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◇延宝 七年(1679)☆素堂38才 芭蕉、36才

2023年09月03日 07時49分20秒 | 俳諧 山口素堂 松尾芭蕉

◇延宝 七年(1679)☆素堂38才 芭蕉、36才

*** 素堂の動向 ***

☆四月、『富士石』発句二入集。岸本調和編。

 此ごろの龜を

二万の里唐津と申せ君が春     来雪

かな文や小野のお通の花薄      々

〈異〉そろべくや小野のお通が花薄(校本とくとくの句合)

 

*『富士石』俳諧撰集。岸本調和縞。

延宝七年四月、調和がかつて編集したまま未刊に終った『石亀集」の中から、時流に遅れた句を捨て、新たに他から選んだ句を加えて上梓した四季発句集。調和としては最初の撰集であるが、本書に句を寄せた作者は巻末に付載する句引が示すように三百六人の多数に及び、しかもそのうち有名に近い者が、調和あるいはその壷瓢軒の軒号の一字を名乗っている。当時、江戸俳壇で最も勢力のあったこの派の偉容を知ることができる。入集の知名作家に任ロ・霜沾・未得・未琢・言水・不ト・幽山・蝶々子・来雪(素堂)・露言等

『俳諧大辞典』〔荻野〕明治書院

☆五月上旬、『江戸蛇之酢』発句一入集。言水編。

西行は富士を詠けんが組蓬莱   言水

から井戸の御法待らんあま蛙     々

みよし野た天玉かくす八重桜     々

定家おかし四方の執心花おかづら   々

花ぞやどり乞食浪人幕づくし     々

御身拭浄土や北の越後布       々

唐人だこ分来る方や糸貨(クワ)物    々

 

ふじニて

山は扇汗は清見が関なれや         来雪(素堂)

〈異〉富士は扇汗は清見が関なれや(『俳枕』)

阿蘭陀も花に来にけり馬の鞍   桃青

万歳やあ富士の山彦明の春         青雲(甲斐・松木氏)

髪結と青豆うりと白露と              信徳

口切や今朝はつ花のかへり咲   風虎

分て今朝四方も秋也曾我の宿   露沾

出替や宿はととはゞ櫃一つ         一鐡

忠峯が目脂やあらふ花の瀧         幽山

▼芭蕉入集句

阿蘭陀も花に来にけり馬に鞍     桃青

  雨降ければ

   草鞋尻折てかへらん山桜       桃青

   わすれ草菜飯につまん年暮れ     桃青

 

*『江戸蛇之鮓』えどじゃのすし 紫藤軒言水編

延宝七年五月成。前年の『江戸新道』につゞく言水の第二撰集で、諸家の四季発句と言水独吟の百韻・歌仙各一巻を収めている。風調がなお談林風であることはいうまでもないが、松意一沢とは別な道を歩んだ言水らの足跡を示す集として、注意される。桃青・来雪(素堂)・杉風・信徳・幽山・調和などの句も見える。

題号は、百韻の立句「蛇のすしや下に馴たる沖の石」によっている。 

 

○下里知足伝来書留 市中より東叡山の麓に家を移せし頃。

秋 市中より上野不忍の他のほとりに移り隠棲する。

☆桃青両吟発句脇二組 三吟三物一組。

 ・鮭の時宿は豆腐の両夜哉       素堂

   茶に煙草にも蘭の移り香       芭蕉

  ・塔高し梢の秋の嵐より        素堂

   そぞろ寒けき池の見わたし      夷宅

   一羽二羽鳥はあれども声もなし    芭蕉

   張抜の猫も知る也今朝の秋      芭蕉

  ・七つになる子文月の歌        素堂

 

▽素堂と名乗るのは翌年から、芭蕉は三四年後に、桃青から芭蕉へ。

☆九月、『玉手箱』発句一入集。蝶々子編。

  ・塔高し梢の秋の嵐より

 『とくとくの句合』に

左 忍の岡のふもとへ家をうつしける頃

塔高し梢の秋のあらしより

左、梢の茂りたるうちは塔も見え隠れなるべきを、秋のすゑよりまばらに成て、嵐のうちより塔の生出たるありさまさながら、畫出せるがごとし。

・目には青葉山郭公はつ鰹            来雪

 

*『玉手箱』 俳諧撰集。花楽軒蝶々子編。

延宝七年九月刊。京、笹屋三良左衛門板。江戸の蝶々子が古今及び南国の四季発句を、各季ごとに一冊として上梓した集で、春の部一冊はなお伝本の所在を詳らかにしない。巻末に句引がある。延宝四年に出た同じ編者の『俳誹当世男』の序に、「前なる玉手箱の鏡を押たて誹諧当世男を作りなし」とあるから、本書は一応延宝四年以前に成立し、のちに増補したものと考えられる。

          『俳諧大辞典』 明治書院〔荻野〕

 

▽素堂、『芭蕉門人真蹟集』(掲載写真より)

枯木冷灰物不月  遊魂化螺舞者風

夢中説夢伝千□  真夢出醒詐試終

素堂主人 来雪

▽素堂、九月、『二葉集』付合四章入集。西治編。   未見。

 

『二葉集』 俳諧付合集。来山跋。西鶴『物種集』続編。俳諧の付合一千組、宗因、西鶴を多数収録する。

 

『物種集』ものだねしゅう 俳諧付句集。井原西鶴編。自序。

題答には『俳諧物種集新付合』とある。

延宝六年(1678)九月、大坂、生野屋板。但し松寿軒西鶴と署名した序には「延宝六年午霜月朔日」とある。自序によれば、当今の俳諧は人まねの古風か新しすぎて、よい当流の付合はまれなので、五年あまり小耳にはさんだ一座の付句を五百組あつめたとある。「是をみるに、また言の葉はつきせぬ物種也」というのが書名の所以で

ある。宗因の付合四十七組、西鶴のものが三十八組、その他、玖也・遠州・益翁・保友・如見・素玄・元順・一礼・悦春・幾音・木因・西国・由平・任口・江雲・可久・兼学・賀子らの名が見える。天理図喜館蔵の表紙見返しに「大坂申中俳諧月次日」が掲げられている。  

               『俳諧大辞典』明治書院

▽▼芭蕉発句 素堂脇句

はりぬきの猫もしる也今朝の秋         芭蕉

 七つ成子文月の歌                        素堂

 

【註】この発句を録した尾張鳴海の下郷家(知足家)伝来の書留には、三組の付合が一紙同筆で書かれている。(筆者不明)

「はりぬきの」句には、「七つに成子文月の哥」という素堂の脇が付けられ、外に素堂・芭蕉の発句・脇、素堂・夷宅・芭蕉の三物が見える。第一の付合の素堂の発句の前書に「市中より東叡山の麓に家を移せし比」とあるが、素堂の上野移居は彼が延宝七年晩秋春に長崎から帰って間もなくの頃といわれる。当面の付合には何れも素堂が顔を出しており、三組発句は秋季なので延宝七年秋の作と推定してよかろう。(『芭蕉発句全講』阿部雅美氏著)

 

**** 芭蕉の動向 ****

望月千春編『かり舞台』に「松尾宗房入道」と見え、すでに剃髪していた。西村未達編『俳諧関相撲』に、三都の点者十八の中の一人としてあげられている。

 

▼春 岸本調和編「富士石」刊行。これに、芭蕉が万句興行を催して立机披露したことを祝す、俳友相楽等躬(須賀川)の発句が入集している。

「富士石」より。

  桃青万句に 三吉野や世上の花を目八分 等躬

○等躬は、芭蕉の師北村季吟と同じ貞門の石田末得を師とする須賀川の俳人。

 

*** 芭蕉年譜 櫻井武次郎氏著 *** 芭蕉宗匠に

延宝七年(一六七九)己未 江戸在住

〇三月、千春撰『かり舞台』(伝本不明)に「松尾宗房入道」とみえ、すでに剃髪していた。

〇未達『俳諧関相撲』(天和二刊)に、三年前批点を得たという芭蕉、三部一八人の宗匠の中に入る。

○大坂の公木、一月二一日、東下に発つ。

○信徳、春、江戸から帰京。

〇三千風、三月五、六日に仙台梅睡魔で三千句独吟矢数俳誇を興行(『仙台大夫数』)。

○鳴海の知足、有馬入湯の帰途七月一〇日に大坂の西鶴を訪ね、一三日に京に出る。

○高政の『俳諧中庸姿』(九月刊)をめぐり 上方俳壇に新旧入り乱れての論戦が起こり、翌年に続く。

○素堂、この年不忍池畔に退隠か。

○仙台の一水が大坂へ出、元禄年間まで住む。

○令徳、この年没か(九十一才)。

----周辺の動き----

▽高政『誹諧中庸姿』 ▽随流『誹諧破邪顕正』

▽維舟『誹諧熊坂』 ○宗臣『詞林金玉集』

▽維舟『名取河』 ▽辰寿『道頓堀花みち』

▽旨恕『わたし船』 ▽益友『一日独吟千句』

▽一礼他『ぬれ烏』 ▽西鶴『梅松千句』 ○西治『二葉集』 ▽三千風『仙台大夫数』 ▽西国『見花数寄』 

○才丸『坂東太郎』  ○言水『江戸蛇之酢』 

○調和『富士石』 ▽心友『伊勢宮笥』 ○蝶々子『玉手箱』

▽書親『喚続集』 ▽任ロ『百番発句合』 ▽未詳『付合小鏡』

 

----芭蕉発句----

ささげたり二月中旬初茄子

  張抜きの猫も知る也今朝の秋   (知足書留)

  霜を踏んでちんば引くまで送りけり(茶の草子)

  霜を着て衣片敷く捨子哉     (坂東太郎)

  盃や山路の菊とこれを干す    (坂東太郎)

  今朝の雪根深を園の枝折哉    (坂東太郎)

  櫓声波を打って腸氷る夜や涙   (発句集)

 

延宝 七年(一六七九)『俳文学大辞典』角川書店

 

三月、三千風、仙台で大矢数(『仙台大矢数』)興行。奥羽俳壇席捲の端緒。

四月、『富士石』刊(序)、江戸における調和門の隆盛を示す。

九月、高政『誹話中庸姿』刊か。この書をめぐつて以後新旧入り

乱れて大論争起こる。

書『伊勢宮司』『江戸蛇之鮓』『延宝千句』『芋くそ頭巾』

『大坂一日独吟千句』『仮舞台』『河内鑑名所記』『句箱』

『見花数寄』『西鶴五百韻』『詞林金玉集』『杉のむら立』

『玉手箱』『太郎五百韻』『談林風百韻二巻』『塵取』

『道頓堀花みち』『飛梅千句』『ぬれ烏』『俳諧熊坂』

『誹諧破邪顕正』『梅酒十歌仙』『箱柳七百韻』『坂東太郎』『百番誹諧発句合』『尾陽鳴海俳諧喚続集』『風鳶禅師語路句』『二葉集』『陸奥塩竃一見記』『雪之下草歌仙』『夢助』

『両吟一日千句』『わたし船』

 

** 池西言水(ごんすい)の発句 **

法花寺につむや南無妙ほうれん草  (続大和順礼)

浅茅生の碪(きぬた)に躍る狐哉  (京日記)

百舌鳴て朝露かはく木槿(むくげ)かな(京日記)

比叡高く吹かへさる暴風(のわき)哉(前後園)

凩の果はありけり海の音      (都 曲)

はづかしと送り火捨ぬ女がほ    (大 湊)

来ぬ人よ炉中に煙る椎のから    (一字題)

鯉はねて水静也郭公        (初心もと柏)       

鳩眠る冬木ながらや桔槹(はねつるべ)(初心もと柏)

児消ぬ奥ほさゞん花山崩壁     (初心もと柏)

 

** 小西来山の発句 **

春風や堤ごしなる牛の声      (生駒笠)

幾秋かなぐさめかねつ母ひとり   (生駒堂)

秋風や男所帯に鳴衛        (犬居士)

白魚やさながら動く水の魂     (きさらぎ)

身を抱ば又いきどしき夜寒哉    (かれこれ集)

春の夢気の違はぬが恨めしい    (古選)

行水も日まぜになりぬ虫の声    (古選)

お奉行の名さへ覚へずとしくれぬ  (真蹟)

 

*** 小西来山 ***『近世略人伝』

来山は小西氏、十万堂といふ。俳諧師にて、浪華は南、今宮村に幽栖す。為リ人曠達不拘、ひとへに酒を好む。ある夜、酔いてあやしきさま にて道を行けるを、邏卒みとがめて捉へ獄にこめけれども、自ヲ名所をいはず。二三日を経て帰らざれば、門人等こゝかしこたづねもとめて、官も訴えしにより、故なく出されたり。さて人々、いかに苦しかりけん、とどぶらへば、いな自炊の煩らひなくてのどかなりし、といへり。又あるとしの大つごもりに、門人よ りあすの雑煮の具を調じて贈りたれば、此比は酒をのみ呑みて食に乏し。是よきものなりとて、やがて煮て喰て、「我春は宵にしまふてのけにけり」と口号たり。妻もなかりし旨は、女人形の記といふ文章にてしらる。其中、湯を呑ぬは心うけれど、さかしげにもの喰ぬはよしといひ、また舅はいづこの土工ぞや、あらうつゝなのいもせ物語や、と筆をとゞめて、「折ことも高ねのはなやみた斗」といへるもをかし。すべて文章は上手にて、数篇書きあつめたるを、昔ある人より得たるが、ほどなく貸うしなひて惜くおぼゆ。発句どもは人口に膾炙するが多き中、箏の絵賛を、禿筆してかけるを見しと人のかたれるに、その物を育んとて其物を損ふ、と詞書して、「竹の子を竹にせんとて竹の垣」といへるなど、行状にくらべておもへば、老荘者にして、俳諧に息する人にはあらざりけらし。さればこそ、其辞世も、来山はうまれた咎で死ぬる也それでうらみも何もかもなし。といへりとなん。

 

**延宝七年(一六七九)(この項『俳文学大辞典』角川書店)

 

