炭釜に塗りこめられた 山の乙女
泉昌彦 『伝説と怪談』
一部加筆 白州町 山梨県山口素堂資料室
人影もない小金沢山の山腹は、真夏の太陽が、目もチカチカするほど照り映えていた。ムンムンとする草いきれが蜻蛉のようにゆらゆらと立ちのぼる草原では、いまふたりの男女が、人目のない自出のひとときを野獣のようにふるまっていた。目の下けるかの村落から降るような油蝉ミの鳴き声と、こども達のハシャグ声が、妙に異質な二つの世男を感じさせた。
「痛っ、いや、いや、よしてえ」
おしげは、ひどい痛みにたえかねて叫ぼうにも、唇をすわれているので声にならない。ことに山仕事できたえぬいている強力の藤太郎が、欲情にかられて力を振われてしまっては、かよわいおしげがこれをどうして跳ねかえせよう。というより、好きで好きで思いつめた藤太郎の要求であれば、どんなことになろうとも、という覚悟は、前もっておしげの潜在意識の中にあったのだろう。おしげの抵抗もそうながくは続かなかった。
それこそ初めての体験で無我夢中で藤太郎の背中へ爪をたててもがいている問に、藤太郎はじっとこらえてきた獣欲を思うさまぶっつけた。どのくらいの時間がたったのだろうか? 二人の激しいかっとうに、しばらくナリをひそめていたクツワムシが、ヤレヤレといわんばかりにふたたび「ガチャ、ガチャ」と鳴きはじめると、したたる汗をぬぐう藤太郎のそばでは正体もなくみだらな姿のままで、おしげは肩をゆすって泣いていた。やっと思いがかなったといううれしさと同時に、きびしい両親の目を盗んでみだらなことをゆるしてしまったという悔恨からである。
おしげがいくら山村に育ったおぼこ娘でも、歳も二十を一つこしていれば、ことのほかセックスのめざめに早い僻村の娘として、男女のいとなみについては、充分にしりつくしていた。男でも女でも、三人よればすぐ色恋のうわさか、露骨の渋談しか話題にするものがない山峡では、女こどもの存在も無視してのおとな遠の無知が、しぜんにセックスの道をおしえこみ、どこの娘も十四か五になれば、男に異常な関心をいだくようになったのだ。
ことに、おしげの生まれ育った今の上野原町(南都留郡)の、旧西原村は、夜這いで名高い小菅村をへだてて、隣村の男女が交流したほど男女の性風俗が開放的であった。江戸時代の古い文献をたどってみよう。
昔話の玉手箱「譚海」巻十に、「甲州の密会禁止なきこと」なる項には、甲州の国風として端午の節句より九月晦日まで夜陰に乗じた村々の男子が、ご領主さまのおゆるしとあって、娘はもちろん、人妻であろうと婆さであろうと、手当りしだいに関係していた点が、くわしくしるされている。同書は「信玄のゆるされたるよりはじまりたるとも言えり……」と、ある。
第二次大戦中、兵隊を消耗品同様に、肉弾戦につかい、その穴うめに産めよ、殖やせよと、国策にした点では、信玄もすでにおなじこころみをしていた。こどもはセックスを大幅に解放しないと産めないものだからだ。
長篠の戦いで大方の主力を失しなった勝頼は、不足した兵力を農兵にもとめて戦力を立直したが、戦国時代は農民上りの足軽が主戦力であった。日本の近代戦だって直接武器をもって戦ったのは多くの農民である。感激に震えて・…・
さて、おぼこ娘のおしげにくらべ、藤太郎は三十四歳の独り者で、炭焼き、柏伐りなどをしてくらしていた。藤太郎はべつに女房をもたなくても不自由はしなかったのだ。いささか女をわがものにする男っぶりと、手練手管をもっていたからだ。さる老人が、若い頃、女のもとへ経忍んでったら、家族がそばにいたので、外へ抱き出したら、やっと女が目をさましたということもあった。ともかく昔にさかのぼるほど甲州の国風として、現代以上にセックスが自由というか、動物的だったといえる。このため痴情よりおこった猟奇事件は、各村に必ず数話はのこされている、
禁断の妊娠
