◇天和 二年(1682)☆素堂41才 芭蕉、39才
素堂、芭蕉消息
▽▼春、望月(大原)千春再び江戸に来て十二吟百韻興行。
『武蔵曲』 大原千春編 天和弐弥生上旬京都刊、江戸は三年刊。
**『武蔵曲』むさしぶり
武蔵曲序、
今はむかし、逍遥遊のおきなといふものあり。如河のながれに和哥水をくみながらい老のさゞなみ高波こえて、滑稽のしまにせうえうして、つゐに其しまもりとなりぬ。予ちなみにそのしまぶりをとふに、おきなこたへていはく、此しまは世界のまんなかなれば、其ふりもあまりに上手過るをきらへり。上手過れば初心に帰る。あまりに山のおくに入て、叉さとちかきがごとしと。予此名言をきゝ得て、門人にも子孫にもまことに、其まんなかをとれとのみ下知をなせり。此武蔵ぶりをみるに、其下知を得しものもまじはれり。そのほかものをのづと彼まつたゞなかをとり得て、句ごとの意味あま過ず、にが過ず、諸人に用ひて万病圓なるべし。あだかも蓬莱の不老丸・佛土の阿伽陀藥にもをとらじかし。撰者はたれとかする。蘇鐡林の千春先生、江戸の同志の吟友をあひもよほして、此三巻をあつむめりし。予に序をこへり。予も彼上手過るをきらへる万病圓を、京中日本国にあたへまほしき心ありて、あながちにも辞せず。天和の二年、俳諧の花の時、錦帳帳のもとに落下季吟かきぬ。
春
梅柳さぞ若衆哉女かな 芭蕉庵桃青
梅咲り松は時雨に茶を立ル比 杉風
桜同じ扇の尻に閑ル日 三峰
酒のわび芝蘭分入かりき哉 似春
芝の蜑の白魚咲ぬ礒(磯)ざくら 四友
白魚露命
月と泣夜。生雪(イツマデ)魚の朧闇 其角
涅槃像お霊屋の石も泣にけり 杉風
池上偶成
池はしらず亀甲や汐ヲ干ス心 素堂
けふ干餌 (エバ)切り舟の刻(キザ)をとふ 千春
目黒眺望
遠浦(トヲラ)小船鰹に見たし花凉見 其流
けふ花のかゝしと出ぬちぎれ雲 麋塒
名盛や作(ダテ)恋五郎花さだめ 其角
櫻狩遠山辛夷(エブシ)うかれ来ぬ 嵐蘭
山はえむ富士。水は玉川の嵐漁を汲んで
流石におかし櫻折ル下女の武蔵ぶり 千春
柴にかへけん蠶婦(サンブ)が籮(フゴ)の亡ン兒 曉雲
夏
草の雄や螻獨いそぐ郭公 藤匂子
夜ル国の夢ぬ寐や郭公 麋塒(高山伝右衛門)
時鳥旦夕(タソカレ)。里さび燧(ヒウチ)うつ比 嵐雪
郭公まねくか穿のむら尾花 桃青(芭蕉)
草の戸や犬に初音を隠者鳥 其角
鰹迄はめじかもあるを郭公 而巳
鳥恨り櫻の敵杉の妻 千春
タしそに宮城野立ぬ風の露 為造
長明と事相似たり蝸牛 四山
覆盆子(イチゴ)取ル女疎袖引にひかれきや 塔山
夕貌の白ク夜ルの後架に帋燭(シソク)とりて 芭蕉
ひるがほの清浄食の白くなん嘆ける 曉雲
砲碌を蝿とり塚の哀レ哉 峡水
舟あり川の隅ニ夕涼む少年哥うたふ 素堂
秋
うかれ行月網笠の窓ヲ家として 角止
侘テすめ月侘齊がなら茶哥 芭蕉
盞ヲ漕ゲ芋を餌にして月ヲ釣ン 曉雲
