高校で扱う程度のある評論には、
科学的思考の源流を検討して、
19世紀の日本で、科学があっさりと受容された一因が、
「神様が如何にこの世を御造りになられたのか」
という源流が、技術的精緻さの前にかき消されていたから、
と。
その結果、
「職人由来」の技術
と
「神学、哲学、由来」の科学
との違いが、
不明瞭になった。
実際、世界初の大学工学部は、
東京
でうまれた。
「神様が如何にこの世を御造りになられたのか」
に辿り着くためには、
神様の視座
に近付く必要がある。
神様の視座
に近付くためには、
万物を見下ろせる立ち位置、
万物から離れた立ち位置
が必要とある。
誰もが、
万物を見下ろせる立ち位置に、
万物から離れた立ち位置に、
辿り着けることが、
客観主義の大前提。
さて、科学的方法論は、
心理学にも浸透。
その結果、
モヤモヤしたり、イライラしたりするのは、自分の決めつけが作り出していると知ることで、状況を客観的に見ることができるようになります。余計なことを考えて、レジで気疲れするようなこともなくなるでしょう。
という
やや安っぽい啓発
が為されるまでになった(フロイト・ユングの古い心理学に依拠している疑念が残るものの)。
「状況を客観的に見る」
客観主義のアプローチ。
小売店ならば、
値札、陳列された商品、レジに並ぶ人たちの装束、会話などなど
様々な観察対象に溢れています。
レジ持ちが気にならなくなる程度には、豊富な観察対象があります。
「状況を客観的に見る」
客観主義のアプローチにも、
難点があります。
暴走するリスクがあるのです。
実例?
医療従事者連中です。
あるいは、
colaboを叩く連中
関連記事
あるいは、
にてチラリと登場する反知性主義者連中
あるいは、
にて指弾している「原発に群がる」連中。
QCサークルのように、
Why?
を見つけては、
対応するanswer
を見つける
という藻掻きを続ければ、
科学的思考の源流
「神様が如何にこの世を御造りになられたのか」
を見失わずに済むでしょう。
関連
思考停止な人の特徴について紹介した
をご紹介。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます