「三井港倶楽部」は三池港の開港にあわせ明治41年(1908年)に完成しました。
1.南面から見た三井港倶楽部
木造2階建ての英国農家風たたずまいです。
2.庭の古木
この梅も100年間咲き続けているのでしょうか。
3.北面玄関
大牟田市の指定有形文化財となっています。
4.三井港倶楽部の説明
現在はレストランや結婚式場として使用されています。
5.團琢磨氏の胸像
庭には当時の三井財閥の総帥「團琢磨」の胸像と談話がおかれています。
彼は私の地元黒田藩藩士の子弟ですが明治4年13歳の時、岩倉使節団に随行し米国に留学、マサチューセッツ工科大学で鉱山学科を卒業し二十歳の時に帰国しています。
胸像の足元にある談話では石炭産業の衰退を予言していたようで、百年の産業の基礎として港湾建設の必要性を力説しています。
大牟田には初めて訪問しました。
今まで世界遺産にさほど興味があったわけではありませんが、実際に見ると写真と共に興味が増大しました。
福岡県はかつては日本有数の筑豊炭田もあり、石炭産業は身近でした。
生家の2階からは遠く稼働中のボタ山も眺めることができましたし、親戚が炭鉱に勤務していました。
日本の戦後復興と経済発展の礎の一つでもあったのですね。
撮影:CANON EOS M5 + EF-M15-45mm
1.南面から見た三井港倶楽部
木造2階建ての英国農家風たたずまいです。
2.庭の古木
この梅も100年間咲き続けているのでしょうか。
3.北面玄関
大牟田市の指定有形文化財となっています。
4.三井港倶楽部の説明
現在はレストランや結婚式場として使用されています。
5.團琢磨氏の胸像
庭には当時の三井財閥の総帥「團琢磨」の胸像と談話がおかれています。
彼は私の地元黒田藩藩士の子弟ですが明治4年13歳の時、岩倉使節団に随行し米国に留学、マサチューセッツ工科大学で鉱山学科を卒業し二十歳の時に帰国しています。
胸像の足元にある談話では石炭産業の衰退を予言していたようで、百年の産業の基礎として港湾建設の必要性を力説しています。
大牟田には初めて訪問しました。
今まで世界遺産にさほど興味があったわけではありませんが、実際に見ると写真と共に興味が増大しました。
福岡県はかつては日本有数の筑豊炭田もあり、石炭産業は身近でした。
生家の2階からは遠く稼働中のボタ山も眺めることができましたし、親戚が炭鉱に勤務していました。
日本の戦後復興と経済発展の礎の一つでもあったのですね。
撮影:CANON EOS M5 + EF-M15-45mm
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