浪の時雨にふたりこぐひとりはぬれぬ二挺立哉
闇の夜は吉原ばかり月夜哉 其角
信濃催馬楽
君こずば寐粉にせんしなのゝ真そば初真そば 嵐雪
秋夜話隠林
雨冷に羽織を夜ルの簑ならん 其角
茅舎ノ感
芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉 芭蕉
ひとりねの記泪(アメ)此夕べ寄ス二芭蕉一ニ 瓠落
梧桐の秋埋レ井の蓼つれなしや 藤匂子
傘を人に帆かくる野分哉 昨雲
詠二ズ含レ恨ヲ呑ルノ聲ヲ意一ヲ
砧ヲ呑涙や卑夫の私語(さゝめごと) 千春
螻の吟折節の秋の雨夕べ也 揚水
鰹の時宿は雨夜のとうふ哉 素堂
酒の聲ナキ月は寄テレ爐ニ鳴ルレ栗 才丸
売ルとうる山ノ路か夜ルの折籮(カマス) 麋塒
冬
九折ル幾店下の百しぐれ 四友
蘇鉄鳴て老母艸(ヲモト)は霜の笑草 卜尺
茶の歯居炭の黒人を佗名也 其角
悔しらぬ山賤や梅鼠やく夕べ 嵐蘭
人消て胡馬雪を鳴山路哉 麋塒
雪の卦や二陰生ズル下駄の跡 皷角
雪辱(ハズカ)し夜ルかつらぎの鰒姿 曉雲
雲路ふかく水仙刈つ衣の鰒 言水
紀行に富士ち嬉しむ
姫の嶽ふせごに雪の衣白し 千春
芭蕉の閑をとふ
扉凝(イテ)付て氷の心かくれ庵 咋雲
深川今夜ノ感
櫓の聲波ヲうつて膓氷ル夜やなみだ 芭蕉
花拙丈人の身しりぞかれしは、いづれの江のほとりぞや。
俤は教し宿に先立て、こたえぬ松と聞えしは、誰をとひし心ぞや。
閑人閑をとはまくすれど、きのふはけふをたのみ、けふもまたくれぬ。
行ずして見五湖煎蠣の音を聞 素堂
樽うた
鉢たたゝき 鉢たたゝき
初音きかれて 初がつを
花はしら魚 紅葉のはぜ
雪にや鰒 ねざむらん
おもしろや此 樽たゝき
ねざめぐて つねならん
世を驚けば 年のくれ
気のふるう成 ばかり也
七十古来 まれなりと
やっこ道心 捨ごろも
酒にかへてん 樽たゝき
あらなまぐさの樽叩やな
凍死ぬ身の暁や樽たゝき 其角
大根牛房世ヲすゝぐ也年の淀 千春
米つかず餅つかぬ宿は、みづから清貧にほこる。
臼寝て閑なる年の夕べ哉 似春
☆『桃青八吟歌仙』 「歌仙 月と泣夜」
白魚露命
月と泣夜生雪魚の朧闇 (雪魚=いつまで) 其角
蓑にたまらぬ蝦醤の淡雪(蝦醤=あみ) 桃青
孤村苔の若木の岩長て 麋塒
徳利の魂の雨を諷ふか 暁雲
山童風に茶臼ヲ敲キ待 集和
猫ふく賤の声の旦方 旦方=たそがれ 峡水
秋通ふいつしか荻の竈原 竈原=かまどはら 自準
かきあげの城骨露に白し 素堂
かげらふの法師眼に有明て 桃青
蛍火のもとにとうふ断ラン 断=キル 曉雲
水暗き芦葉に銭をつなぎてよ 峡水
蜑の捨子の雨を啼声 自準
朝わたる荒洲の鵺の毒を吐 鵺=ヌエ 其角
猿猴腸のくさる悲しび 猿猴=エンコウ 桃青
南に風芳しき鬼醤 醤=ビシホ 麋塒
蘇鉄に刻む髭の毛薑 薑=ハジカミ 峡水
寒ヲ治ス貧斉坊が陽花論 曉雲
娃将軍艦考ㇾ之 麋塒