藤太郎と関係のできたおしげは、ひと まわり以上も年かさの藤太郎が、この世で一番好きな男となってしまった。藤太郎はおしげと忍びあいをかさねている間にも、転々他の女ともまじわるという生来のスケコマシという奴だ。
「おまえこの頃やけに腹がでっ張って来たが、よもや藤太郎とできたんじゃあるめいの」
おしげの両親は、おしげの身ごもったことをさとると、まず第一に、藤太郎の名を上げて問いつめた。
「ねえ父っちゃん、かあちゃん、おら藤太郎と夫婦約束をしただあ、いっしょにしてくんろ」
「なにをこく、あんな炭焼きの渡り者にでえじの娘を嫁にやれるものか、婿にしたって一と月もたたんうちに泣きをみるわいI
おしげの両親は、三十四でまだ独身というだけでも若い娘の婿にしようなぞということは毛ほどもゆるしがたいことだった。まして女たらしとして評判のわるい男だ。おそろしい見幕でおしげのたのみをハネつけたあと、さんざんに毒づいて意見した。
「わあ…わあ…」と、泣きわめくおしげにほとほと手をやいた両親は、いったいおしげの身ごもっているろくでなしのがきをどうしまつしたらよいのか、そこへ突きあたると、又ぞろ愚痴が口をついて決まった責めことばでおしげ
を叱りつけた。
秋風が立って殺しのたくらみ
「からだにはもう五つ月の子供が育ってるだからよ」
「あに、腹の中のガキが五つ月だと、おらのガキとはかぎるまい。あんでそんなに目立たないうちにおろしてしま わなかっただ」
おしげは、やさしいはずの藤太郎の豹変ぶりにおどろきながらも藤太郎への恋情をたちきれず、いちづに夫婦になろうと迫った。
これはおしげがうぶで純情いちずの娘だったからにほかならない。あまりしつこく夫賜になってくれと言いよられると、すでに秋風のたちそめた藤太郎はなるべくおしげからにげ出すかんべんをして日に日に遠ざかっていった。
「こんやこそ、二つに一つ返事をしてくろ」
夜中におしげにつかまった藤太郎は、万事窮すで、なんとかおしげからのがれる工夫はないものかとしあんをめぐらせた。
「そうだ。おらはあす山奥の炭釜へ、炭やきに入ってしまうぞ。当分は炭やきで里へは下れねえ。どうだ、おらの炭やき小屋へいっしょにいって相談すべえ」
藤太郎はこのときおしげを山奥の炭釜へとじこめてしまつしてしまえば絶対にわかるまいと、悪智恵をしぼってさりげなくおしげをいつわった。元々ひとを疑がうことをしらない純朴のおしげは、藤太郎の腹がよめずにのこのこと藤太郎の尻にくっついて炭釜へ同行した。小菅から上野原へ自動車林道のあいた現在ですら、めったに人影をみることのない西原の奥のことだ。二人がつれだっ石灰釜へ向かった姿はついに誰の目にもふれなかった。
「おい、おしげ、てめえこんなかで死ぬんだ」
ひどい冷血漢があったものだ。奥山の炭釜へつくや、藤太郎はもはやどんな無理無休なふるまいにおよんでも、あやつり人形のように言うなりにするおしげを裸にしてさんざんもてあそんだすえ、後手に縛りおしげを炭釜の中へ押しこめた。すでに火が入って、下の方が赤くなっている炭釜に押しこめられたおしげは、これが日夜あたまからはなれないほど恋いしたったいとしい藤太郎とはどうしても言えなかった。
「ゆ、ゆるして、殺すことだけはかんべんして」
おしげははやくも炭釜の中に立ちこめているけむりと熱気にむ昔ながら、半狂乱になって外へ出ようともがいたが、目をすごませた藤太郎は、
「やかましいやい、てめえのいうように夫婦になってやりたくたって、がんこでわからずやのてめえの両親のゆるしがでねえじゃあねえか、それなのにてめえはおれといっしょになれなれとしつこくつきまとやあがって、こうでもしてしまつをつけてやるんだ」
「……た、たすけてえー、藤太郎さん、ひどいわ、ひどいわ。うっ、う、う」
もうもうと煙と一酸化炭素のたちこめている炭釜は六、七百度という高温である。
この中へ押で押しこめられて入口へ大きな木の根っこや石をつまれてはひとたまりもない。