**素堂(三十八才)肥前唐津で迎春。暮春のころ江戸帰着(とくくの句合・誹枕他)。この年致任し上野不忍池畔に退隠。

**嵐雪(二十六才)十一月二十七日土方河内守雄次致仕し(徳川実紀)再び浪人か。

**其角(十九才)『坂東太郎』(才暦撰、師走下旬序)「其角」として発句三入集。

**高政、西鶴の大矢数を暗に難ず。

**西鶴『物種集』、幽山『江戸八百韻』。

**不卜『江戸広小路』、『俳諧或問』刊》

**高政『中庸姿』を、随流『破邪顕正』が難じ、翌年にかけて貞門・談林入り乱れての大論戦、泥試合となる。

**惟中『近来風体抄』、*三千風『仙台大矢数』、

**才丸『坂東太郎』刊)

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◇延宝 六年(1678)☆素堂37才 芭蕉、35才   

2023年09月03日 07時47分47秒 | 俳諧 山口素堂 松尾芭蕉

◇延宝 六年(1678)☆素堂37才 芭蕉、35才   

 

*** 素堂の動向 ***素堂、〔号 来雪〕

☆三月下旬 江戸八百韻 高野幽山編

○幽山江戸で立机する。信章(素堂)が後援する。

  何踊 ・白い椎子音いかしらの山見ゑて

  何笛 ・山寺や三千三百三十三

  何子 ・後の花大師の粥も過しより

木何 ・茶の花や利休が目には吉野山

     ・雁鳴て其後座敷になほる月

  赤何 ・飛鳥川たとへば爰にかし座

 

☆八月 江戸新道 紫藤軒 池西言水

夏部 ・目には青葉山郭公はつ鰹      来雪

     ・峠涼し興の小島の見ゆ泊り      々

秋部 ・鬼火や入日をひたす水の物      々

冬部 ・世中の分別者やふぐもどき      々

 

▼素堂消息「目には青葉山郭公はつ鰹」

《註》目には青葉の旬、評-…『俳諸古今抄』支考著。

「目には--」は武江の素隠士が鎌倉の吟行なり。されば此旬の称する所は、目にと語勢をいひ残して、目に口と心をふくめたる、さるは影略互見の法にして、これを三段の地としるべし。

《註》目には青葉の句、評…:『俳論』土田竹童著。

「切字の弁」はいかいの項。

「目には青葉」「耳には山ほとゝぎす」「口にはつ鰹」といづれも珍しきをならべて、これよこれよとこたへたるにその語分明なるものなり。

《註》幸田露伴評

素堂は山口氏、葛飾風の祖なり。芭蕉これを兄事せるが如し。故を以てこは芭蕉が師事した季吟の次に置けるなるべし。句は眼、耳、舌の三根に対して同季の三物を挙げて列し、以て初夏の心よきところ奮言へり。

一句中に同季のもの挙げて其主題の明らかならぬは忌むところなれど、それらの些事を超越して豪放に言放てるが中に微妙の作用ありて人おのづからにほとゝぎすの句なることを感ずるは、霊妙といふべし。青葉と云ひて、ほとゝぎすと云ひたる両者の間の山の語、青葉にもかゝりて、絲は見えねど確と縫ひ綴められあり、ほとゝぎすといひて、堅魚(鰹)といひたる間の初の語、堅魚には無論にかゝりて、又郭公は何時もこれを待つこと他の鳥ならば其初音に焦るゝ如き情けあり。既に郭公はつ鰹、と云ひかけたる素性法師の歌も古今集巻三にあり。かゝる故に暗に郭公にもかゝりて、是亦両者を結びつけて隙間無く、しかして郭公青葉と堅魚の其中心に在りておのづから主位たるの實を現わし、一句を総べて揮然一體、透徹一気に詠じ去れり。是の如きを天衣無縫とは云ふなり。素堂の気象の雄なる、偶然にして是の如き句の成れるに至りしにもあるけれど、其人治水の功を立てゝ甲斐の國には生祠を建てられ、又他の一面には茶道に精しくして、宗偏の茶道の書に求められて序を爲れる

ほどの隠士なれば、雄豪一味のみにてかゝる句を得たるにもあらじと思はる。(『評釈□野上』所収昭和十一年刊)

 

☆江戸広小路 岡村不卜編

     ・峠涼し沖の小島のみゆ泊り

★同年夏以降九州に向う。翌年の暮春ころに江戸へ戻る。

宮島にて ・廻廊や紅葉の燭鹿の番    

〈(誹枕)(廻廊に汐みちくれば鹿ぞ囁)〉

長崎にて ・珠は鬼火砂糖はつちのごとく

・入船やいなさそよぎて秋の風 (誹枕)

 唐津   ・二万の里唐津と申せ君が春

周防長門 ・胴をかくし年の尾戦ぐ柳哉  (誹枕)

 

*『江戸広小路』俳諧撰集。不卜繍。

延宝六年自序。本書は伝本が稀で、零本上巻は天理図書館・岡田利兵衛蔵、下巻は東大図書館鯛竹庫蔵。上巻には四季発句を類題別に収め、有名な「庭訓の往来誰が文庫より今朝の春」の句を始め、芭蕉初期の十七句を数えることは特筆すべく、なお風虎・露沾・信章(素堂)・幽・似春・言水・杉風・ト尺ら高名俳士が入集し、下巻には、桃青・似春・不卜・調和・幽山・言水・嵐雪・杉風・ト尺らの発句を四季・神祇・釋教・恋・雑に分けて収録し、中にも桃青の付句は二十句に及ぶ。芭蕉研究上の重要な一資料である。

          『俳諧大辞典』 明治書院〔岡田〕

 

▽素堂、来雪号について

『睦百韻』宝暦二年(1755)山口黒露編。      

小叙

 人見竹堂(洞)子、素堂を謂ひていわく、素堂は誰ぞ、山口信章なりと、かゝる古めかしき名ハ、当世知る人もあらず。来雪は前号也。ことし雅君忠久(佐々木来雪)名を改め給ふる。其の旧号心つ□□その高稲の価値をしたひ行く一歩にや。むさし野の草の心がりによると、くりなき□□山なりけり。

(中略)来雪と聞へしは長学集によれる名とぞ。

 

*** 芭蕉の動向 ***

一月、歳旦帳を上梓。旧冬来の信徳・信章との三吟三百韻を『江戸

三吟』と題し京の寺田重徳から板行。

一〇月、調和系俳人の『十八番発句合』の判者をつとめる。

『江戸通り町』『江戸新道』『江戸広小路』 『江戸十歌仙』等の俳書に入集。

*** 芭蕉年譜 櫻井武次郎氏著 ***

延宝六年(一六七八) 戊午 三五歳 江戸

○この春、もしくは前年、宗匠立机。

梅人『桃青伝』にこの年の桃青歳旦帳が伝存していた旨、記載が

ある。七年刊の『富士石』に「桃青万句に」と前書する等窮の春

季の発句が収められ(桃青万句興行に関しては、在色『誹諧解脱

抄』にもみえる)、この春もしくは前年春、立机披露の万句興行

を催す。白石悌三「編年休評伝松尾芭蕉」は、幽山との不和から

自負と生計に迫られ立机を強く望むことになったとする。卜尺や

松意派の在色、調和派の尽力や協力があったと思われる。

○旧冬来の信徳・信章との三吟三百韻を『江戸三吟』(弥生中旬

奥)と題し、京寺田重徳から刊行。

○秋、松島行脚帰途の京の春澄を迎え、似春を交えて三吟歌仙三

巻興行。春澄撰『江戸十歌仙』(霜月仲浣奥)に収まる。

〇冬、信徳・千春と「忘れ草」三吟歌仙興行か。

信徳の動静から五年冬の作とみる説(阿部正美『芭蕉伝記考』)