春嵐時の不正の危しきに 自準
米屋が塚の雨枯にけり 桃青
折掛の行燈もえてちょろちょろと 曉雲
夕顔くらふ鼠おもかげ 麋塒
比し得て賎が餅花せよ 峡水
年玉は揃尽ス秋風 其角
只月のみ而巳にして月詠ても 詠=ナガメ 素堂
夜ルの鰹をかつを問るゝ 峡水
歌の客かげまのもとにざれいねて 桃青
泪畳をうつ私閑に 私閑=ササメシズカ 麋塒
頭地ヲ穿ツ疼焉トおもひ 其角
髭塵を掃侍んとすらん 素堂
(『芭蕉の谷村流寓と高山麋塒』小林佐多夫氏著所収)
▽▼春、「錦どる」『武蔵曲』所収
高山麋塒(ビジ)主催の月見の宴。素堂付句十入集。
「錦どる」(一百韻一巻)
錦どる都に売らん百つゝじ 麋塒
壹花ざくら二番山吹 千春
風の愛三線の記を和らげて 三線=しゃみせん 卜尺
雨双六に雷を忘るゝ 暁雲
宵うつり盃の陣を退りける 其角
せんじ所の茶を月に汲む 芭蕉
霧軽く寒や温やの語を尽ス 素堂
梧桐の夕繻盞を抱イて 似春
狐村遙に悲風夫を恨ムかと 昨雲
媒酒ー簱に咲みを進ムル 言水
別るゝ馬手は山崎小銭寺 執筆
猶ほれ塚を廻向して過グ 麋塒
袖桶に忘れぬ草の哀折ル 千春
小海老爪白(ツマジロ)母を慰む 卜尺
悴(カジケ)たる鷺の鬘(カツラ)ヲ黒やかに 曉雲
捨杭の精かいとり立り 素堂
行脚坊卒塔婆を夢の草枕 芭蕉
八聲の月に笠を揮(ハタゝク) 其角
味噌樽にもる露深き夜の戸は 言水
泣ておのゝく萩の少女 昨雲
妻戀る花馴駒の見入タル 似春
柱杖(シュジュウ)に地を切ル心春 千春
陽炎の形をさして神なしと 麋塒
帋鳶(シエン)に乗て仙界に飛 曉雲
秦の代は隣の町と戦ひし 其角
ねり物高く五歩に一樓 芭蕉
露淡く瑠璃の真瓜(マクワ)に錫寒し 素堂
蚊の聲氈に血を含むらん 言水
夜ヲ離レ蟻の漏(ウロ)より旅立て 卜尺
槐のかくるゝ迄に帰ㇼ見しはや 似春
匂落ツ杏に酒を買ところ 芭蕉
強盗春の雨をひそめく 昨雲
嵐更ケ破魔矢つまよる音すごく 千春
鎧の櫃に餅荷ひける 麋塒
末の瓦器頭巾に帯て夕月夜 曉雲
猫口ばしる萩のさはく 素堂
あさがほに齋まつりし鼬姫 言水
蔵守の叟霜を身に着ル 芭蕉
此所難波の北の濱なれや 似春
紀の舟伊勢の舟尾張船 麋塒
波は白波さゝ波も又おかし 素堂
傾城に袴着せて見る心 曉雲
今宵年忘。戀の榮を盡スらん 其角
終が枝に小哥たてまつりける 昨雲
庭稲荷椴に隠れて仄(ホノカ)なる 卜尺
いたらぬ役者藝冥加あれ 千春
豊さはぎ院に日待をもよほされ 芭蕉
霞の外の権田樂をなん召ス 素堂
紫の鰯を花に折しきて 言水
しだのみ荒し楪(ユズリハ)の宿 其角
去年ウラの月の三十日の月くらし 曉雲
雪ものぐるひ筆を杖つく 卜尺
山鳥の音に羽ぬけ子や尋ぬらん 千春
鶴の箔衣ありし俤 似春
梦に入ル玉落の瀧雲の洞 昨雲
日を額にうつ富士の棟上 芭蕉
松髪の祖父(ヂイ)蔦上下に出立て 麋塒
