と記した矢先、
一方で一部のジャーナリストを特別扱いしたことについて、陛下は問題視されているように受け取りました。
一部ジャーナリストを小室家との交渉(因縁付け)に使ったことを、棚に上げている。。。
小室圭文書
令和元年(2019年)5月8日に代理人が受け取った記者の名刺には週刊現代の「記者」であることが明記されていました。弁護士ではない週刊誌の記者が法律問題の代理人になることは弁護士法に違反する懸念がありましたから……
週刊誌記者に小室君や代理人たちは、かなり苦慮(当方も苦慮したでしょう)。
まるで、困らせることが主目的であるかのように
元婚約者の方の目的がお金ではない可能性がある
当方ならば、蓋然性があると書く。
そして、当方ならば、
元婚約者側の目的が
秋篠宮一家バッシングを喚起・扇動する目的である可能性がある、
とも書く。
小室圭君らを叩いて得をする者は、
雅子 徳仁 愛子
のみ。
秋篠宮一家へのバッシングが自身たちへの廉潔性を際立たせることで、国民からの人気を「一々ファンたちに手を振らずとも」獲得できるから。
しかし、
皇室制度にとって、特に、
男系男子が皇位を継承する現行の皇室制度にとって
全くプラスにはならないバッシング。
当方、小説「天皇制最期の日」をGettrにて書いている。
しかし、永らく中断している。
(寒い日に、真夏の日について書けるほどの想像力は持ち合わせてないから、だけでなく、)
文仁のスタンスを再検討する必要がある事に気付いたから。
先日の自動車での伊勢神宮参拝では、静黙さが際立っていた。
文仁は、
ポピュリズムと決別し、
伝統(ただし、光格天皇により作られた「伝統」)に恭順した
から。
{ゆえに、沿道のファン相手にファンサービスする必要なし、と判断して減速しなかった。)
一方、
雅子 徳仁 愛子は、
依然としてポピュリズムに依拠し、
国民への媚び売りに終始。
(この点は従前より、小説「天皇制最期の日」にて強く意識)
日本国憲法を重視すると、一々媚び売りに終始する必要がある。
一方、明治維新以前の天皇たちとの連続性を重視すると、、、
文仁のスタンスが正解。
追記
に
今の蚕を育てる儀式(?)は動物愛護の文脈でなされている。
しかし、ご承知の通り、生糸をつむぐ作業では、蚕を茹でなければならない。この作業は、動物愛護の文脈と一見明白に相反。
世論からの反発を避けるため「養蚕の矛盾」を隠蔽したのでしょう。
(https://blog.goo.ne.jp/hakusou_onlinechecker/e/7b185080f369cdb9a728a42477c5fe5c にて指摘した)ポピュリズム依拠の一端。
とコメント