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第十一章 貞門諸俳の士

2024年07月08日 14時17分43秒 | 日本俳諧史 池田秋旻 氏著

第十一章 貞門諸俳の士

  • 野々目立圃 

名は親重、貞徳の高弟にして、松翁とも號す、或時重頼と俳を論じて、貞徳の気色を損じてより、烏

丸亜相の門に入り、其の教えを受けて一派を為す、著書三十一種の多きに及び、高井立志、青木鶯水、

由良正春、準土常辰、服部定清、兆他多くの門弟を出したり。

 

  • 松江重頼 

別に維舟と號し。法橋に任せらる、立國との論争以来、貞門を退き、里村懐恵庭の門人となりて、連

歌を學ぶ、池西言水、上島鬼貫、朝生軒春可、中野一三、瀧方山、高野幽山等其の門に遊ぶ、門下に

有為の人物多かりしは、立圃に勝る。

 

  • 安原貞室 初の正章と称す、「これは/\とばかり花の吉野山」の吟を以て名あり。榎並真因、乾貞恕、相淵貞山、神田貞宣等皆その門に出づ。

 

  • 山本西武

其の門より中島隨流、出口真木の二人を出し。鶏冠井令徳は服部常春、芳賀一晶を出す。 

 

  • 北村季吟

通称を久助といひ、芦庵、拾穂軒、湖月斎また七松子と號す。初め京師山伏町に住み、後新玉津島神社内に移る、晩年台命に依りて、東武に参仕し法印に叙して再昌院と薗と號す。仰ぎて歌學所とす。国史次歌集を好み、就中源氏物語に精通せり。季吟の門また名士多く、俳壇第一の大家たる松尾芭蕉を始め、山口素堂、山岡元隣、小西似春、志村無愉、北藤浮生等皆此の門より出づ。

 

  • 斎藤徳元 

岐阜の人、織田秀信の臣なりしが、後薙髪して帆亭徳元と號し、江戸に住す。寛永十八年、『俳諧初學抄』一巻を編集する、従来俳書は京都に於いてのみ刊行され、東都に於いて、俳書を刻することは此れを以て始めとする。

 

  • 杉田望一 伊勢の人にして、夙に守武の風流を慕い、俳諧を好くし、後に貞徳の門人等と交わりを深め、当時の俳壇に名を成した、寛永七年、行年八十三にて没した。                        『望一千句』、『望一後千句』、『伊勢山田俳諧集』等を編み、また杉田みつ女。及び岡西惟中(後宗因に従う)の二人を出して、伊勢風の礎を築いた。

 

其の他、高瀬梅盛の門に、伊藤信徳、内田順也があり。

石田来得の門には、岡村不ト・石田未琢、樋口山夕があり。

高島玄水の門に河曲一峯あり。

安静の門に岸本調和、冨尾似船ありあり。

宮川桧堅の門に爪木晩山、四時宗其諺、田捨女等があり。

片相良保の門に田中常矩あり。

貞徳の門は斯ぐの如く多士済々なり。

而も是等の門人はまた有力の俳人を続出させ、枝葉から枝葉を生じ、分岐、愈々分岐して、全国到る處、俳諧を弄ばざるものはなく、平民的文學として俳諧は實によく弘まりを見せたと云うべし、広く行われる事は、必ずしも其の価値を意味するにわけではないが、其の間に、また自から名流高手の勃興する傾向が認められ、明治の現代に空前の盛況を呈するに至ったが、宗鑑、守武以後、絶えんとする俳諧を、貞徳に依って再び復行せしめた事以外には見えない。

試みに貞徳門に於ける諸俳家の発句を下にあげて、其の傾向の一端を示す。

 

口切の茶や邯鄲の粟の飯      立  圃

ふる雪は柳の髪のみだれ哉

天も花に酔るか雪の乱れ足

元日やあけて心も青二才      重  頼

咲くやらで雨や面目なしの花

置露はゑひもせずしていろは哉

早蕨や扇山の雪に懐ろ手      貞  室

名のれ月の弓杖つきて時鳥

涼しさのかたまりなれや夜半の月

児櫻ならぶや文殊普賢像      西  武

から/\に身はなり果てゝ何と蝉

芋も子を生ば三五の月夜かな

馬合羽雪打はらふ袖もなし     令  徳

花に蝶の舞ふは神楽ぞ伊勢櫻

船となり帆となり風の芭蕉哉

腹筋よりてや笑ふ糸櫻       季  吟

一僕とほく/\ありく花見哉

まさ/\と在ますが如し魂まつり

東より世はをさまるき初日哉    梅  盛

鳴聲をあはれとおぼしめし鹿也

晦日や行年月と目算用

打初る碁の一日やけさの春     徳  元

青柳とはふり分髪のかふろ哉

身にしむや秀信の畑秋の風

薬子けふ呑そむるちゝの春     未  得

起こしおい寐られぬ伽に炭火哉

から風をくみこめたるは唐うちは  玄  札

卯の花をおとすは風のおこり哉

ふる前やかねてしるしも花の雨   安  静

而白や神も覗くや日のはしめ       同

 

貞徳門の発句も、舊来の面目、依然として取るに足らざるもの多し、まゝ瓢逸脱俗のものなきにあらねど、これ頗る稀有の事にて、而も彼等は却て此種の句を喜ばす、好む所は相変わらず滑稽と、掛言葉と、穿ちとにて纏められたる者なれば、文學上の価値としては、固より論ずるに足るものなしと雖も、斯る文藝の世に行はれたるも、俳諧変遷の時代として、寧ろ歓迎すべく、承応二年十一月十五日、貞徳八十三歳を以て没したる後三年、即ち明暦三年、西山宗因が、談林の額を打つまでの俳壇は、實に貞徳門独占の勢たりしなり、其の勢力分布の状況は下の如くなり。

 

立 圃…江崎菊水佐 服部完済  井上有貞  高井?志  青木鷺水

維 舟…上島鬼實  池西言水  滝 方山  遊女八千代 

   貞 室…乾 貞恕  榎並貞員  相淵貞山  神田貞宣

西 武…中島隋流  出口貞水  喜多村卜雪

   季 吟…松尾芭蕉  山口素堂  喜多村湖春(季吟息)

       小西似堂  志村無倫  釋 任口

   【筆註】山口素堂は季吟門で無い。

令徳…芳賀一晶   服部常春

   未 得…石田未琢  樋口山幽  岡村不卜  宇田川可暁

   梅 盛…伊藤信徳  内田順也

安 静…富尾似船  岸本調和

   松 堅…爪木晩山  梅原貞潟  田 捨女  四時堂其諺


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