日本の社会 1938年 学生狩りと勤労奉仕
『週刊20世紀』昭和13年(1938) 朝日新聞
「歴史をあるく」
一部加筆 山梨県 山口素堂資料室
非常時局下、2月15日から3日間、警視庁は東京の盛り場で不良学生の一斉検挙をした結果、総数7373人(うち女子341人)に達した。銀座、浅草、新宿、上野、神田などで、マージャン荘、映画館、玉突き場、カフェ、公園などに網を張り、摘発した。
上野署管内の喫茶店では15人の客が引き出されたが、その大部分が未成年の学生で、一晩留置後、「今度見つけたら許さぬ」と説諭されて釈放になった。新宿では、月100円の送金を受けながら1年間に1日も出席せずカフェやバーに入り浸っていた学生や、4年間の落第を親に知らせず毎月送金をさせてネオン街へ通っていた学生もいた。
荒木貞夫文相は6月7日の師範学校長会議の席上、「教育の貧困の結果だ」と断じ、事変下の教育者の奮起を促すとともに学生に警告を与えた。(2月16~19、21、28日、6月8日付重星朝日新聞)
文部省は、中等学校から大学までの学生、生徒に、夏休みの前後などに3~5日間の集団勤労作業をさせることを決めて5月の各学校長会議で指示した。ナチス・ドイツの労働奉仕を見習い、戦時下の精神教育実践を旗印に、作業期間中は校舎や寄宿舎、テントなどで全員寝食を共にして規律・節制ある生活を体験させた。勤労作業は6月下旬から始まった。
男子は河川敷などの開墾や植林、道路工事、神社寺院や公園の清掃、防空貯水槽建設といった作業。
女子は軍服、襟章、肩章や戦傷軍人白衣の裁縫、入院軍人の慰問、応召軍人遺家族の農作業や家事の手伝いなどにあたった。(5月25日、6月18、22日、7月5、14、18日付同紙)
警察当局による……学生狩りは、その後も全国的に繰り返された。一方、学生の集団勤労作業は、戦力増強のため軍需工場への本格的動員へと進んでいく。
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