「知らないわよ。」
「そうですか、、担当の者を厳しく注意しておきますね。←(ウソ)そしたら心配だったでしょう。状況もわからずに、、」
「まったくよ。」
「本当に申しわけありません。明日にはご主人も退院されるようですし、←(ウソ)今夜だけあちらのお部屋で休んでいきませんか?僕も泊まりますし、明日朝一で責任を持って送迎しますので。←(ウソ)」
「そう?そうね、、そうしようかしらね。ごめんなさいね。お世話かけて。」
「いえいえ、とんでもない。」
もちろんその時々で状況設定や会話は変わってくるのだけど、数十分おき、ときには数秒おきにこのようなやりとりをする。
さて、夜勤。
消灯から二十分が経った頃
「あなた、私の家でなにしてるの?」
と、柴崎さんが居室のドアからぬぅっと顔を覗かせる。
「ここは柴崎さんの家ではありませんよ。」
僕がそう答えると
「他人の家に断りもなく入り込んでおいてなんて言い草なの!」
そう言い放ち、施設内を探検するようにゆらゆらと歩きはじめた。こういうとき関わろうとしても興奮させるだけなので、様子を見守る。
五分後、僕の近くまでやってくるが〝なにみてるのよ!〟といった具合に睨みつけて通り過ぎてゆく。様子を見守る。
十分後、「あなた、私がわかる?」と柴崎さんから話しかけてきた。怒りはおさまり少し不安そうだ。
「わかりますよ。柴崎さんですよね?」
「私はあなたを知らないの。」
「今日は臨時で来たのでお会いするのははじめてですよ。なにかお困りですか?」
「なんでこんなところにいるのかしら。私は入院したの?」
「ここは病院というより区が運営してるホテルのようなところですよ。ご主人が入院されたので、その間ここに泊まることになったんです。」
「そう、、いつ来たの?」
「今朝だと聞いてますよ。僕は夕方に来たので正確な時間はわからないんですが、、」
「今朝、、そう言えば昨日よ、、」
柴崎さんは声をひそめ、まるで秘密を打ち明けるように囁く
「雅子さんがここのパンフレットをみてたの。息子の嫁なんだけどね、、あの人は私のことが邪魔みたい。息子が仕事に行ってる間に、私にはなにも伝えないままここに連れてきたのよ。主人が迎えにきてくれると思って待ってたけど、、それっきり。騙されて精神病院に入れられるなんて、、」
抜け落ちた記憶部分のつじつま合わせのため無意識につくられる物語りは、それが事実と違っていても本人にとっては真実であり、感じている苦痛も本物なので否定や訂正、説得は意味をなさない。
「貧しい家で育った。」
「主人が浮気してる。」
「私は頭がおかしくなった。」
「子供に見放された。」
「ずっと我慢の人生だった。」
「親戚に財産をかすめ取られた。」
「みんなに嫌われてる。」
「もういいことなんてなにもない。」
「あなたも私を騙そうとしてる。」
「どうしてこんなひどい仕打ちをするの。」
「死んでしまいたい。」
「どうして生きてなくちゃいけないの。」
「なにも信じられない。」
「わけがわからない。」
「情けない。」
「もう疲れた。」
夜勤帯は僕ひとり。その言葉たちにただ耳を傾ける。下手な同調は負の感情をエスカレートさせる。こちらが言葉を発してもよい時期になるまで待つ。悲痛な訴えに労わりや前向きな言葉を少しづつ差し込む。やがて僕の言葉が少しづつ柴崎さんの考えたこととして定着してゆく。ゆっくり落ち着きを取り戻す。〝絶望の言葉〟と〝今〟を切り離したら、絶望していたこと自体忘れてゆく。
「話をきいてくれてありがとう。独りは心細くて、、あなたに会えてよかったわ。」柴崎さんはそう言って安らかな顔でベッドに潜り込む。
時刻は十時半過ぎ。夜勤は始まったばかり。柴崎さんの声に〝なにかあったの?〟と起きてきたおばあちゃんと〝うるさいわよ!!〟と起きてきたおばあちゃんをなだめベッド誘導する。怖い夢をみたと鈴を鳴らすおばあちゃんを寝かしつけ、失便したため素っ裸になって居室から出てきたおじいちゃんの清拭や更衣・シーツ交換をし、巡視に伴うケアをこなす。ひと段落したのは十一時十五分。〝さて、介護記録をつけるか〟とテーブルに腰掛けようとしたとき、再び柴崎さんが居室から現れる。涙ながらに、怒りをあらわに、不安に震えながら「あなた、私の家でなにしてるの!」と僕に詰め寄ってくる。
僕が認知症を残酷だと思うのは(もちろん皆んなが皆んなそうだというわけではないのだけど)それまで培ってきた〝その人らしさ〟を少しずつ崩壊させ、家族や周りの人たちが抱く〝その人らしさ〟の印象をも歪ませてしまうからだ。それがとても悲しい。
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先日、柴崎さんは脳梗塞で亡くなった。来週の誕生日がくれば米寿のお祝いの年齢だった。
僕が彼女を最後にみたのは、トイレ介助しようとしている女性スタッフの髪の毛を鷲掴みにして怒っている姿だった。
かつての柴崎さんを知る人ならば〝まるで別人だ〟と驚くだろう。でも僕はとても彼女らしい振る舞いだと微笑ましく思った。そう、〝その人らしさ〟を失った彼女のことを悲しんでいる同じ心で、その光景を慈しむ僕がいた。
その貴重な感覚を僕は掴み損ねたようだった。あの時、その感覚をきちんと捉えることができていたなら、積み重ねられてきたものたちはただ消えてゆくのではなく、認知症になったそのあとも〝それ〟はずっと続いてゆくのだと実感できたのかもしれない。