まもなくむしげは、充分うらみつらみもいわないうちに、「ひー、ひー」という断末魔の悲鳴をさいごに煙と熱気の中で意識を失しなった。
「ちえっ、渡り者杣伐りにはでいじの娘はやれんの、歳が三十四にもなってちゃあ、うちのでいじの娘はやれんのとごたくをならべやがったって、てめえの娘は殺されるまでこのおれに惚れぬいているじゃあねえか、ばかやろーめ」
おしげの両親が、娘の意志をみとめて、一応藤太郎との結婚をみとめてやったら、あるいはこのような殺しまでくわだてなかったともいえる。けっきょく頑迷に結婚に反対しながら、なんら二人をいっしょにして生活できるような方法を考えてやらなかった点で、追いつめられたせまい山村におこった惨劇といえよう。
のぞいていた前掛の端
ともかく藤太郎の思慮は甘く、炭竃に籠めておけばわかるまいと考えた。
昔から、奥秩父多摩では、ゆくえを絶った人のはなしは多い。前記藤太郎もそのつもりで西原で素知らぬ顔をよそおっていた。しかし、二日、三日と経つうちに、意外に村内がさわがしくなってきた。
「おめえさまは、うちのおしげを知らねえけ」
「おらがしるもんか、炭焼にいっていたから、おしげんの居なくなったことも、さっき聞いたばかりよ」
「そうけ、おめえが知らぬはずはねえと言って来たがおかしい」
おしげの妹おきみは、姉とちがって気のつよいところがあったので、はじめから藤太郎を疑ってかかったが証拠がない。
「そうだ、炭焼といったな」、おきみはこの時に不吉の予感におそわれ、藤太郎の家をでるとその足で、小金沢の奥にある藤太郎の炭釜へむかった。
烟をたよりに炭釜にたどりついたおきみは、
「おしげ姉さん、おしげ姉さん」 と黄色い声を張りあげてよんだ。もちろん返事があろうはずがない、とそのとき、おきみは、炭釜の下から、ちょっぴりのぞいた赤いものを発見した。端をつかんでひっぱりだすとさきの方はこげているが、たしかにおしげが日頃身につけている前掛けであった。
おきみは、気丈にもそこにあった丸太をにぎりしめると、土で塗りこめてある炭釜の入口をたたきこわした。「あっ、おしげ姉さん」おきみは、もうほとんど白い灰のかたまりになっているのがおしげだと知って、くらくらっとめまいが起って倒れそうになった。気をとりなおしたおきみはマリをころがすように村へかけもどると、とっつきから、「おしげ姉さんが炭釜で死んでいるぞ」
とさわぎながら家へかけこんだ。
藤太郎の逮捕でおしげの一件はかたづいても、第二、第三の痴情による猟奇事件はあとからあとからおこった。平和の山問におこったこの特殊のころしは、いまもなお語りつがれている。
多かった堕台事件
黙旧の堕胎事件は非常におおく、明治二年半には産婆が妊婦の腹を圧迫しもんで堕胎させ、薬物による堕胎などは、別に禁令の布告を出している。罪も重かった。
現在は、刑罰法二一二条に、はっきりと、相当の理由なくしての堕胎を行うと罪になる。と罪になる。判例をみると、婚約者に、結婚するかしないか確かな意志を間かずに堕胎しても罪になる。昔はホオヅキを子宮にさしこんだとか、高いところから飛びおりたとか、もっとも多いのが、水銀をのんだ。
一回に二十グラムくらいの水銀をのむと、急性中毒により胎児が下ったのだ。山間部におこった堕胎のありさまをきくと、ゾッと鳥肌立つむざんなやり方である。
せっぱつまって高いところからとびおりる自損行為によって、胎盤離脱をおこなって流産したのだ。つよい酢をのんでおろす。子宮のあたりをふみつける。
またはつよくもんで胎盤を離脱する。こうしたことから親子もろとも死ぬ例も非常に多かった。
女のもつ惨酷のつよさ、セックスから逃れようのない業のふかさを感じ、いよいよ人間の煩悩のあさましさにうんざりする。
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