もあるが、越智芙豊子「伊藤信徳年譜稿」(『国語国文』昭3

8・1)は、信徳が一旦帰京ののち千春とともに再び東下したと

する。

〇一〇月、調和系俳人の『十八番発句合』の判者をつとめ、「坐

興庵桃青」と署名し、「素宜」の印を用いる。志候・木玉らの百

韻に加点したのもこの前後か(下垣内和人・檀上正孝「現存最古

の芭蕉評点巻ほか二点」『連歌俳諧研究』五〇)。

 

*** 周辺の動き *** 芭蕉年譜 櫻井武次郎氏著

▽宗旦『当流籠抜』 ▽紀子『大矢数』 ▽旨恕『難波風』

▽友雪『大坂檀林桜千句』 ▽西海『大硯』

▽西鶴『物種集新附合』 ▽西鶴『虎渓橋』

▽風虎『五百番自句合』 ▽幽山『江戸八百韻』 

▽常矩『ねざめ』 ▽雪柴『うろこがた』 

○不卜『江戸広小路』 ○春澄『江戸十歌仙』 

▽信徳『京三吟』 ▽橋水『つくしの海』

〇二葉子『江戸通り町』 ○言水『江戸新道』

○惟中、春、大坂へ移居。

○重頼、四月一五日に大坂の保友宅に赴き、宗因・旨恕・政寛を

加えて百韻興行。

○素堂、夏のころに江戸を出立して長崎に向かう。越年して翌年  

暮春のころ江戸帰着。

○宗因、夏、高政宅に招かれ「末茂れ守武流の惣本寺」と挨拶。

〇筑前の西海、秋、京坂を旅行。

○西国、秋に大坂に上る。

○惟中、『俳諧或問』(八月跋)で松意らの江戸談林派を弁護。

著者未詳の『談林俳諧批判』が『或問』を攻撃。

○西鶴と惟中、秋、両吟千句を試みたが二百韵で中断。

○春澄、秋に江戸下向。

○卜養、一二月二六日没(七十二才)。

延宝 六年(一六七八)『俳文学大辞典』角川書店

春、惟中、岡山から大阪に移居。

夏、高政、宗因を招請。「末茂れ守武流の惣本寺」の句を贈られ

て、俳諧惣本寺と名乗り、京都談林の中心として貞門と論戦。

一一月、宗旦『当流籠抜』刊、伊丹俳書の嚆矢。

このころ、芭蕉、立机。

書『一時軒独吟自註三百韻』『うろこがた』『江戸三唫』

『江戸十歌仙』『江戸新道』『江戸通町』『江戸八百韻』

『江戸両吟』『大硯』『大矢数千八百韻』『菊酒付句』

『京三吟』『虎渓の橋』『越路草』『五徳』『五百番自句合』『桜千句』『十八番発句合』『溜池河御坐』『談林俳諧批判』『珍重集』『筑紫琴(楠氏某撰)』『つくしの海』

『桃青三百韻附両吟二百韻』『胴骨三百韻』『難波風』

『ねざめ』『俳諧江戸広小路』『俳諧三ツ物揃』『四人法師』

『俳諧或問』『浜宮千句』『幕づくし』『三鉄輪』『物種集』

 

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**山口素堂** (内田魯庵『芭蕉庵桃青伝』より抜粋 一部加筆)

2023年09月03日 07時43分32秒 | 俳諧 山口素堂 松尾芭蕉

**山口素堂**

(内田魯庵『芭蕉庵桃青伝』より抜粋 一部加筆)

 

山口素堂が、束叡山下より葛飾の阿武に居を移せしも亦天和年中なり。素堂は季吟門にして芭蕉が親友なり。名は信章、字は子晋、通称官兵衛といふ。甲斐巨摩部教来石村宇山口の人なり。代々山口に住むに依って山口氏と称す。山口市右衛門の長男にして寛永十九年五月五日に生る。幼名を重五郎と云い、長じて父が家を継ぎ家名布石衛門と改める。其後甲府魚町に移り、酒折の宮に仕へ頗る富み、郷人尊称して山口殿と呼んだ。幼時より四方に志あり、屡々江戸に遊び林春斎の門に入って経学を受け、のち京都に遊歴して書を持明院家に、和歌を清水谷家に学び、連歌は北村季吟を師として宗房即ち桃青、信徳及び宗因を友とし俳諧に遊び、来雪又信章斎と号し、茶道を今日庵宗丹の門に学んで終に嗣号して今日庵三世となる。このように異材多能の士なれば、早くより家を弟に譲って市右衛門と称せしめ、自ら官兵衛に改めて仕を辞し、江戸に来て東叡山下に住み、素堂と号して儒学を諸藩に講じ以て業となし、傍ら人見竹洞、松尾桃青等諸同人と往来して詩歌聯俳を應酬唱和し、点茶香道を弾しみ、琵琶を調べ、又宝生流の謡曲を能くしければ、素仙堂の名は風流を璮にしたりき。(以上『葛飾正統系図』に依る。)

桃青はもと同門の友で、東下以来『江戸二百韻』を初めとして、文字の交際尋常ならざりしが、殊に素堂が葛飾阿武に移居せし後は、偶々六間堀の仮寓と近接したれば、小名木川を上下して互に往束し愈々親しく語らいける。素堂の号は此頃より名乗りしものにて、庭前に一淵の池を穿ちて白蓮を植え、自ら蓮池の翁と称し、晋の恵遠が蓮社(*彗遠・謝霊運等の白蓮社)に擬して同人を呼ぶに社中を以てし、「浮葉巻葉この蓮風情過ぎたらん」の句を作りて隠然一方の俳宗たり。

一説に芭蕉は儒学を素堂に学びたりと云へど、其眞否は精しく知るを得ず。されど昔時の俳人を案ずるに、季吟の古典筆者たるを除くの外は連歌に精しき者の随一流の識者として、素堂程の学識ある者は殆ど其比を見ず。芭蕉は稀世の天才にして且つ季吟が国典に於ける衣鉢を継ぎたれ共、素堂如き才芸博通の士に対しては勢い席を親らざるを得ざるべし。且つ縦令師事せざるも文辞の友を結んで益を得たるは、恐らく朱当の推測にあらざるぺし。芭蕉の遺文を案ずるに、其角丈と云ひ杉風様と呼ぶ中に、独り素堂先生と尊称するを見るも亦尋常同輩視せざりしを知るに足る。されば枯枝の吟に於ける口伝茶話の如き、蓑蟲の贈答の如き、『三日月日記』に漢和の格を定めたる如き、若くは某日庵に伝ふる芭蕉・素堂二翁、志を同うし力を協して、所謂葛飾正風を創開せしといふ説の如き、或は『績猿蓑』の「川上とこの川しもや月の友」を以て素堂を寄壊せるものとなす如き、皆素堂と芭蕉との浅からぬ関係を証するものにして、芭蕉が俳想の発展は蓋し素堂の力に待たるもの多かりしなるべし。素堂伝に芭蕉と隣壁すとあれども、素堂は阿武に住し芭蕉は六間堀に萬したれば、隣家といふも恐らくは數町を距てしなるべし。当時深川は猶葛飾と称し、人家疎らなる僻地なれば、茫々たる草原に數町を距てゝ二草食の相列びしものならん乎。

 

 ここからは間違い

因に云ふ。元緑八年、素堂五十四歳の時帰郷して父母の墓を拝せし序、前年眷顧を受けたる頭吏櫻井孫兵衛政能を訪ひたりしに政能大に喜びて云へらく、笛吹川の瀬年々高く砂石河尻に堆積して濁水常に汎濫し、沿岸の十ケ村水患を蒙むる幸甚しく殊に蓬澤及び西高橋の二村は地卑くして-面の湖沼と準じ釜を釣りて炊き床を重ねて座するの惨状を極め禾(イネ)穀腐敗して収穫十分の二三に及ばざるに到れば百姓次第に没落して板垣村善光寺の山下に移住するもの千戸に達し、残れる者も其辛楚に堪えざらんとす。数里の肥田は流沙と変じ、将に野に充ちんとする酸鼻の状は苦痛に耐えざれども独力経過の難き歎ずる折から、足下の来れるのは幸ひなり。願くは姑く風月の境を離れて我に一骨の力を貸して民人の為に此患を除くの画策をなさゞらんやと。

素堂慨然として答へて云ふ、善を見て進むは本より人の道なり。況してや父母の国の患を聞いて起たざるは不義の業にして我が不才も之を耻づ。友人桃青も曾て小石川水道工事の功を修めたれば-旦世事を棄てたる我も君の知遇を受けて爭でか奮顱せざらんやと。終に承諾しければ、政能大に喜び公聴の許を得んとて江戸に出立しける。

出づるに臨みて涕泣して沿道に送れる十村の民に向ひ、今度の素願萬一被許相成らざる時は今日限り再び汝等の顔を見ざるべし。今よりは萬端官兵衛が指導を仰ぎて必ず其命に背達する勿れと云ひて訣別しぬ。禿顱の素堂再び山口官兵衛と名乗りて腰に両刀を帯び日夜拮据(奔走)勉勵して治水の設計を畫策しぬ。斯くて其翌年孫兵衛政能公許を持って帰郷しければ素堂、孫兵衛は協議して大設計を立て、夙夜営々として事に従い、西高橋村より南方笛吹川の堤後に沿て増坪、上村、西油川、落合、小曲、西下備に到るまで、新に溝渠を通じ土壌を築く事二千間余、疏水の功全く落成せしかば、悪水忽ち通じて再び汎濫せず、民人患を免がれて-と度地に移住せしものも郷土に従帰して祖先の墓を祀る幸福を得るに到りしかば、民人崇敬して猶生ける時より祠を蓬澤村の南庄塚に建て、政能を桜井明神と称し素堂を山口霊神と敬して年々の祭範久しく絶えざりしといふ。

ここまで間違い

 

素堂は其後再び江戸に来りて俳諧に遊び、亡友芭蕉の為に定林寺の域内に桃青堂を建立して西行及び芭蕉の像を安んじ、『松の奥』及び『梅の奥』の秘書に永く某日庵の俳風を残し、享保元年八月十五日七十五の壽を以て終りぬ。芭蕉が水道遺事は広く人口に膾炙すれども然も精しく其蹟を尋ぬれば漠として捕捉しがたし。

ここから間違い

素堂が笛吹川の工事は多く知られずして却て赫々たる功は今に顕著たり。既に有志の多くは永く其功績を後世に薄さんが為、数年前素堂疏水紀功碑を建設したりと云ふ。素堂は決して尋常俳諧師にあらざるなり。(『葛飾正統系図』及び幸田露伴の『消夏漫筆』五十四に拠る。)

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江戸三吟 芭蕉 信章(素堂) 信徳

2023年09月03日 07時08分39秒 | 俳諧 山口素堂 松尾芭蕉

 

**『江戸三吟』**其の一

 

あら何ともなや昨日は過てふぐと汁      桃青 

 双六の菩薩も爰に伊達姿             信徳

寒さしさって足の先まで               信章 

 衆生の銭をすくひとらるゝ         青

居合ぬき霰の玉やみだるらん         信徳

 目の前に島田金谷の三瀬川         章

拙者名字は風の篠はら               青      

 から尻しづむ淵は有けり           徳

相応の御用もあらば池の邊               章      

 小蒲團に大蛇の恨み鱗形           青

あみ雑喉がかり折ふしは鮒               徳      

かねの食継湯となりし中             章

  醤油の後は濁れば月すみて             青      

二三獻跡は淋しく暮過て             徳

 更てしばしば小便の露                 章      

月はむかしの親仁友達                   青

 聞耳や餘所かあやしき荻の聲            徳      

蛬無筆な侘そきりぎりす             章

 難波の聲は伊勢の與茂一               青      

胸算用の薄みだるゝ                 徳

 屋敷がたあなたへさらりこなたへも      章      

勝負も半の秋の清風に                   青

 かはせ小判や袖にこぼるゝ              徳      

われになりたる波の関守             章

 もの際にことわりしらぬわが涙          青      

あらはれて石魂忽飛千鳥             徳

  干鱈四五枚是式の戀を                 章      

ふるい地蔵の茅原更ゆく             青

  寺参り思ひ初たる衆道とて             徳      

鹽うりの人かよひけり跡見えて                  章

  みじかきこゝろ錐で肩つく             青      

文正が子を戀路なるらむ             徳

 糠釘のわずかの事にいひ募り                  章      

今日より新狂言と書くどき           青

  露がつもりて鐘鑄の功徳               徳      

ものにならずにものおもへとや        章

  芳野川春も流るゝ水茶碗               章      

或時は臧の二階に追込んで           徳

  紙袋より粉雪とけゆく                 徳      

何ぞと問ば猫の目の露                   青

  風青く楊枝百本けづらむ               青      

月影や似せの琥珀に曇るらむ         章

  野郎ぞろへ紋のうつり香               章      

隠元衣うつゝか夢か                 徳

  法の聲即身非花散て                   青      

泪じみたるつぎゞれの露             青

  余波の雁も一くだりゆく               章      

衣装繪の姿うごかす花の嵐           章

  上下のこしのしら山薄霞               徳      

匂ひかくる願主しら藤                   徳

  百萬石の梅匂ふなり                   青      

鈴の音一貫二百春くれて             青

  むかし棹今の帝の御時に               章      

片荷は財布めては香久山             章

  守随ぎはめの歌の撰集                 徳      

雲介がたなびく空に来にけらし                  徳

  掛乞も小町が方へといそぎ候                  青      

幽霊となって娑婆の小盗み           青

  これなる朽木の横にねさうな                  章      

無縁寺の橋の上より落さるゝ         章

  小夜あらしとぼそ落ちては堂の月       徳      

都合その勢萬日まゐり                   徳

  古入道は失せにけり露                 青      

祖父祖母早うつたてやものどもとて      青

  海尊やちかいおころ迄山の秋                  章      

鼓をいだき草鞋しめはく             章

  さる柴人がことの葉の色               徳      

米袋口をむすんで肩にかけ           徳

  縄帯のその様いやしとかゝれたり       青      

木賃の夕べ風の三郎                 青

  これぞ雨夜のかち合羽なる             章      

韋駄天もしばし休らふ早飛脚         章

  飛来の馬からうとや時鳥               徳      

出せや出せやとせむる川舟           徳

  森の朝影狐ではないか                 青      

はしり込追手顔なる波の月           青

  二柱彌右衛門と見えて立ちかくれ       章      

すは請人か蘆の穂の聲                   章

三笠の山をひつかぶりつゝ               徳      

  物の賭振舞にする天津雁           徳

萬代の古着かはうと呼ばうなる                  青      

  木鑵子の尻山の端の雲                 青

質のながれの天の羽衣                   章      

  人形の鍬の下よりゆく嵐           章

田子の浦波打ちよせて負博奕             徳      

  畠にかはる芝居淋しき                 徳

不首尾で帰る海士の釣船                 青      

  此翁茶屋をする事七度迄           青

前は海入日を洗ふうしろ疵               章      

  住よし諸白砂ごしの海                 章

松が根枕石のわたとる                   徳      

  淡路潟かよひに花の香をとめて         徳

つゞれとや仙女が夜なべ散               青      

  神代このかたお出入の春           執筆

瓦燈の烟に佛の月                       章

  我戀を鼠のひきしあしたの秋                  徳

 

**『江戸三吟』 其の二**                        

 

のつぺいうしと鴨の鳴くらむ         信徳

 さぞな浄瑠璃小うたはこゝの春       信章   

山陰に精進落て松の聲                   桃青

  霞とゝもに道化人形               信      

三十三年杉たてる庵                 章

  青い顔笑ふ山より雲見えて         桃

開帳や俊成作の本尊かけて           徳

  土器の瀧のめば呑ほど                 章      

寂蓮法師小僧新発意                 青

  聲がたつあらしに浪の遊び舟                  徳    

伊呂波韻槇たつ山もなかりけり                  章

  鴈よ千どりよ阿房友達                 青      

雲を増補に時鳥ふる秋                   徳

  五間口寂しき月に其名をうれ                  章      

影ひとり長月頃の気根もの           青

  松を證據に禮金の秋                   徳      

野の宮の夜すがら袷一枚             章

  手かけ者相取のやうに覚えたり         青      

駕籠かきも浮世をわたる嵯峨なれや      徳

  思ひのきづなしめ殺しゝて             章      

まよひ子の母腰がぬけたか           青

  木綿売ある夕暮の事なるに             徳      

傷寒を人々いかにととがめしに                  章

  門ほとくと敲く書出し             青    

悪鬼となって姿はその儘           徳

  鎌田殿身体むきを頼まれて             章      

正三に書置かれたる物がたり         青

  二人の若の浪人小性                   徳      

こゝに道春これもこれとて           章

  竹馬にちぎれたり共この具足                  青      

前は池東叡山の大屋敷                   徳

  続けやつゞけ紙張の母衣               章      

花の盛に町中をよぶ                 青

  ところてん水のさかまく所をば         徳      

青柳の髪ゆひくくやい               章

  浪せき入て大釜の淵                   青      

舞臺に出づる胡蝶鶯                 徳

  落瀧津地獄の底へさかさまに                  章      

つれぶしに端唄うたひの蛙鳴         青

《註》一本 天窓から地獄の底へすつぽんと        

  禿が酌に雨の夕ぐれ               章

鐵杖鯉の骨を砕くか                     徳      

  戀の土手雲なへだてそ打またげ         徳

酒の月後妻うちの御振舞                 青      

  御朱印使風の玉草                 青

隣の内儀相客の露                       章      

  心中に山林竹木指きる事           章

眉をとり袖ふさがする花芒               徳      

  末世の衆道菩提所の月                 徳

野風も今は所帯の持なり                 青      

  十歳の和尚のうは気秋ふけて              青

鍋の尻入江の汐に気をつけて             章      

  彌陀はかゝ様消えやすき露         章

蓮の糸組屋の店の風凉し                 徳      

  山又山や三国の九郎介                 徳

わかいものよる暖簾の波                 青      

  関手形安宅に早く着きにけり              青

戀の淵水におぼるゝ入相あり             章      

  松風落て澁紙をとく               章

首だけのおもひつゝしみてよし                  徳      

  太物の庭の芭蕉葉五六端           徳

うき中は下焦もかれてよわくと        青   

  楚國のかたはら横町の秋          青

家家の書に根汗かゝるゝ             章    

  邯鄲の里の新道月明て           章

しなひうち大夜着の裏表迄               徳      

  よくよく思へば會所を求る         徳

鞍馬僧正床入のやま                     青      

  千句より十萬億も鼻の先           青

若衆方先つくしには彦太郎               章      

  われらが為の守武菩薩                 章

かつら姿や右近なるらむ                 徳      

  音葉の子弓三味線あいの山         徳

暮の月橘の精あらはれて                 青      

  四竹さわぐ竹の都路               青

すもゝ山もゝ悉皆成佛                   章      

  姉そひてお伽比丘尼のゆくこども       章

見性の眼のひかり錫の鉢                 徳      

  後家ぞまことの佛にてまします         徳

轆轤のめぐり因果則                     青      

  譲られし黄金の膚こまやかに              青

ゑいやとさ爰にひとつの片端もの         章      

  こぬかみがき革袋あり                 章

敷がねとして十貫目箱                   徳      

  旅枕油くさゝや嫌ふらむ           徳

代八やしのび車のしのぶらむ             青      

  鰯でかりの契りこがるゝ           青

日傭をめして夕顔の宿                   章      

  はかゆきにざくく汗の薄情         章

山雀のかきふんどしに尻からげ                  徳      

  連理の箸のかたしをもつて         徳

青茶の目白羽織着て行く                 青      

  實や花白楽天が焼筆に                 青

膏薬の木の實のうみや流るらむ                  章      

  唐土に帰る羽箒の雁               執筆

よこねおろしのに谷ふかき月             徳

  山高く湯船へだつる水遠し             青

浅間の烟軽石が飛ぶ                     章

  しらなへし花の吹雪の信濃なる         徳

甲頭巾に駒いばふ春                     青

  熊坂も中間霞引きつれて               章

 

**『江戸三吟』 其の三**                        

 