城主に靈の蜜柑献ズル 嵐蘭
或卜に火あての鰹生かへり 峡水
旅木刀の吼脱(ホエスケ)て行 曉雲
世捨木や世捨の松に名を朽て 其角
からすの衣堤にくらし 素堂
橋上の番太は鐘を恨みたる 嵐蘭
西瓜はしらず潮満らん 千春
露くだるしだれ角豆の散柳 曉雲
月は築地の古キにやどる 麋塒
遁世のよ所(ソ)に妻子をのぞき見て 芭蕉
つぎ哥耳にのこるよし原 峡水
歩(カチ)別レ馬は侍らん榎陰 其角
百姓の家に入て腹切ㇽ 嵐蘭
是此年先祖の□の火の消ス 昨雲
時ならず米に生る菌(クサビラ) 千春
雨を聞て放下の村に閑カなる 素堂
燕尾小勝が墓に落くる 曉雲
衣□草萌出る翠リ紅に 麋塒
雪ふゞき茶や花の端つゞき 其角
御池漕扈従の渡守しばし 峡水
薫ふるふか水引の簑 昨雲
張雀鳴子くにおどろきて 麋塒
無情人秋の蝉(ヌケガラ) 嵐蘭
月は問ふ山寺殿を離(カレガレ)に 其角
石風呂の跡は哀ありける 素堂
箒木の茂きは鍬に夭せられ 千春
今其とかげ金色の玉 峡水
袖に入螭(アマレウ)を契りけん 芭蕉
涙の玉あり明ケ昏レにかはかず 麋塒
我聞ケリ鈍士は胸の中黒しと 昨雲
閣思君(ワザクレ)境町に溺るゝ 其角
肩を踏て短尺とりに立蹂(サワ)グ 曉雲
奥にての御遊隔掘戀 芭蕉
篝火を刀に掛て忍ぶ山 嵐蘭
浪は井積にかくす落人 千春
物あらふ盥をふせて暮る程に 峡水
藍搗臼のごほくし聲 麋塒
市賤の木びたを負る木陰には 曉雲
日傘さす子と嫗(ウバ)と男と 嵐蘭
玄関にて神樂をまふけ給ひけり 昨雲
夜と共てらす袋挑灯 素堂
花の奥盗人狩に泊して 芭蕉
八重く霞飛行小天狗 其角
(以下略)
*『武蔵曲』むさしぶり 俳諧撰集。千春編。天和二年刊。
台命は、武蔵の俳風の意で、江戸の新風に対する挨拶をこめたもの。
編者の「流石におかし桜折ル下女の武蔵ぶりによる。
【内容】
千春は京都における貞門俳人で、談林化した人。たまたま江戸に下った折、諸家と風交した吟を集めたのである。まず四季の発句五十九句を配し、次に、其角の樽うた、歌仙・百韻各一、千春の独吟歌仙等を収める。作者は、芭蕉周囲の人々を主とし、其角・千春の七句、芭蕉の六句等が旬教の多い方である。芭蕉の句のうち二句は桃青、四旬は芭蕉と記してある。巻頭の「梅柳さぞ若衆哉女かな」は、作者名が芭蕉翁桃青とあって、彼に対する尊敬の念が示されているようである。千春の独吟歌仙は、詞書に、「武城之春在乎寛永九寺之花」と、花見の雑掩を述べて、江戸の春を謳歌している。芭蕉一門の俳諧は、延宝九年賀の『次韻」から、すでに蕉風への一歩を踏み出しているのであるが、この『武蔵曲』は、その一方向をさらに押進め、直接『虚栗』に接する位置を占めている。但し、現実の中に美を発見する方法が、まだ十分に自覚されていないので、故事の奇抜な翻案や、妖怪趣味のようなものを選んだり、表現の純化というようなことが意識されていないため、いたずらに字余りの破調や、倍屈晦渋な漢語調などが多い。(この項『俳諧大辞典』明治書院)
【千春】 生没年不詳。宝永七年(1710)までは生存。本名望月氏。京都住。重頼、季吟に親灸し、やがて宗因に接近、その後数度江戸を訪問し、芭蕉等の江戸俳家と接触し、その成果をしめした。
癖に成て淋しや秋の今時分 千春
▽▼秋、八月十四日、高山塒麋主宰月見の宴(美津和久美)
橋石庵一風編 天保四年刊
芭蕉消息
三月、望月千春編『武蔵曲』に発句六句、一座百韻一巻入集。
☆武蔵曲 百韻一巻「錦どる」より。
錦とる都にうらむ百つゝじ 麋塒
壹花さくら二番山ぶき 千春
風の愛三線の記を和らげて 卜尺
雨双六に雷を忘るゝ 暁雲
宵うつり盞の陣を退りける 其角
せんじ所の茶に月を汲 芭蕉
霧軽く寒や温やの語を盡ス 素堂
梧桐の夕繻子を抱イて 似春
孤村遥に悲風夫を恨ムかと 昨雲
媒酒棋に咲を進ムル 言水
以下略。
【註】この俳書によって「芭蕉号」が公となる。
大淀三千風編「松島眺望集」に発句一句入集。
武蔵野の月の若生えや松島種
本書は、芭蕉や西鶴、言水など全国の五〇〇余人にのぼる俳人から発句、和歌、漢詩を収集し、一五〇〇の作品を選んだもの。
十二月二十八日、江戸駒込大円寺を火元とする大火のため芭蕉庵類焼。高山麋塒(ビジ)を頼って甲斐国都留郡谷村(現在の山梨県都留市)に赴く。(この箇所については、諸説あり未だ確定していない。別記参照)
火事は午の上刻(午前十一時ごろ)に発生し、下谷、浅草、本所から本郷、神田、日本橋にも飛火し、大名七十五家、旗本百六十六家、神社四十七社、寺院四十八宇を焼き尽し、千人を超す焼死者を出した後、翌朝卯の下刻(6時ごろ)ようやく鎮火したという。
其角の「芭蕉翁終焉記」に、大火の様子などについて「深川の草庵急火にかこまれ、潮にひたり、苫をかづきて、煙のうちに生きのびけん、これぞ玉の緒のはかなき初めなり」とある。
**天和二年(1682)(この項『俳文学大辞典』角川書店)
**芭蕉(三十九才)『武蔵曲』(千春撰、三月刊)に芭蕉号で入集。
十二月二十八日の江戸大火で類焼、甲斐に疎開。
**素堂(四十一才)八月十四日、麋塒主催の月見の宴に芭蕉・信徳と臨み「月見の記」を草す(真蹟他)
**曾良(三十四才)このころ江戸で吉川惟足に神学を学ぶ。
**去来(三十二才)四月七日母没。
**嵐雪(二十九才)常州笠間城主井上相模守に仕える(風の上
条)。『武蔵曲』(千春撰、三月刊)に発句二入集。
**許六(二十七才)父が大津御蔵役を勤め、許六手伝を命ぜられる(由緒帳)。十一月父から「六範巻」伝受。
**其角(二十二才)秋、嵐雪と両吟で「我や来ぬ」歌仙成るか
(虚粟)。
三月十九日常矩没。
三月二十八日宗因役(七十八)。
千春『武蔵曲』
秋風編『打曇砥』(宗因・常矩追悼集)
未達『俳諧関相撲』刊