この春、仔牛もようやく3歳になり本来なら幼稚園へ通うはずだったのが
少しばかり発達が遅いので普通の幼稚園では無理、ということになった。
いや、もう少し早く連絡を取っていれば牛子の卒園した幼稚園ならば、「私が園長ならすぐに引き受けましたが」
と言ってもらえたのだが、その園長先生も私の母親と同年代、もう次の世代に役職を譲ることになっていたので
新しい園長先生ではそれは無理だったらしい。なんと言っても競争率の激しい幼稚園なのだから10月になってから
「お願いします」と言っても到底無理だった。ということもある。
何故そこに行くことになったかということについては話せば長くなり、本来行く予定をしていたすぐ近くの幼稚園に
入る事ができなくなったという事情があった。
生まれた時に産道で5時間も6時間も引っかかって、最終的に転院して全身麻酔で帝王切開で生まれたので
「何か障害が残ってもうちの責任ではありません」
と、手術をしてもらった市民病院の主治医には言われて非常にショックを受けたけれども、その後はものすごく丁寧に慎重に診てくれた。そんなふうでハラハラしながら仔牛の事を見てきたのだ。
仔牛はグレーゾーンに入っているので障害の名前をつければつけれないこともないし、つけなければつけなくてもいい、
という位置にいるらしい。念のために脳のMRIとか色々検査をしたけれども、脳自体にはなんら異常はないということだった。それにしても、牛子といい、仔牛といい、麻酔が効かないらしく(というか効きにくい)
牛子が帝王切開をするときは局所麻酔が効かず全身麻酔に切り替え、仔牛もまた
点滴での麻酔は強すぎて良くない、ということで飲む麻酔薬にされたらしいが、これがさっぱり効かなくて
本来なら数分で眠ってしまうところなのに、目をギラギラさせているので
牛子も婿さんも担当医も麻酔医も検査技師も困ったらしい。
それが理由で1歳の時は結局検査を断念するほどだった。(麻酔薬だけ飲んで終わり)
2年目に薬の量を増やしてようやく検査ができたらしい。
そんなふうなので自力で歩き出したのも2歳になってからだったり、何もかも少し遅かった。
それで結局支援学級の幼稚園版というところに4月から通う事になった。
便宜上幼稚園と言っておきます。
「ばあばがなんとかしてやる!」
と気持ちだけはファイト一発なんだけどー、やはり将来は心配だ。
牛子も口に出しては言わないけれども「悩みすぎて訳がわからんくなった」と言っていたので
心の奥底には色々と思うところがあるのだろうと思う。
私は何としてもそれを支えてやらねばならない、とずっと考えてきた。
仔牛は異常にバイクの音を怖がる。
どんな小さいバイクでも、どんな大きなバイクでも、そのエンジン音を聞くと家の中ではソファに駆け上がるか
私に飛びついて「だっこー、抱っこー」と泣き出さんばかりに怯えるのだ。
外で聴こうものなら、もう殺されるんじゃないかと思えるような怯え方をする。
妹か?
前世の記憶が有れば聞いてみたいものだと牛子といつも話しているんだけど、
私の妹は4歳になる少し前、私と一緒に保育園に通い始めて間もなく、バイクにはねられて死んでいるので
ばあさんとも時々そんなことを話す。
仔牛が元気で大きくなっていってくれればいいと思う。
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