腰張や十方世界法の聲            章

  物の名の蛸や古郷のいかのぼり         徳      

凡そ命は赤土の露                   徳

  仰く空は百餘里の春                   青      

いつ迄か炮碌売の老の秋             青

  峯の雪かねのわらじの解初て                  章      

ころばぬように杖で行く月           章

  千人力の東風わたる也                 徳      

駒留て下路打叩く雪の暮             徳

  熊つかひむかへば月の薄曇り                  青      

東坡が小者竹の一むら                   青

  水右衛を笑ふ初かりの聲               章      

その里へ石摺の文かよひけり         章

  墨の髭萩の下葉の移ひぬ               徳      

緞子の染木蠹のさすまで             徳

  尾花が袖に鏡かさうか                 青      

土革しれ山は紺地の青嵐             青

  判はんじいかなる風の閑にふく         章      

谷水たゝへて蓼酢の如し             章

  夫は山ぶし海士のよび聲               徳      

異風者金柑淵に遣捨る                   徳

  一念の鯰となりて七まとひ(鯰は鰻か)   青     

吹矢を折て墨染の月                 青

  かたちは鬼の火鉢いたゞく             章      

秋のあはれ隣の茶屋もはやらねば       章

  紙ふりの伊勢の国より上りけり         徳      

松虫鈴虫轡たふるゝ                 徳

  神のいがきもこえし壁ぬり             青      

戀草をつれて走りし末がれて         青

  縄ばしご夜の契りや切つらむ                  章      

その業平に請人やなき                   章

  さすがわかれのちんば引見ゆ                  徳      

木賊色の狩衣質に置し時             徳

  骨うづきしのび笠にて顔かくし         青      

貧乏神の社見かぎる                 青

  立出るよりふまれたる露               章      

出雲にて世間咄のわる口に           章

  夕まぐれ水風呂に流す水の月                  徳      

松江の浦の相店のかゝ                   徳

  木綿ざらさの祝ふ紅葉かたしく         青      

塗桶に鱸のわたをつみかけて         青

  花に風荒木珍太をあたゝめて                  章      

ひらめ白うらむくの黒鯛             章

  胸につかへし霞はれ行く               徳      

花なるらむ龍の宮古の驕り者         徳

  天津風貸銭なして帰りけり             青      

父大臣のかねつぶす春                   青

  勘当ゆるす二月中旬                   章      

手道具や十二一重の薄霞             章

  釈迦すでに跡式譲り給ふらむ                  徳      

笈のうちより遠山の月                   徳

  八萬諸聖教古手形なり                 青      

小男鹿の妻をとられな宿かすな                  青

  公儀のおふれ武蔵野の秋               章      

杓子はこけて足がひょろつく         青

  関所ものはらふ草より草の露                  徳      

やゝ暫し下女とくの戦に             章

  火つけの蛍とられ行くらむ             青      

赤前垂の旗をなびかす                   徳

  本三位戻子をはりたるごとくにて       章      

酒桶に引導の一句しめされて         青

《註》戻子(もじ)                         

  つらくおもんみれば人は穴蔵              章

貢の箱や飴おこしなる                   徳      

  うらがへす畳破れて夢もなし              徳

かたぐるまに難波の梅の兄弟             青      

  蚤にくはれて来ぬ夜敷かく         青

貫之が筆朝書の春                       章      

  君々々爪の先程おもはぬか         章

それの年徳壺利の氷とけそめて                  徳      

  しのぶることのまくら點取         徳

饂飩きり落す橋の下水                   青      

  戀弱し内親王の御言葉                 青

つりものに中の間の障子引放し                  章      

  乳母さへあらばくろがねの霜              章

戀のやごろさねだり来にけり             徳      

  疱瘡の神鬼神なりとも閨の月              徳

質がゝりしれぬ憂名を付かけて                  青      

  ましてや面は張貫の露                 青

いつの大よせいつの御一座               章      

  翁草布の衣装をひるがえし         章

朝夷の三ぶ様四郎さま五郎様の                  徳      

  松は幾世の青砥左衛門                 徳

地獄やぶりや芝居やぶりや               青      

  北条の宿を嵐に尋ぬれば           青

小柄ぬき剣の枝のたわむ迄               章      

  彼是をつぶしてひとつになる雲         章

滅金の日影にぎる修羅王                 徳      

  火神鳴たゝらをふんで響らむ              徳

千早振木で作りたる神姿                 青      

  菅相丞も本庄の末                 青

岩戸ひらけて饅頭の見世                 章      

  江戸の花延喜このかたの時とかや      章

銭の文字一分もまださだまらず                  徳      

  鶯白鳥も驚かぬ春                 執筆

掟のかはる六道の月                     青

  秋やむかし二代目の地蔵出たまふ       章

鎧腹帯残しおく露                       徳

  花の枝奇麗高麗切とりて               青

煮しめの蕨人参甘草                     章

春霞気を引きつたる薄醤油               青

 

 

伊藤信徳の発句

 

初学徳に入のもんじを試筆哉                   (承応四年歳旦帖)

実はふらり栴の秋になりにけり                   (後撰犬筑波集)

和ラカなるやうにて弱からず水仙ほ花の若衆たらん (五百韻三歌仙)

かゝる世は蝶かしましき羽音哉                  (雀の森)

松葉掻く人かすかなる花野かな                   (花見弁慶)  

三月尽て鐘楼に僧の影薄し                    (五の戯言)

片日影棺ゆく野の時雨かな                    (五の戯言)

六月や水行底の石膏き                      (枕屏風)

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素堂と芭蕉 延宝四年(一六七六)~五年

2023年09月03日 07時01分20秒 | 俳諧 山口素堂 松尾芭蕉

*延宝四年(一六七六)(この項『俳文学大辞典』角川書店)

**素堂(三十五才)春、桃青と両吟二百韻興行。『江戸両吟集』と題し三月刊行。

 

**曾良(二十八才)このころ宗困流俳諧に心酔、間もなく江戸に下るか。

 

**嵐雪(二十三才)六月二十一日主君新庄民部直矩急死(徳川実紀・寛政重修諸家譜)により浪人したか。後、土方河内守に仕える(江戸廿四条)。

 

**許六(二十一才)十二月藩主井伊直澄に召し出される。

(侍中由緒帳)

 

**鬼貫、宗因に師事。

 

**松意『談林三百韻』、『宗因五百句』。

 

**宗因『天満千句』、『惟中吟、梅翁判十百韻』刊)6

 

**其角(十六才)このころ書を佐々木玄龍に、画を英一蝶に学ぶ。

 

 

◇延宝 五年(1677)☆素堂36才 芭蕉、34才

 

*** 『俳文学大辞典』角川書店 ***

 

**五月西鶴独吟一六〇〇句(『大句数』)興行。矢数俳諧の嚆矢。

冬、信徳、江戸へ下向。このころ、上方の新進俳諧師相次ぎ江戸

へ下向。

**京で常矩・似船らを点者とする四句付・五句付興行が興る。

書『大長刀』『かくれみの』『肩入奉公』『木津乗合船』

『喜得独吟集』『複葉絵合千百韻』『釈教誹諧自悦百韻』

『蛇之助五百韻』『儒誹諧百韻』『白川千句』『浅間宮奉納集』

『宗因七百韵』『玉江草』『唐人踊』『難波千句』『両吟集』

『二百韵蛇之助馬踏』『俳諧三部抄』『俳諧之口伝』

『誹諧鼻紙袋』『官雀』『敝帚』『六百番誹諧発句合』

 

▽素堂の動向

六百番発句合 内藤風虎主催

 判者 西岸寺任口・松江堆舟・北村季吟

 連衆 風虎・露沾・似春・言水・桃青・信章外

鉾ありけり大日本の筆はじめ       信章

  富士山やかのこ白むく土用干       信章

  初鰹またじとおもへ蓼の露        信章

  〈夜鰹やまたじとおもへ蓼の露(とくとくの句合)〉

《註》『俳諧大辞典』

この句合は岩城平城主内藤風虎が右大将家歌合になぞらえ、諸国の俳人六十名の発句を四季ごとに百五十番づつ選んで、任口・季吟・維舟らの判紙を加えた集、信章・桃青・言水ら次代の俳諧の中心を形成する若い俳人を支える風虎とその家臣の俳人が多数参加している。

《註》主催した内藤風虎(義概.後義泰)はその息子露沾とともに、素堂の一生を語るには欠かせない人物である。風虎は奥州岩城平七万石の城主でその文忠興は大阪城代として勤務していた時代もある。又俳諧だけでなく和歌も嗜み多数の家集を編纂している。この句合以後も素堂は水間沾徳を風虎家に勤仕させ、宗因を迎えるにあたっても中心的な活動をした形跡もある。 

息子露沾は、素堂とは永年交友が深く素堂の逝去した翌年、黒露により編まれた追善句集『通天橋』(享保二年・一七一七)には序文を著している。素堂と内藤家との深い関係が偲ばれる。

 

*六百番俳諧発句合内藤風虎主催。十一月~十二月五日。

判者…釈任口・北村季吟・松江維舟。主要俳人の内容

山口信章  勝 四句 負 六句  持十句

内藤風虎   十八句   〇    二句

内藤露沾   十六句   〇    四句

北村正立   十一句   三句   六句

高野幽山    九句   五句   六句

小西似春    九句   五句   六句

望月千春    七句   二句   十一句

池酉言水    五句   九句   六句

松尾桃青    九句   五句   六句

**素堂入集句**六百番俳諧発句合   山口信章

鉾あリけり日本の筆はしめ      

四十七番  霞   見るやこゝろ三十三天八重霞         

七十五番  帰鷹  ちるをみぬ腐やかヘヘつて花おもひ      

百  三番 上巳  海苔若布汐干のけふそ草のはら        百三十一番 花   タかな月を咲分はなの雲           

百五十九番 時鳥  返せもとせ見残す夢を郭公          

百八十七番 鰹   初鰹またしとおもへは蓼の露         

二百十五番 螢   戦けりほたる瀬田より参合          

二百四三番 納涼  峠涼し沖の小島のみゆ泊り          

二百七一番 土用干 富士山やかのこ白むく土用干         

三百二九番 鬼火  鬼火や入日をひたす水のもの         

三百五七番 鹿   むさしのやふしのね鹿のねさて虫の音     

三百八五番 紅葉  根来もの麹みをうつせむら紅葉        

四百十三番 月   宗鑑老下の客いかに月の宿          

四百四一番 砧   正に長し手繊紬につちの音同

四百六七番 冬篭  乾坤の外家もかな冬こもリ          

四百九五番 茶花  茶の花や利休が目にはよしの山同

五百二三番 凩   凩も筆捨にけリ松のいろ           

五百五一番 雪   何うたかふ弁慶あれは雪女          

五百七九番 ふぐ  世の申や分別ものやふぐもどき 

**芭蕉入集句**六百番俳諧発句合

門松やおもへば一夜三十年

霜を着て風を敷き寝の捨子哉

冨士の雪盧生が夢を築かせたり

成りにけり成りにけりまで年の暮

大比叡やしの字を引いて一霞

猫の妻へつひの崩れより通ひけり

龍宮もけふの潮路や土用干

先知るや宜竹(ぎちく)が竹に花の雪

待たぬのに莱売りに来たか時鳥

明日は粽(ちまき)難波の枯葉夢なれや

門松やおもへば一夜三十年

五月雨や龍燈あぐる番太郎

近江蚊屋汗やさざ波夜の床

梢よりあだに落ちけり蝉の殻

秋来にけり耳を訪ねて枕の風

唐黍や軒端の萩の取りちがえ

枝もろし緋唐紙やぶる秋の風

行雲や犬の欠尿(しと)むらしぐれ

今宵の月磨出させ人見出雲守

白炭やかの浦島が老の箱

 

【内藤風虎】

生年…元和五年(一六一九)

没年…貞享二年(一六八五)年六十七才。

風虎は寛永十三年(一六三六)に十八才で従五位下、左京亮に叙任。寛文十年(一六七〇)素堂二十九才のおり風虎(内藤頼長・義概)は父忠興の隠居により、五十二才で陸奥国岩城平七万石の城主になる。俳諧作品の初出は『御点取俳諧俳諧百類集』。北村季吟・西山宗因・推舟らと深い交流が見られる。又和歌や京文化へのあこがれも強かった。

 素堂は通説では致任して市中から不忍池の端に住居を移し、寛文年間初期から、風虎の江戸桜田邸の【風虎文学サロン】 の常連であった。風虎の父忠興は大阪城代を勤めた時期もあるが、文人としての事績は不明である。素堂が風虎の文人交友者を通じて俳諧の道に入ったと思われるが、寛文十年頃素堂は未だ何処かに仕えていたのである。素堂については生まれてから寛文七年の初出『伊勢踊』までの歩みは不詳部分が多くあり定かではない。

風虎の文人としての活動は息子露沾に引き継がれる。風虎の別邸は鎌倉にあり、素堂の「目には青葉山ほとゝぎす初鰹」 の句は鎌倉で詠んだもので、年代から押しても風虎の別邸で詠んだ可能性が高い。又水間沾徳を内藤家に紹介したと伝わる。現在でも光明寺の傍に内藤家の墓所があり、その墓石群は当時を偲ばせる。  

延宝五年の風虎主催の『六百番俳諧発句合』に素堂も参加して、中の「茶の花や利休の目には吉野山」は各俳書に紹介されている。

【内藤露沾(ないとう・ろせん)】

生年、明暦元年(一六五六)歿年、享保十八年(一七三三)七十八才。

本名内藤義英。陸奥国岩城平の城主内藤義概の次男として江戸赤坂溜池の邸で生まれる。(素堂十三才の時)家中の内紛により延宝六年(一六七八)蟄居を命ぜられ天和二年(一六八二)二十七才の折り退進、麻布六本木に住む。 

素堂歿後、享保二年(一七一七)の夏、素堂追善興行『通天橋』では序文を著し、素堂との交友の深さを知る。露沾の門人、沾徳・沾圃・沾涼なども門人で素堂と親しい俳人である。また芭蕉とも交友深く、素堂・芭蕉・露沾の「三物」もある。

❖❖延宝五年の続き❖❖

◇延宝 五年(1677)☆素堂36才 芭蕉、34才

同年冬 京都の伊藤信徳の東下を迎えて、三吟百韻興行。

 ○伊勢加友が東下する。

** 芭蕉の動向 **

この年より四年間、江戸小石川の水道工事関係の仕事に携わる。

内藤風虎主催の『六百番俳諧発句合』に二〇句入集。

冬、東下中の伊藤信徳を迎え、山口信章との三吟百韻を興行。

** 芭蕉発句抄 **

色付くや豆腐に落ちて薄紅葉    「杉風と両吟」

あら何ともなや昨日は過ぎて河豚汁 「江戸三吟」

  一時雨礫や降て小石川       「江戸広小路」

 

**延宝五年(一六七七)

 

**芭蕉(三十四才)この年から四年間江戸小石川の水道工事に携わる。

 

**素堂(三十六才)冬から翌年春にかけて桃青、信徳と三吟百韻三巻興行(江戸三吟)。

**去来(二十七才)十一月一日父没。

**許六(二十二才)主君直澄について江戸へ赴く(由緒帳)。

**越人(二十二才)のころ名古屋に出(鵠尾冠)、野水らの世話で紺屋を営んだか。

**其角(十七才)『桃青門弟独吟廿歌仙』(八年刊)所収の作品はこの年成立(自筆略年譜)。「螺舎」号。

**西鶴、五月、大矢数の嚆矢たる独吟千六百句興行。

『西鶴俳諧大句数』

**常矩『蛇之助五百韻』

**梅盛『類船集』刊》

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